3日前の夜に大洗を発ち、遥かなる海原をゆくこと2,084㎞。0泊4日にわたる壮大な航海は、こうして静かに幕を閉じた。その時間があまりに濃密だからこそ、襲い来る喪失感は海よりも深い。

愛するきその勇姿に名残惜しくも別れを告げ、名古屋フェリー埠頭の玄関前にのびる行列へ。当初は最寄りの駅まで歩くつもりでしたが、あいにくの雨のため『名古屋市交通局』の幹築地1系統に乗車します。

下船客で満員のバスに揺られること10分足らず、野跡駅バス停で下車。名古屋駅に出る場合は、ここであおなみ線に乗り換え。矢場や大須、栄といった繁華街を目指すなら、この先の築地口や名古屋港から地下鉄名港線に乗り換えます。

いつもなら、船出を控えた高揚感に包まれ揺られるあおなみ線。今日の空色のせいなのか、それとも航海を終えてしまったという感傷からか。雨に煙る無機質な車窓をぼんやり眺めること20分、空っぽの僕を乗せた電車は終点の名古屋に到着。

いつまでも、しんみりしてなどいられない。これからが、この旅の最終章。そう気持ちを切り替え、太閤通口に隣接する地下街にある『山本屋本店エスカ店』へと向かいます。
名古屋といえばの味噌煮込うどん。そのなかでも二大有名店とされるのが、山本屋本店と山本屋総本家。名古屋には何度か来ていますが、味噌煮込うどんを食べたのは十数年前の一度だけ。うろ覚えながら、あれは確か総本家だったような。だからきっと、本店のうどんは初めてのはず。

それにしても、駅直結という好立地から出張や観光客で店内は大賑わい。ですがカウンター席が多く回転も速いため、10分も待たずに着席。タッチパネルで注文し待つことしばし、お待ちかねの味噌煮込みうどんとご飯が到着。
写真ではなかなか伝わりませんが、文字通りぐつぐつと沸きたつ土鍋の中身。かぶせられた蓋は蒸気穴のない特別なもので、それを取り皿代わりにして熱々をいただきます。
まずはれんげでおつゆをすくい、やけどしないよう細心の注意を払いひと口。その刹那、ぶわっと舌から鼻へと広がる旨味と香り。
その色味のとおり、赤味噌が醸し出すしっかりとしたコクと心地よい渋み。そしてそれにも負けることのない、出汁の強さ。決して、濃すぎるわけではない。おいしく食べられる絶妙な濃度の加減に、はやくもこころは鷲掴みに。
つづいてうどんと具を適量取り分け、あっついだろうなぁと啜ってみる。恐る恐る嚙んでみるとすぐさま実感、やっぱりこの麺は独特だ。
その太い見た目よろしく、しっかりと芯をもった食感の強さ。硬いわけでも、生煮えで粉っぽいわけでもない。でも、弾力のあるコシの強さともまた違う。このしっかりとしたおつゆには、これくらい小麦の自我がある方がいい。
そんな主役に負けず劣らず絶品なのが、うどんを頼むと付いてくる漬物。浅漬けのきゅうりと紫玉ねぎのスライスに、淡口しょう油をさっと回しかけていただきます。
瑞々しいきゅうりの青み、玉ねぎやおろししょうがの爽やかさ。それらを淡口がこれほどまでに引きたてるとは。濃口には出せない繊細な旨味と塩気のバランスが、しゃきしゃきとどんどん食を進めてくれる。
生まれてこの方関東住みの僕にとって、淡口しょう油とは調理に使うもの。生まれて初めて経験する、かける調味料としての未知なる魅力。その新鮮な味覚に刺激され、さらに食欲は増進。猫舌なのも忘れうどんを啜り、ご飯で迎えて言うことなし。
そんな幸せな往復を繰り返していると、名残惜しくもあと数口に。そこで満を持して、ほどよく半熟に煮えた卵を崩す。うどんに絡めてよし、行儀悪いと思いつつご飯に掛ければ背徳の味に。一滴残らず味噌と出汁、そして小麦と米の競演を味わい尽くし大満足でお店を後にします。

十数年ぶりに対峙した味噌煮込うどんの破壊力に、なぜここまで機会を逸してしまったのかとちょっとばかり後悔。名古屋は食べたいものが多すぎて困るんだよな。またひとつ増えてしまった贅沢な悩みの種を胸に、名鉄名古屋から犬山線の快速特急に乗車します。

関東では味わえぬ座り心地の良い転換クロスシートに非日常を噛みしめること26分、犬山に到着。あのお城との再会を目指し、小雨降るなか歩き出します。

駅前から大通りをまっすぐ歩いてゆくと、明らかに歴史を感じさせる一画へ。ここからのびる本町通りは、犬山の城下町のいわばメインストリート。道の両側には様々な年代の建物が並び、食べ歩きや雑貨などのお店もずらり。

平日ながら多くの観光客で賑わう通りを進んでゆくと、ひときわ目を引く立派な町家が。江戸時代後期から明治期にかけて建てられたという、旧磯部家住宅。ゆったりと弧を描くむくり屋根、そのやわらかな表情がなんとも印象的。

戦前までは呉服商、その後はお茶の製造や販売が営まれていたというこの建物。玄関に接するこの広い土間や板の間が、その商いの場となっていたのでしょう。

かつて間口の広さで税金が決められていたことから、幅の狭さと奥行きの深さが特徴の町家。土間から奥の建物群へとつづく通り庭には、煮炊きをしていたであろうかまども。

通りに面した主屋の最奥には、重厚な佇まいの座敷が。商人屋敷に立派な座敷飾りは御法度であったという江戸時代。現在の造りは、明治の濃尾地震で被災した際に改修されたものだそう。

文字通りうなぎの寝床といった、町家らしい造り。主屋の奥に隠された庭の周りには、裏座敷や蔵といった4棟の建物が。

これはまた、傘の必要のないときに再挑戦だな。そんな次へとつながる宿題を胸に、ふたたび歩みを進める城下町。そのしっとりとした情緒の先には、凛と建つ天守の姿。

駅から城下町の風情を味わいつつ歩くこと15分、犬山城の建つ城山の麓に到着。ここから天守へは3つのルートがありますが、今回は針綱神社にお参りしつつ向かうことに。

重厚な石鳥居をくぐると現れるのが、石造りの見事な太鼓橋。華奢な欄干と優美な曲線が目を引くこの反橋は、大正8年に架けられたものだそう。

千年以上もの長きにわたり、犬山に鎮座するという針綱神社。その荘厳な拝殿に、7年ぶりにこの地を訪れることのできたお礼を伝えます。

他のお城と同様に、本丸のほか二の丸、三の丸があったという犬山城。鳥居手前のお店が広がる一帯が三の丸、針綱神社の位置するあたりが二の丸だったそう。

さらに二の丸は4分割構成。杉の丸、桐の丸、樅の丸、松の丸と独立した曲輪の連なる複雑な構造となっています。城内には天守以外に現存する建物はありませんが、明治の廃城前には門や櫓も建っていたそう。

かつての城郭の姿に思いを馳せつつ石垣の間を進み、ついに犬山城の天守と7年ぶりのご対面。諸説あるものの、いまから440年ほど前には建てられていたのではと考えられているそう。全国に12ある現存天守のなかでも一番古いとされ、国宝にも指定されています。

重厚感を醸す足元の黒い下見板張り、端整な表情を魅せる白漆喰総塗籠。優美な曲線を描く破風や望楼の真壁造に華頭窓と、往時の美意識がぎゅっと込められています。

地下2階の入口から階段をのぼり、石垣に囲まれた地下1階を経て地上1階へ。中央には4つの部屋が設けられており、そのなかで一段高くなった畳敷きの部分がお殿様が使用したという上段の間。その奥には、護衛の武士が控える武者かくしの間が。

縦横に廻らされた、太い柱に力強い梁。コンピューターもない時代、自然木の反りすら活かして強度をもたせる。計算だけでは成し得ぬ古の職人技が、この天守を長きにわたり支えつづけています。

さらに上の3階は、いわゆる屋根裏にあたる部分。唐破風や入母屋破風といった外観に華やかさをもたらす部分ですが、それらには窓が設けられ明かりを取り込めるという利点も。

おとといの苫小牧は半袖では寒いほどだったのに、今日は結構な蒸し暑さ。格子窓から吹き込む風に涼を求めつつ、汗だくになり最上階の4階へ。そこから浴びる景色と風は、急階段をここまで登ってきたからこそ。

現存天守の中でも、望楼をぐるりと囲む廻縁に出られるのは高知城とここ犬山城のみ。床は水はけのため若干ながら外側に傾斜しており、手すりにあたる高欄の高さも腰より下。かなりの高度感に背筋はぞくっとするものの、それ以上に見る者を圧倒する展望が。

こうして旅先でお城を訪れると、そこに建つべき理由があるということを思い知る。城下町から城山の麓までは高低差を感じないものの、お城の背後は木曽川へと一気に落ち込む崖。さらにここが扇状地である濃尾平野の頂点であり、木曽川の上流側にはすぐそこにまで迫る山。

望楼からの壮大な眺めに天然の要害であることを実感し、そろそろ下城することに。急階段を慎重に下り天守の外へ、そして振り返りその凛とした姿をもう一度。前回はゴールデンウイークだったので人だらけでしたが、今日はゆっくり愉しめてよかった。

さて、すぐ近くの有楽苑という庭園に寄ろうか。そう思ったところ、ふたたびぽつぽつと降り出した雨。これはまた、次へとつながる善き宿題だ。そんな再訪の口実をまたまた手に入れ、寄り道しながら駅へと戻ることに。

行きは本町通りを歩いてきたので、帰りは足の向くまま気になる道を行くことに。前回は犬山遊園駅から犬山駅への一方通行だったので気付きませんでしたが、城下町の風情が薫る街並みがあちらこちらに。

船から降りたらどこへ行こうか。そう考えていたとき、ふとまた行きたいと浮かんだ犬山の街。7年ぶりに訪れて、またあらたな表情を知ることができた。
前回も、そして今回もしっとりとした情緒に染まる雨模様。よし、今度は晴れ空の下の天守と有楽苑に逢いに来よう。もちろんまた、太平洋フェリーも絡めてだ。そんな良からぬ妄想を頭に浮かべ、雨粒の音を聞きながら駅へと歩みを進めるのでした。



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