早朝に到着し、濃厚な5時間を過ごした盛岡ともお別れのとき。馴染みの701系に乗り込み、東北本線を南下します。
秋色に染まりつつある車窓を眺めること40分足らず、数々の温泉の玄関口である花巻駅に到着。
ここへこうして降りたつのは、もう何度目だろうか。初めて訪れたのは、主任になる前、まだ僕が24歳のとき。
それから干支がひと回りし、立場も仕事内容もがらりと変わった。それでも変わらず、僕を湯けむりへと誘ってくれる貴重な場所。こうして駅舎を眺める度に、戻って来られたという想いに包まれます。
駅前より、これまたお馴染みの『岩手県交通』湯口線、新鉛温泉行きに乗車。
このバスは花巻南温泉峡沿いをひた走る、魅惑の路線。1~2時間に1本程度運行され、このバス一本で湯巡りが楽しめるという優れもの。
花巻の市街地を抜け、山の方へと舵を切る路線バス。いつしか車窓は黄金色に染まり、秋の恵みが車内へと溢れてきます。
実りの豊かさを愛でつつ揺られること30分、鉛温泉バス停に到着。目の前の急坂を降り、ここ『藤三旅館』であの個性的なお湯と再会することに。
藤三旅館と言えば、の白猿の湯。5年振りとなる立ち湯との再会に、弥が上にも胸が高鳴ります。
扉をそっと開けると、地下へとのびる長い階段。久々に目にする独特な湯殿の構造に、懐かしさと嬉しさに包まれます。
衝立で仕切られただけの脱衣所で服を脱ぎ、掛け湯をしていざ深い浴槽へ。立って入るからこそ感じる独特な水圧が、お湯の温もりと共に体の内部へとじんわり沁みてきます。
夜行バスに揺られ、はるばる辿りついた岩手の地。最近新幹線ばかり利用していたので、こんな感覚は久しぶり。夜行明けの心地良い疲労感を、優しいお湯が癒してゆく様子が堪らない。
久々に対面した、唯一無二の幻想的な湯浴み。それを心から味わいたかったのですが、ちょっと残念なことが。
この白猿の湯は混浴。入ったときから若いカップルがいたのですが、その2人が僕がいる間中ずっとぶつぶつ、ぶつぶつ。普通空気読んで入って来ないよね、って。
うん、泊まりならそうするよ。でもさ、こっちも時間とお金を掛けてわざわざこのお湯に逢いに来てるわけ。
混浴を承知で入っているんだし、こっちは終始目をつぶっていたわけだし。そもそも浴場は公衆の場なのだから、自分たちだけの世界を求めるのはいかがなものかと。
自家用車ならともかく、バスや電車に他人がいるのが許せない。この人たちの言動はこれと同じことだと思う。だったら貸切風呂に行けばいいのにさ。
普段はブログには楽しい思い出しか書かないようにしているのですが、ここ最近感じていたもやもやがこの人たちの言動により像を成してしまったので、敢えて書きました。
秘湯に全く興味がなかった僕を、一夜にしてその虜にしてしまったここ藤三旅館。12年前のその出来事が、今でも鮮明に思い出されます。
4度ほど宿泊や立ち寄りで訪れ、その度ごとに魅惑の妖しさに酔いしれました。そんな思い出の詰まった湯治部の半分は高級宿に改装され、もしかしたら客層も変わっているのかもしれない。
それについては僕は何も言いません。営業を続けられなければ、この素晴らしいお湯も無くなってしまうのだから。この変化は、大多数の人から見れば正解のひとつであるに違いない。
新しくできた湯上がり処でビールを飲み、その後二度ほど立ち湯にのんびり浸かりました。その雰囲気が全く変わらないからこそ、一層その他の変化が際立って感じられてしまう。
個人の勝手な崇拝でこんなことを言うのも何ですが、まあいいや、これは僕のブログだから。
なんか藤三旅館、変わっちゃった。僕に大切なものを教えてくれた場所なのに、それが消えつつあるように思えてしまう。
湯上がりにとぼとぼ歩く細い道。花巻電鉄の廃線跡から眺める山並みは、秋特有の寂しさを遥かに越えるような切なさとして目に映る。
ダメだ、今回は普段とは違うテイストの記事になってしまった。もしかしたら、此処は良い思い出として大切にとっておいたほうがいいのかもしれない・・・。
湯治部を大改装したと知って以来、敢えて距離をおいてきました。僕にとってそれはきっと正解だったのかもしれない。
その現実を目の当たりにしてしまった心を癒してくれるあの宿へ、何とも言えぬ気持ちで歩いてゆくのでした。
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