長く急な釜トンネルを抜け、いよいよバスは上高地へと入ります。そして大正池バス停で下車。前回は雨のため断念した、上高地を代表する景勝地、大正池。初めての対面を目前に心拍数が上がるのを感じます。
バスから降りたみんなに続き、坂を下ることすぐ。ついに、初めての大正池が眼前に。この感動、今思い出しても鳥肌が立つ程。
視座を低く落とせば、どこまでも澄み切った水が寄せては返す煌めきと音、そして水を渡ってきた爽やかな空気を顔に感じることができます。爽快、まさにそのひと言に尽きる。
あれ程清冽な水も、深さが変わると吸い込まれるような碧さを湛えた色に。原理は分かっていても、空と水の青さは不思議なもの。この碧さはこの晴天でなければ味わえないことでしょう。
この池を造った焼岳から振り返れば、この眺め。景色を見て身震いするほど感動することは、一生のうちどれだけあるのだろうか。この瞬間、僕は間違いなくその貴重な感覚に襲われました。
視界の全てが青と緑、そして白だけで覆われる。水も、空も、そして山も、全てが青い。山を飾る木々の緑も、残雪と雲の白も。どの色彩も無限大のグラデーションで彩られ、自然の造る豊かな色彩にただただ息を呑むことしかできません。
あまりの衝撃にしばし呆然と立ち尽くしていましたが、ふと我に返り水辺の散歩道を歩き始めます。季節は初夏、若葉の一番輝く季節。常緑樹の額に納められた新緑は、一層輝きを強めます。
上流へ少し行ったところで再び河畔へ。白い川原と立ち枯れの木が、焼岳の荒々しい姿を彩ります。
焼岳の噴火により、一夜にしてできた大正池。立ち枯れの木々はその代名詞とも言えますが、長い時間水に晒され、年々その数は減ってきているそう。確かに、子供の頃に見たテレビや写真よりも少ない。この景色もいずれ貴重な記録となるのでしょう。
山からは、梓川へと絶えず清冽な水が流れ込み、その水の冷たくて気持ちの良いこと。自分は今、日本アルプスの真っただ中に抱かれている。そのことを今一度噛み締めたくなる、清らかさ。
穂高を正面に見据え、静かに進む木立の中の小径。青と白の奏でる輝きに、山と空の境界すら溶けてゆくような神々しさを覚えます。
アルプスの山々に降った雪は、長い時間を掛けて地上へと姿を現す。大地を透るその間に、水はこれほどまでに清らかな姿になるのでしょう。水が元気なら生き物も元気。思い切り勢いのある緑の豊かさに、生命体と水が切っても切り離せない関係であることを思い知らされます。
水と緑と、山と空。全てがそれらで形作られる上高地。神垣内という古の表記の方がしっくりくる。そんな聖域での散策はまだまだ続きます。
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