長きに渡り、本州と北海道の間を見えない鉄路で結んできた青函連絡船。八甲田丸でその歴史の深さを心に刻み、次なる場所へと歩いてゆきます。その前に、もう一度だけ振り返りお別れを。海峡の女王とも称された優美な姿は、今でも遠くの函館を静かに見つめているかのよう。
その反対側には、重厚な姿で佇むにっぽん丸。大動脈として黙々と働くことが八甲田丸の使命だとしたら、このにっぽん丸は船客に非日常を提供するために生まれた船。機能美と、気品の美。全く違う使命を負ったふたつの船は、それぞれ味わいの違う優美さを輝かせます。
海上を結ぶラブリッジを渡り、対岸に位置する三角形が目印のアスパムへ。ビルの横には大きなねぶた小屋がずらりと並び、今宵の出陣に向け鋭意作業中。日立のねぶた小屋では、たくさんのソーラーパネルで充電が行われています。
こちらの小屋では、高所作業車に乗って点検する様子も。これだけの大きさのねぶたが街を行く。やっぱり一度は青森ねぶたも見てみなければ。
弘前ねぷたと同様、日本や中国の故事や神話など様々な題材が表現される青森ねぶた。中には歌舞伎の舞台から飛び出してきたかのような連獅子の姿も。
物語の一場面を、躍動感あふれる姿で切り出す勇壮なねぶた。生で見るこの臨場感は、紙と骨組みだけでできているとは到底思えない。
色彩の鮮やかさもさることながら、緻密かつ大胆な造形が青森ねぶたの特徴。昼間明るいうちに見てこれなのだから、夜闇に浮かぶ姿は想像を遥かに越えるほどの迫力を放つのだろう。
独特な土偶の表情が印象的な、三内丸山遺跡を題材としたねぶた。その手前には、スポンサーの商品を模った小さなねぷた。わんチュール、だいちゃんにもあげてみたかったなぁ。
わが子のぺろぺろする姿を思い出し、胸がきゅんとなったところでお隣の小屋へ。こちらは水中での格闘を描いたねぶた。口から出る泡があまりにも見事で、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
そしてこちらのねぶたは、本土復帰50周年を迎えた沖縄に伝わる神話を題材にしたもの。津軽と琉球。僕の愛するふたつの地の文化が、ここでこうして交わる瞬間に出逢えるなんて。
灯籠から始まり人形型へと発展していった津軽の祭りも、青森と弘前でここまで違う進化を遂げるとは。毎度のことながら、僕は昼間の小屋の中のねぶたしか見たことがない。やはり一度は、青森ねぶたを体験したい。
みんな今宵の祭りへの期待に昂る中、もうすぐ僕は帰らなければならないというこの切なさ。二夜も弘前で浴びたじゃないか。そんな贅沢を言うなと自分に言い聞かせつつ、この旅最後の津軽グルメを味わうべく『長尾中華そば』青森駅前店へとお邪魔します。
あっさりとこってりのこく煮干し、それを合わせたあっこくと3種のスープ。それに手打ち、中太、細麺と麺の種類も選べ、どれにしようかと迷ってしまう。でもやっぱり今回も、こく煮干しの手打ち麺を注文してしまいました。だってこれ、間違いないんだもん。
まずはきらきらと銀色が輝くスープをひと口。その瞬間、脳へと走る嬉しい衝撃。
東京でこの手の見た目の煮干しラーメンを食べようものなら、臭み、苦みが必ずと言っていいほど感じられ、僕にとっては煮干しの嫌な部分を抽出したのではないかと思えてしまうほど。
でもここのこく煮干しは全く違う。何故こうも煮干し臭くないのか。それでいて、何故これほどまでに、煮干しの旨さだけが凝縮されているのか。このラーメンを食べるのは3度目ですが、この衝撃と感動は決して色褪せない。
つづいて、手打ち麺をずるずるっと。色白の太めの麺はしなやかで、もちっとぷりっと瑞々しさを感じる食感。この太さと食感のバランスが、しっかりとしたスープをより引き立ててくれるよう。
あぁ、うまい。やっぱりうまい。麺を啜る手は止まらず、あっという間に終了。そこで無料のご飯をもらい、スープに入れて禁断の煮干し茶漬けに。あぁ、沁みる、うまい、うまい、うまい・・・。麺を変えたらどうなるんだろう。また次へと繋がる宿題を残し、大満足でお店を出ます。
2年半ぶりの津軽路は、やっぱり最高のひと言だった。間もなく終わろうとする僕の津軽での時間を惜しみ、駅前をもう少しだけ散策。するとワラッセ横の広場では、津軽三味線の生演奏が。
今年は弘前駅でのお出迎えもなかったし、生では聴けないだろうと諦めていたこの音色。バチを打ち付けんばかりに弾く三味線は、もはや打楽器ともいえるような力強さ。
10年前、初めて出逢った胸を打つ三味の音。ねぷた、津軽の味、そしてこの力強い音色にあのとき出逢えたからこそ、僕はこうして毎年心に火を灯して頑張れる。胸の奥底へと響く津軽の力をしまい込み、来年までの熱さをしっかりと刻むのでした。
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