銀嶺つむいで大糸線 ~鉄路でなぞる塩の道 3日目 ②~ | 旅は未知連れ酔わな酒

銀嶺つむいで大糸線 ~鉄路でなぞる塩の道 3日目 ②~

2月上旬信濃大町駅 旅行記

南小谷からめくるめく車窓に目を奪われること約1時間、信濃大町駅に到着。ここで一旦途中下車し、お昼ご飯と街歩きを楽しむことに。

2月上旬信濃大町交差点で姿を見せる美しい白銀の日本アルプス
駅前からのびる大通りを、最初の目的地目指してのんびり散策。行く手には白銀に輝く山並みが見え隠れし、建物の途切れた交差点からはこの眺め。ここに住む人々にとっては日常の光景でも、僕にとってはあまりにも現実離れした美しさ。

2月上旬信濃大町国登録有形文化財旧平林家住宅塩の道ちょうじや
視界に銀嶺を据えつつ歩くこと5分ちょっと、豪壮な町家が目を引く『塩の道ちょうじや』に到着。かつて塩問屋を営んでいたという平林家住宅は国の登録有形文化財となっており、往時の空気感を肌で感じることのできる見学施設として開放されています。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや荷車が入れる土間
見学しようとお邪魔すると、まず出迎えるのは奥行きのある広い土間。荷車が入ってこられるよう二条の木材が敷かれ、ここで荷捌きしそのまま奥の塩蔵まで運べるようになっています。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや緻密に組まれた梁に支えられる高い屋根
上へと目をやれば、縦横に張り巡らされた幾多もの梁。太さも様々、まっすぐなものや自然の曲がりを活かしたものまで、緻密に組まれた様子は圧巻のひと言。その骨組みに支えられる屋根は、火災の延焼を遅らせるためにここまでの高さにされたのだそう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや塩を販売していた帳場
入口から豪商の迫力に圧倒されつつ入館料を払い、母屋内へ。通りに面した1階のこの部分では、かつて塩を販売していました。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや塩問屋当時の面影が残る帳場
今でこそ、全国津々浦々どころか世界各地のものまで容易く手に入るようになった塩。人の生命維持に欠くことのできない大切な塩は、かつてはそれは貴重なものであったことでしょう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや塩問屋の帳場から通りを望む
その大切な物資を届けるため、信州の城下松本へと続く塩の道。おととい、糸魚川でその起点に立ったことが懐かしい。今朝まで滞在していた姫川温泉近くの山中には、大網という宿場もあったそう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや重厚な箪笥階段をのぼる
古代から続く街道、車の行き交う現代の車道。それらと絡み合って走る大糸線に身を委ねる今回の旅は、ある意味塩の道の疑似体験をしているよう。塩が当たり前の時代に生まれ育ち生きる僕は、往時の山国の労苦に思いを馳せてみるばかり。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや牛方の模型と歩荷の人形
重厚な階段箪笥を登り2階へと向かうと、荷を担ぐ歩荷と荷物を背負った牛を追う牛方の姿が。糸魚川からは塩をはじめとする海の幸を、信州からは山の恵みをその背に負って、険しい道を踏みしめていったことでしょう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや土壁と見事な梁の廊下
塩の道とよばれる千国街道は、度重なる姫川の氾濫を避け山中を通る部分も多かったそう。大糸線の両脇を挟むように聳える山。車窓から眺めたその様子は、どこに道を通す余地があるのかと疑問に思う険しさ。この廊下には、そんな塩の道の様子を描いた資料が展示されています。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや廊下に残る古い帳簿を使用した壁の修復跡
これまでの旅路を重ねつつ街道の描かれた地図を眺めていると、廊下の壁になにやら補修したような跡が。よく見ると、収入や支出が書かれた古い帳簿が使われています。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや七夕人形やお雛さまの飾られる部屋
廊下を渡った先には、これまたどっしりとした梁が目を引く歴史を感じさせる部屋が。ここにはお雛さまや七夕人形、塩の道に関する資料などが展示されています。

2月上旬信濃大町国の登録有形平林家住宅塩の道ちょうじや客人を招いたという広々とした座敷
2階で塩の道の歴史に触れふたたび1階へ。江戸時代には松本藩から塩問屋を任されていたという平林家。明治の大火後に再建されたというこの母屋には広々とした座敷も設けられ、その財力の大きさが伝わるよう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや母屋の裏に連なる蔵
重厚な造りの母屋を抜け、裏手に建つ蔵へと進みます。手前の文庫蔵は江戸時代築、その奥には明治時代に増築された2つの蔵が連なっています。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや江戸時代築の文庫蔵内部
まずは手前の文庫蔵へ。土蔵でありながら内部には板壁が張り巡らされ、2階を支える太い梁や中央に立つ柱と、かなり堅牢に造られているといった印象。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや文庫蔵に展示された木製のスキーやストック下駄スケート
室内には明治から昭和にかけての様々な生活道具が展示されており、中にはこんな雪国らしいものも。木製のスキー板やストック、下駄に歯の取り付けられたスケート。古くから信州にウィンタースポーツが根付いていたことが伝わります。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや明治時代築の漬物蔵
続いてお隣の漬物蔵へ。江戸時代には大町宿の庄屋や塩問屋を務めた平林家ですが、明治に入り味噌やしょう油の醸造も手掛けるように。それらを使った漬物がこの蔵で作られていたそう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや塩を貯蔵する塩蔵
更にその奥、塩を貯蔵するための塩蔵へ。糸魚川から松本へと通ずる塩の道。ここ大町宿は塩や海産物の集積地として栄え、この蔵にもたくさんの塩が積まれていたことでしょう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや塩蔵に残されたにがりだめ
その塩蔵に残されているのが、にがりだめとよばれる土間に設けられた穴。当時は精製塩のない時代。粗塩は湿気を吸ってにがりが染み出てくるため、それを導いてこの穴に溜めていました。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや塩蔵に残されたにがりかめ
にがりだめが一杯になると、このにがりかめに移して保存。溜められたにがりは、豆腐の製造や漆喰などに使われたそう。言わば塩の副産物ですが、当時の暮らしには欠かせない必需品として無駄なく利用されていたことが伝わります。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじや蔵の軒下に残された手押しポンプ式消火器
明治の大火後に再建されたこのお屋敷。その経験からか、蔵の軒下には古い手押し式の消火ポンプが。今のように大型の消防車や無数の消火栓がない時代、こうして自衛するほかなかったのでしょう。

2月上旬信濃大町国の登録有形文化財平林家住宅塩の道ちょうじやに併設の流鏑馬会館
続いて、隣に併設された流鏑馬会館へ。かつて豪族仁科氏によって治められていた大町では、その時代から続く流鏑馬神事が行われています。日本三大流鏑馬に数えられ、子供が射手となる大町流鏑馬。館内にはお祭りの様子や衣装などが展示されています。

この旅の起点である糸魚川から、険しい山道を越えて運ばれてきた塩。歩荷や牛方によってもたらされた海の恵みの集積地としての歴史に触れ、人が生きるために支え続けてきた交通の重みに思いを馳せるのでした。

銀嶺つむいで大糸線 ~鉄路でなぞる塩の道~
2月上旬姫川温泉朝日荘客室から望む大糸線夜汽車の情緒
2023.2 新潟/長野
旅行記へ
●1日目(東京⇒糸魚川⇒姫川温泉)
 ////
●2日目(姫川温泉滞在)
 //
●3日目(姫川温泉⇒大町⇒穂高⇒松本⇒東京)
 ///////

コメント

タイトルとURLをコピーしました