あっという間に過ぎてしまった、弘前での熱い夏。3年ぶりに津軽の熱さを胸へと宿し、またしばらくの間は東京で頑張れる。八重山と東北、そのふたつが揃ってこその僕の夏。そんな僕にとって特別な街とも、もうお別れのとき。
今なお瞳の奥を染める灯りの滾りと、胸の奥にこだまするやーやぁどーのあの響き。たか丸くん、本当にありがとう。3年ぶりに、ようやく戻ってくることができました。そしてまた、来年の夏に必ず逢いに来ます。
通勤する人や部活へと向かう学生の合間を、駅を目指してとぼとぼと歩く僕。毎年切ないこの道のりだけど、今年は一層胸に来る。それだけ弘前の街が、心の深い部分にまで広がってしまった空洞を温もりで満たしてくれたという証。
愛する街を離れる前に、最後の弘前グルメを。駅に入ってすぐのところに位置する『そば処こぎん』で朝食をとることに。
天玉と激しく悩みましたがせっかくの久々のこぎん、ここはシンプルにかけそばを頂くことに。
まずはおつゆをひと口。そう、これ、これなんだよ。無駄な甘ったるさのない、すっと沁み入るようなこの旨さ。煮物や煮魚にも共通して言えることですが、僕はこの津軽の甘さに頼らない味付けが本当に好き。
続いては、思いっきり特徴的なそばを。見た目の通り太めで、箸で持ち上げればぷつぷつと切れてしまうほどの柔らかさ。それでいて、決してのびてしまっているわけではない。ふるふる、ほろほろとほどける心地よい食感をつゆと一緒に味わえば、何とも優しい満足感でお腹と心が満たされゆくのを感じます。
すっきりと出汁の効いた潔いつゆ、口当たりの優しい柔らかなそば。津軽でしか味わえない唯一無二の味覚に後押しされ、ようやく弘前を離れる決心が。その前に、岩木山に最後のご挨拶。また来年も、戻ってくることができますように。
いつもの701系に乗車し、静かに待つ発車の時。にわかに放送が賑やかになったかと思えば、ホームに響く津軽三味線の力強い音色。じょんがら節に見送られ、列車はゆっくりと弘前駅を出発。
三味の余韻にこみあげるものを堪えつつ列車に揺られること約50分、終点の青森駅に到着。頭では解っていても、駅前に出てやっぱり呆然。あの大好きだった「あおもり駅」は、もうここに居ない。
十代半ばに初めて降り立って以来、たくさんの想い出が詰まった旧駅舎。連絡船時代の面影を残す昭和の詰まったあの駅舎と、2年半前のあのときが最後の別れになるなんて。
歳をとるって、こういうことだから仕方がない。でも本当は、もう少しだけ心の準備をしたかった。これが最後だと認識して、あの駅舎に別れを言いたかった。
駅舎も生まれ変わり、海辺にも新たな変化が。前回訪れたときまでは切り立ったコンクリート護岸だったこの海も、なんだかおしゃれな砂浜に。
間違いなく青森に着いているのだが、なんだかそんな実感がない。そう思いつつ歩いてゆくと、ようやく僕にとって青森を感じられる一画へ。かつて本州と北の大地を結ぶ大動脈の一端を担っていた可動橋が、賑わう海辺のすぐ脇で時を止めたかのようにひっそりと佇みます。
青森へと来たら、絶対に欠かせない八甲田丸へのご挨拶。海峡の女王とも呼ばれた優美な船は、抜けるような青空に照らされその気品をより一層深めるかのよう。
時には伴走するイルカと戯れ、時には荒れ狂う海原へと挑み。長きに渡り、その重たい使命を背負いつつ航路を結び続けた青函連絡船。その奥には、人々の悦びのために世界を駆け巡るにっぽん丸。新旧、そしてそれぞれの道。その違いはあれど、この美しい船の競演をここで見ることができるとは。
いつかはにっぽん丸に乗ってみたい。きっとそれは、頑張れば叶えることのできる現実的な夢。でも僕には、決して叶うことのなかった夢がある。この青函連絡船に、一度は乗ってみたかった。
僕の記憶に今なおはっきりと残る、青函連絡船廃止の映像。現役時代を知りながら、乗ることはついに叶わなかった。子供心に刻まれた船に対する初恋は、永遠に憧れることしかできない存在となってしまった。
ここに立つ度に想い出すあの情景、八甲田丸に逢う度に胸を締め付けるこの焦がれ。鉄道とともに、僕の中に深く刻まれた国鉄の残り香。そんな時代へと戻りたく、八甲田丸の船内へと歩みを進めるのでした。
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