8年ぶりに迎える青森での朝。昨日の飲みすぎはどこへやら、ぐっすりと眠り7時前にはすっきりお目覚め。今回は、敢えての素泊まりプランで予約。それはなぜかといえば、近くの市場で魅惑の朝ごはんが待っているから。
朝の凛とした空気を感じること束の間、あっという間に『青森魚菜センター』に到着。中へと入ると、まだ7時過ぎだというのに名物を味わいに来た人の姿がちらほらと。
その名物とは、言わずと知れたのっけ丼。早速案内所で12枚つづりの食事券を買い、そのうち1枚を丼ご飯と交換しのっけ丼作成スタート!
さすがは市場、新鮮な魚介がずらりと待ち構えます。あれもおいしそう、これもいい。でも、あっちもやっぱり捨てがたい。そんな嬉しい悩みに翻弄されつつ、今朝の自分的ベストの丼が完成。最後に残しておいた食事券をほたてのお味噌汁と引き換え、贅沢な朝食の始まりです。
大好物のたこは大ぶりで、火の通し方が絶妙。硬すぎず、レアすぎず。北の海で育ったたこの旨味が、丁度よい塩梅で凝縮されています。その上は、この時期ならではの鱈の白子。しょうゆを付けてご飯とともに頬張れば、すぐさまとろりと解け豊かな濃厚さが広がります。
その左隣は、青森県産のひらめのえんがわ。こりこりとした食感と、適度に甘さをもった上品な脂と旨味が堪らない。中央に黄色い卵が詰まっているのは、子持ちやりいか。もちっとした身とプチプチとした卵の食感を楽しめます。
その下に隠れているのは、やはり冬においしい鱈の昆布じめ。適度に水分が抜かれ、それと引き換えに昆布の旨味が入った鱈は、もっちりねっとりとした凝縮感ある旨さ。
その隣には、どんと鎮座する大ぶりのほたて。身質はきめ細やかで、噛めばとろりとした甘さが口中に広がります。その下、たっぷりと載ったねぎとろも、しっかりと中落ち感のある甘旨さ。これまた隠れている本まぐろの中とろは、中とろと言いつつ大とろに近い脂のりであっという間にとろけてしまう。
朝からこんな贅沢、許されるのだろうか。大好きな魚介を食べ比べ、沁みる味わいのほたての味噌汁でほっと一息。食後は試飲してとてもおいしかったふじのリンゴジュースで〆て、もう大満足以外の言葉が見つからない。
さすがは食材の宝庫、青森。朝から青森の恵みに満たされ、ホテルに戻りチェックアウトまでまったりだらり。良き時間になったところで、のんびり青森の街歩きへと繰り出します。
まず向かったのは善知鳥神社。後の青森市となる善知鳥村の中心に古くからあることから、青森市発祥の地とも言われています。久々に味わえた青森での良き時間のお礼を伝え、またの再訪の願いを託します。
拝殿の左手から裏手へと進んでゆくと、お社の脇にはまだこれだけの残雪が。3月中旬、東京ではもう桜も咲こうかという時期。同じ本州とはいえこれだけの季節の幅に、改めて日本の大きさを感じてしまう。
神社の周りには、鯉が泳ぐ小さな池が。ここはかつて、安潟とよばれた周囲20㎞以上もあった湖沼の名残りだそう。流れ込む河川の流路が変更され、次第に干上がり現在の姿へ。その干拓された土地に広がる、現在の青森の市街地。そのことからも、青森市発祥の地といえるのかもしれません。
港町から、北の大地への玄関口へ。海とともに発展してきた青森の歴史に思いを馳せつつ池のほとりを歩いていると、羽を休める二羽の鴨。うつくしく輝くその色味に、天然色のもつ力を感じます。
久しぶりの善知鳥神社へのお参りを終え、海を目指してのんびりぶらぶら。信号待ちで見つけたのは、三八五流通の営業所に残された懐かしいあの航空会社。日本エアシステム、結局一生に一度しか搭乗が叶わなかったな。
専売公社や国鉄を記憶に留める、最後の世代。そんな僕にとっての空の懐かしい記憶を噛みしめつつ、港に面する青い海公園に到着。振り返れば、鉛色の空に覆われる港湾の情景。奥に控える雪山が、冬の名残りの情緒を掻き立てる。
いつもはA-FACTRYからアスパム付近まで歩く青い海公園ですが、ここまで来るとまた違った雰囲気に。小高い丘に佇み、強い海風に吹かれ眺める灰色の海。夏の青さも良いけれど、この渋い世界感もまた趣深い。
視線を西へと向ければ、青森のベイエリアを一望のもとに。ここから対岸に佇む八甲田丸まで、波音を聞きながら海沿いを歩きます。
進むごとに、だんだんと存在感を増してゆく海峡の女王。厚い雲、鉛色の海。かつて本州と北海道の大動脈として往来を続けた、青函連絡船。悲喜こもごも、様々な旅人の想いが滲んだこの船には、こんな情景がよく似合う。
可動橋越しに望む、特徴ある船尾。海へとのびる幾筋ものレールは、鉄道連絡船を連絡船たらしめる独特な光景。幾艘もの船舶を造り、柔軟性に乏しい線路を工夫を重ね船へと繋ぎ。トンネルができる前は、こうして鉄路を結ぶよりほかはなかった。
半年ぶりの再会となった、八甲田丸。いつ逢っても、海峡の女王の気品は色褪せない。
優美な船体に込められた使命、運んできた人の数だけ染みついた旅情の気配。レジャーのための客船とは一線を画す、明治から昭和まで連綿と続いた交通手段としての重責。その残り香を一層薫らせる鉛色の空に、北国の春の遠さを思うのでした。
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