久々に味わう津軽の味と酒に満たされ、ほろ酔い気分で歩く小路。すでにねぷた出陣の時刻は過ぎ、遠くからはあの懐かしい響きが耳へと届く。
やぁ~やぁどぉ~!通りの先に覗くあの灯りの洪水、近づくほどに胸を震わせるお囃子と掛け声の力強い響き。あぁ、やっとこの日が来た。本当に、再会できた。もうこの事実だけで、思わず涙が浮かんでしまう。
3年ぶりの、津軽の夜。この日が来るのを、どれほどまでに待ち望んできたことか。縁もゆかりもないただの旅行者である僕ですらそう思うのだから、地元の人々の想いは計り知れない。
目の前を、ゆっくりと通り過ぎてゆく灯りの波。勇壮なものや幻想的なもの、中にはかわいいものまで、その表情は様々。この太鼓型のねぷたには、弘南鉄道のキャラクターであるラッセル君が描かれています。
いつもは宿のご厚意で道路に椅子席を用意していただいていましたが、今年は場所取り禁止。歩道の適当に空いているところに腰掛け見上げるねぷたは、視座も変わってこれまでとはひと味違う迫力が。
勇壮な鏡絵に対し、幻想的な世界観を映し出す見送り絵。漆黒の夜空に浮かぶその姿は、幽玄の世界へと見る者を誘うよう。
津軽の夜空に浮かぶ美しい月と、躍動する勇壮な獅子。次から次へと現れる色とりどりのねぷたたちは、めくるめく光の絵巻をこの眼に魅せてくれる。
今年は、ねぷたが初めて文献に登場してから300年という記念の年。去年、一昨年と途絶えたこのお祭りも、300周年に無事復活。勇壮に描かれた津軽のお殿様も、きっとこの光景を嬉しく思っているに違いない。
津軽の夜を染めあげる、燃えるような鮮烈な色彩。そこには弘前城の鯱が凛とした姿で描かれ、地元の人々のこの街に対する想いが溢れ出てくるかのよう。
江戸時代から、連綿と続く弘前ねぷた。一面に描かれる古の祭りの様子に、紡がれ続けてきたこの瞬間に立ち会える悦びを感じずにはいられない。
勇壮な武者絵や幻想的な見送り絵の描かれる扇ねぷたが中心の弘前ねぷたですが、中には人形型をした組ねぷたも。ビルの3階にも届こうとするその迫力に、思わず圧倒されてしまいます。
歩道に腰掛け、すぐ手の届くところに感じる津軽の滾り。いつか青森ねぶたも一度はと思いつつ、結局毎年弘前ねぷたに心酔してしまう。もしかしたら僕は、この祭りとの距離感が好きなのかもしれない。
商店街の軒をかすめるように過ぎてゆくねぷたの迫力、至近に感じる光と人の放つ眩い力。このお祭りは、観光客ではなくあくまでも地元の人々のためのもの。そんな空気感が、きっと僕は好きなのだろう。
夢中になって見ていたら、もう現れてしまった本日終了の文字。何度味わっても、この瞬間は切なくなる。先ほどまでの幻想的な夜が、潮が引くかのように去ってゆく。
みんな同じ気持ちなのか、最後のねぷたを追う多くの人々。そんな波に紛れて歩くのも、僕にとっての毎年のお約束。この名残惜しさが、今は愛おしい。
雄大に裾野を広げる岩木山、その懐に凛と建つ弘前城。300年続くこの祭りが繰り広げられる街を優しく見守るかのように、城下の空を舞う優美な鳳凰。弘前の人々が守り続けてきたこの温もりに、今はただただ触れていたい。
津軽の短い夏と同様に、儚く過ぎゆくねぷたの夜。だからこそ、また次も、そのまた次もと逢いたくなる。それが叶わぬ時間があったからこそ、今年の灯りの温かさが胸に来る。
祭りのあと。その言葉の意味を身をもって知る、弘前での夜。先ほどまでの賑わいはどこへやら、夜の静けさに包まれつつその余韻に浸ります。
未だ眼を灼く光の残像、耳に残るヤーヤドーの響き。勇壮な中にも、一抹の憂いが含まれる。弘前ねぷたのもつ独特な世界観に触れ、3年ぶりに心の奥深い部分が締め付けられる。やっぱり僕は、弘前のねぷたが好きで好きで堪らない。
宿へと戻り、ねぷたの余韻つまみに味わう酒。そのお供には、日本一のりんごの街弘前での夜に相応しいお菓子たち。
酸味や甘味のバランスが心地よい亀吉と、甘酸っぱさ広がる津軽のりんご。ようやく本当に弘前へと戻ってくることができた。その悦びを噛みしめつつ、ねぷたの余韻に抱かれしみじみと酒を傾けるのでした。
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