初めて訪れた旧開智学校。明治期の建物の持つ荘厳さの余韻を残しつつ、時代を遡り江戸、更には戦国時代へ。この旅最後の目的地、大好きな松本城へとやってきました。
今回は、これまでとは反対側からのご対面。真っ先に見えてきたのが、赤い橋越しの松本城。せっかくなので、今まで見たことの無い松本城を見てみようと、お堀端をぐるっと回ってみることに。
ごつごつとした石が積まれた石垣は荒々しく無骨な雰囲気。そんな石垣に挟まれたお堀には、何羽かの白鳥が暮らしています。
白鳥に見送られ外堀をぐるっと回ると、広い空間が現れます。ここは二の丸御殿跡。木々の間からはしっかりと松本城がその姿を現しています。
広大な二の丸御殿跡の先には、平成に入ってから復元されたという太鼓門。ここから城内へと入るのは初めてのこと。
復元する際に使われた木材はとても立派なもののようで、まだ若い色を除けば、昔からの門と言っても全く違和感がありません。
これが半世紀、一世紀過ぎた頃には、江戸時代から在るかのような姿になるのでしょう。木や石、紙といった素材の経年美こそ、日本の建築美なのかもしれません。
赤い埋橋からぐるりと外周を歩き、前回も、前々回も見た、見慣れたアングルの松本城が眼前に登場。お城の黒を真似るかのように、影のように黒々とした信州の山並みが横たわります。信濃の山々あってこその、松本城。この姿とロケーションに、何故か魅かれてしまうのです。
角度を変えて再び見とれることしばし。松本城の美しさには死角が無い。3度目となった松本城を見て、今一度強くそう実感します。
雄々しい石垣の上に載るのは、天守と櫓が組み合わさる複雑な城郭。それでいて、石垣の足元から天守の先の鯱まで、凛とした直線で結ばれている。一本筋の通ったその姿が、黒と白のお城を一層引き締める。
要するに、直感的に感じる格好良さ。ただそのひと言。
僕は歴史や城郭好きでも、建築マニアでも何でもありません。なので、詳しいことや深いことに関しては全く無知。それでも美しい建物全般に共通することとして、魂のようなものが詰まっているように僕には感じられるのです。
この松本城が、まさにそう。このお城の持つ強い意志が、落城や破壊、戦災から身を守ってきたのではないか。それとも、人々が寄せた思いが、このお城に詰まっているからなのか。そんな感情が宿っている、「生きた」建物に思えて仕方ないのです。
その証に、一歩一歩お堀端を進めば、一つひとつ表情を変えて見せてくれるのです。だから、歩みが進まない。ブログに載せた写真以外にも、何枚の写真を撮ったことだろうか。
どの角度から見ても、決してぶれることなくきりりと揃った角。それはまるでお城自身が自分を律しているかのような気迫を感じます。
立って眺め、歩いて眺め、ベンチに掛けてまた眺め。松本城に着いてからかれこれ1時間以上経っていました。
そして最初に出会った、赤い埋橋越しの松本城。これで一周したことになります。ダメだ、キリがない。ここで踵を返し、松本城を愛でつつそろそろ駅方向を目指さないと。
それでもやはり、だめでした。さあ松本城に別れを告げようと振り返れば、この雄姿。再びこの場のベンチに捕まってしまいました。
僕が初めて松本城に出会ったのは、もう四半世紀近く前のこと。小学校中学年の頃でしたが、その時の光景は今も忘れることのできない、鮮明な記憶として脳裏に焼き付いています。
その日、僕は両親におねだりをして、初めて電車で松本を訪れた。憧れの特別急行あずさ号で、まだ見ぬ終点まで行ってみたかったがための、日帰り小旅行。でもその時に見た松本城は、僕にとって鉄道に勝るとも劣らない強い印象を植え付けた。
その時お城を眺めたのも、今日と同じ内堀越し。地面から異様に近い水面と、目の前に聳える黒白の天守閣は、僕の見たことの無い姿のお城だった。その雄姿に一瞬にして釘付けになり、僕はその場を離れたくないと強く思ったことを今でも覚えている。
しばらくその場からお城を見上げ、この光景を目に焼き付けておこうと思った。時刻は夕暮れ前。夕飯を食べてから特急で帰る予定だったので、もうそろそろお城を離れなければならない。暮れ始めた空に浮かぶ烏城と、その背後に連なる信州の山並みが、今でも僕の心に焼き付いて離れない。
ベンチに腰掛け、遠い思い出を辿ることしばし、ようやく松本城を離れる決心がつきました。
お城と再会してからかれこれ2時間。どうやら小学生の時に味わったあの感動は、美化された記憶では無かったようだ。大人になった今でも感じる、この離れがたい気持ち。
何なのだろうか。でも、まあいい。こうして3度目も訪れることができたのだから。また次も、絶対にあるはずだから。
僕には縁もゆかりもないのに、何故かしら強く魅かれる地点がいくつかある。松本城もその場所のひとつ。今度は雪化粧でも見に来よう。強い願いをこの地に残し、再訪のその時までしばしの別れを告げるのでした。
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