22:40に東京を発った高速夜行バス。夜道を575km走り抜け、ほぼ定刻通りに盛岡駅に到着。この時間にこの場所に立つのはもちろん初めてのこと。目覚める前の盛岡駅舎を目の当たりにし、久々に夜行でやってきという充足感に包まれます。
到着直前までバスの窓を打っていた雨も、僕を歓迎するかのようにすっかり上がってしまいました。夜が明けたばかり、そして雨上がりの空に浮かぶ開運橋。僕は何故かこの橋を見るだけで、盛岡までやってきたという感慨に耽ってしまう。
どうやらそう感じるのは僕だけではないようで、この橋の別名がそれを物語っています。その別名とは、「二度泣き橋」。これは転勤族の間で語られた呼び名だそう。
転勤を命じられ、遠路はるばるやってきた北国盛岡。この橋を渡るときにその遠さを噛みしめ、随分と離れた場所までやってきたものだと泣く。
そして任期が終わり、帰郷のとき。在任中にすっかり盛岡に魅せられてしまい、離れなければならないという寂しさからもう一度涙を流す。そのことから、この呼び名が付いたとのこと。
そんな異名を持つ橋上から望む岩手山。雲間から少しだけ、秋色に染まった山体を見せてくれます。盛岡の街、そして多くの人間模様を見守ってきた岩手山。開運橋とこの山に出迎えられる、この光景が一層盛岡を印象深い街にしています。
夕べの賑わいの名残を漂わせる、大通商店街。宴の後片づけをする人、まだ酒の余韻を愉しんでいる人、犬の散歩をする人・・・。昨日から今日へのグラデーションを味わえるのは、夜行ならでは。
明けゆく空の下佇む櫻山神社にお参りを。盛岡城跡を背負う緑深い神社は、この時間はまだ静けさに支配されています。
空を覆っていた雲はどこかへと姿を消し、秋の朝、か弱さを感じさせる青空がいつしか広がります。昨晩の雨に濡れた社殿はしっとりと鈍く光り、その荘厳さを一層際立てているかのよう。
もう何度目の訪問になるだろうか。再び盛岡の地を踏むことができたお礼をし、社殿の横を登ってみることに。そこに聳えるのは、その名も烏帽子岩。名の通りの姿に、これが天然の造形であることを忘れてしまいそう。
この岩は、盛岡城を築城する際に発見されたものだそう。それ以来、南部藩のお守りとして城下町を見守ってきたこの岩。城郭無き今でも、こうして盛岡の街を頑なに見守り続けています。
朝の荘厳な空気に包まれた櫻山神社をあとにし、雨の匂いの残る岩手公園へ。そこには、何度見ても圧倒されるような美しさを感じさせる盛岡城の石垣が。
気の早い葉たちが、薄っすらと秋色を添える岩手公園。まだ7時前ですが意外に人通りは多く、ここが人々の憩いの場として愛されていることが伝わります。
ジョギング、犬の散歩、ラジオ体操。思い思いの朝の時間を過ごす人の姿をぼんやりと眺め、僕も盛岡の朝を胸一杯に吸い込みます。
石垣の縁へと立てば、黄金色に染まりつつある銀杏ごしに横たわる奥羽の山並みが。日本の背骨も秋の気配を感じてか、夜明けの空でも分かるほどに色付き始めています。
予報と反して上がった雨と、明けゆく空。旅先で味わう朝の時間は、その街のすっぴんを覗いているかのよう。この感覚、久しぶり。夜行には夜行の良さがある。久々に感じる旅のかたちに、僕の気持ちもどんどんと明けてゆくのでした。
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