5月半ば、爽やかな初夏の真っただ中。僕はついに憧れの光景を目にし、肌で感じることとなる。
今回の目的地は、上高地。上高地はもともと、穂高岳に神様が降り立ったということから、神垣内と書かれていたそう。そして今回、その名の由来を全身で感じることができた。
神降地、神興地、上高地。本当に行けて良かった・・・。僕の安っぽい言葉では伝えきれない神々しさ。それでもやはり、書き残したい。
ブログを書くにあたって写真を見返すだけで、その余韻が鮮明に蘇る今回の旅。その出発点は、もうどれだけ使ったか分からないほどお馴染みの、新宿駅。
オレンジがテーマカラーとなるいつもの中央線ホームではなく、深い青の番線表記が旅心をくすぐる、特急ホームからの出発。そう、この色こそが、僕が小さい頃から慣れ親しみつつ、はるか遠くへと思いを馳せるきっかけとなった、「中央本線」そのもの。
形は変われど、僕の憧憬の念を受け止め続ける「特別急行あずさ号」で、僕は旅立ちます。
国鉄型では無い、JR型のあずさ号は、音も無く静かに新宿駅を滑り出します。社会人になってからの数年以外、生まれてこの方離れることの無い中央線。その日常とも言える景色も、特急列車に揺られれば非日常に昇華されてしまう、不思議な感覚。
その旅立ちを祝す供にと選んだのは、風よ人よ水よ。僕の好きな加賀鳶を造る金沢の酒蔵、福光屋のお酒。その瓶の色の通り、爽やかですっきりとした、軽快な印象のお酒。初夏の車窓にぴったりです。
見慣れた景色が流れる車窓を眺めつつ、早速お昼を食べることに。今回は、道中に通る小淵沢駅の丸政が作る、「駅弁誕生130年記念辨當」を購入。掛け紙には古い八ヶ岳周辺の観光地図がデザインされています。
蓋を開けると、鮭や唐揚げ、煮物や玉子焼きといった、昔ながらの駅弁のラインナップ。ご飯はというと、お握りかと思いきや、今流行りのお握らず。
古き良き掛け紙を開けて登場したお握らずに、流行の波って怖いなぁ、などと思いつつ、食べてみれば安心する幕の内の味。最近ちょっとずつ色々な味を楽しめる駅弁を買うことが多かったため、久しぶりにザ駅弁!というシンプルさにホッとします。
そして列車は、この駅を通過。僕の生まれ育った、三鷹駅。もうどれほどブログで書いたことか。僕の「特別急行」への憧れは、すべてここから始まった。
改装され、当時の国鉄末期からJRの黎明期ならではの陰鬱さが、すっかり消え去ったホーム。それでも広い構内を見れば、鉄道の要所として栄え、「電車」のみならず「列車」が停まることの誇らしさを、幼い胸に植え付けたあの印象が甦る。
時には通過するあずさを羨み、時には手旗を携え列車を迎える助役の姿に旅情と憧れを感じ。電車には決して使用しない、緑と赤の分厚い手旗。到着前から「特別急行かいじ○○号甲府行き」を幾度となく繰り返す、助役の放送。
物心ついた頃から三鷹駅で眼にし耳にしてきたこの光景こそが、僕の鉄道の一番古い記憶かもしれない。だから今でも、僕にとって特急は、特別な急行そのもの。
今の子供たちは、特急は何の略なのかも知らないかもしれない。それはとてもかわいそうなこと。特別急行の持つ響きに心を躍らせる経験が、無いのかもしれないのだから。
思い返せば、大人になって自分で特別急行券を買えるようになってから、あずさに乗るのは初めてのこと。前回松本へ特急で行ったのは、8年も前のこと。その時はスーパーあずさに乗ったので、自分のお金で伝統のあずさに乗るのは、これが本当に初めて。
灯台下暗し。各地の特急に乗ってきましたが、幼少から憧れ続けてきたあずさに乗るのが初めてなんて。その感慨に、気が付けば目頭が熱くなる。そんな僕を乗せ、あずさは険しい山へと挑み始めます。
眼下には、水を張ったばかりの田んぼが一面に広がります。山間の狭い平地を占めるその光景に、古から続く人とお米との繋がりを感じずにはいられません。
8年前、初めてスーパーあずさに乗った僕は、振り子車両が叶えたその速さに驚いたものでした。そして今回、新型になってから初めて乗るあずさ。車両は変われど切れ込んだ谷に寄り添い駆ける姿は、小さい頃に味わった中央本線の険しさを感じさせる当時のまま。
やはりあずさは、あずさのままで居てくれた。その嬉しさをつまみに、福光屋の福正宗をちびり、ちびりと味わいます。
あずさはひたすら険しい山に挑み、ついに甲府盆地へと突入。視界が開けた瞬間に訪れるその爽快な眺め。初夏の光と風を溢れんばかりに湛えるような盆地の姿に、山梨入りしたことを強く感じます。
列車は盆地を駆け降り甲府を過ぎ、再び盆地の縁へと挑み始めます。その頃になれば、車窓には果樹園の先に横たわるアルプスが見え始め、これから向かう信濃の国への期待が、いよいよ膨らみ始めます。
あずさは遂に山を越え、信州に入ります。遠くにはきらきらと輝く水を湛える、諏訪湖の姿。
その利便性や安さから、どうしても信州へは高速バスを使いがちだった僕。久々に乗ったあずさは、この上ない山の鉄路の持つ風情を、そんな僕の目に見せてくれました。
防音壁に囲まれた高速道路では決して味わうことのできない、窓の外の光景と対峙する感覚。明治から連綿と続いてきた中央本線の歴史。あまりに身近すぎて見ようとしてこなかった。そんな自分を悔やむほどの、風光明媚な車窓に彩られた鉄路。
故郷や今住む場所と一本の線路で繋がっていることが、今更ながら不思議に思えるのでした。
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