上杉神社や松岬神社のお参りを終え、米沢城跡を後にします。時刻はちょうどお昼時。旨いものだらけの米沢において、何を食べるかが悩みどころ。でもやっぱり麺好きとしては、米沢名物のラーメンで決まりです。
米沢にはたくさんのラーメン屋さんがあり、それぞれ特色のあるラーメンを出しています。さらに、横浜のラーメン博物館で食べてすっかり虜になった、赤湯の辛味噌ラーメン龍上海の支店もあるとのこと。
出掛ける前にすこし調べてみましたが、あまりに軒数が多く広い範囲にお店が点在しているため、もうどこへ行けばいいのやら状態でここまでやってきてしまいました。
そこで米沢城跡を出る前に近くのお店を軽く検索し、直感でおいしそうだと思った『桂町さっぽろ』に行ってみることに。お城からは駅と反対方向に歩いて10分程の場所にあります。
外観からして昔から地元に愛される食堂といった雰囲気。店内もこぢんまりとしており、すでに地元のお客さんでほぼ満席。ちょうど一卓だけ空いていたので、待たずに座ることができました。
馴れない雪道で消耗した体力を瓶ビールで癒すことしばし、お待ちかねの米沢ラーメンが運ばれてきました。澄んだスープに縮れた麺、そして王道の具たち。食べる前から旨いに決まっているといった美貌。
まずは澄んだきれいなスープをひと口。そう、この旨さ。見た目を決して裏切らない、素朴で実直な中華そばを体現したかのような味わい。レンゲから口を経由して、知らぬ間に体に染みこんでしまう、そんな優しさ。
色は薄めですがしっかりとしょう油の風味があり、そして旨味とコクがしっかりとスープに出ています。でも○○ダシ!と個性を主張しすぎない。穏やかでバランスが取れているといった印象。
そしてそれ以上に個性を感じたのが、細く縮れた麺。この麺は生まれてこの方食べたことのない味わい。大袈裟ではなく、本当に衝撃的でした。
もうなんとも言えぬ食感。瑞々しくて、しなやかで。もっちりしていて、艶っとなめらか。柔らかさもありながら、しかしのびているわけでもない。
本当に初体験の麺。ラーメンって、こんな麺だったっけ?普通の見た目とのギャップに、しばらく頭にハテナが並びます。この独特のなめらかさは一体何なのだろうか。
もうこれはやはり水が違うとしか思えない。ラーメンの旨い土地はみんな米どころ、酒どころ。全てを育む水の違いが、全ての仕上がりに影響してくるのでしょう。スープも麺も、水から生まれるものなのです。
喜多方も、白河も、弘前も、そしてここ米沢も。東北で食べる中華そばは、なんでこんなに素朴で無駄のない優しい味わいなのだろうか。それぞれに味の違いはもちろんあるのですが、共通して感じるのが「素」の旨さということ。
水が良ければおいしいだしが出る。水が旨ければ素材の味が引き立つ。だから無駄なことをしなくてもいいのでしょう。小手先でごまかさない、普通のおいしさが凄く嬉しい。
お水が良いということは、その土地の財産だと僕は思う。東京に暮らしていて、一番手に入らないものなのです。あぁ羨ましい。東北のラーメンは、ハズレがありません。
適当に決めて入ったお店が大正解!おいしい米沢ラーメンでお腹もこころも満たされ、米沢の街をぶらぶらとのんびり散策。昔からの城下町らしく、道沿いには古き良き建物がちらほらと残されています。
ここで冬の米沢まめ知識。冬の米沢では、歩きスマホダメ絶対!歩道の半分は雪で埋まり、歩く部分が狭くなっています。更に米沢で初めて目にしたのが、大きく口を開くスカスカの金網。
この金網は流雪溝と呼ばれる水路に掛けられた蓋で、場所により足を踏み抜いてしまうほどの網目の広さがあります。それだけでも危ないのに、除雪のためその金網自体が外されている部分も多数。
ですから、本当に足元には要注意。雪で転ぶ&溝に落ちるのダブル危険を回避するため、観光客は充分気をつけなければなりません。いやはや、豪雪の地の大変さがこれだけでもひしひしと伝わってきます。こんな設備初めて見た。
それもそのはず、この雪の量ですもん。この道路は本来、片側1車線の2車線道路。それが雪に埋もれて1車線が使用できなくなっています。ひとまず通れる部分は作っておかなければ。雪と除雪のいたちごっこ、本当に大変そう。
雪に圧倒されつつ歩くことしばし、上杉神社と駅の間に位置する『酒造資料館東光の酒蔵』に到着。立派な蔵とどっしりとした木造建築が、白い雪に美しく映えます。
上杉家の御用酒屋として創業し、400年以上米沢の地でお酒を造りつづけている小嶋屋総本店。帳場等に使われていたこの母屋は大正時代に移築されたものだそう。
時を経た木材の放つ渋い雰囲気に誘われて奥へと進むと、つづいて重厚な蔵の入口が。この土蔵が以前は仕込み蔵だったようです。
中へと入れば、驚くのはその広さ。この土蔵は東北一の広さを誇るそうで、一棟で140坪あるそう。この豪雪の地で140坪の建物を支えるため、太い梁や柱が無数に張り巡らされています。
中には昔の酒造りの道具をはじめとする資料がたくさん展示されており、日本酒がいかに大切に造られてきたかが伝わってきます。そして蔵の奥にはレンガ造りの麹室が。昔はここで酒の命である麹を育てていたのですね。
酒造りの心臓部である仕込み蔵を離れ、再び母屋へと戻ります。先ほどの入口側は帳場等のあるいわば表側。一方こちらは板の間やそれに続く茶の間など、人々の暮らしを感じさせる部屋が並びます。
台所や囲炉裏、茶の間には古い生活道具や民芸品がたくさん置かれ、古の生活の雰囲気が伝わるかのよう。そして最奥にある上段の間には、江戸時代の享保雛が飾られています。
母屋の中には東光の仕込水が引かれ、味わうことができます。さっそくひと口味わってみると、おぉ、このお水だからあの東光の味になるんだ、と感じる芯のある味と口当たり。日本酒は本当に米と水だけでできている。そのことを今一度実感できます。
米沢藩御用達の酒造りの歴史を感じたところで、最後に多くの試飲が並ぶお土産コーナーへ。こちらには清酒だけではなく、酒粕で作った甘酒やお漬物なども試してみることができます。そして有料の試飲も。
あぁここで出来あがっちゃおうかな・・・、なんて邪な気持ちを収めるのに一苦労。だめだめ、このあと絶対に楽しみたいお風呂が待ってるんだから。
ということでいくつか気になったものを試飲し、昨晩飲んだ白い酒を3本まとめて自宅へ発送してもらいました。このにごり酒、本当に旨かった。刺身とでもいけてしまう、にごりなのに雑味や厭味のないお酒なのです。
重厚な酒蔵でほんのり良い気分になったところで、再び米沢の街をのんびりぷらぷら。東光の酒蔵から駅方面へと進むと、黒い板塀に白い雪が映える一角が。
ここは東寺町といい、直江兼続公が防衛機能を持たせるためにお寺を集めて造った町だそう。昔の城下町はお城やお堀だけではなく町全体で防衛の役割を果たしていた、そのことを今に伝える区割りです。
そしてこの細い道は、武者道と呼ばれるみち。武士と町人のまちの境に通された川沿いの細い道は、下級武士が刀を差さずお忍びで買い物をするときに通った道だそう。
すっかり市街地化されていますが、それでもこうして歴史ある道が整備され残されている。何もかも再開発されてしまう環境に住む僕にとっては、この街に対する愛着のようなものがとても眩しい。
味覚と風情で楽しませてくれる初めての米沢。もうそろそろ宿の送迎バスの時間なので、駅を目指してのんびり歩きます。途中には屋根上で雪を下ろす幾多もの人々の姿が。
ちょうど信号待ちの際、その様子を大変だなぁなどと眺めていると、そのおうちのおばちゃんが話しかけてきてくれました。「これが雪国の暮らしの一部なんだよ」と。
ここ米沢に来て、一体どれほど雪下ろしする光景を目にしたことでしょうか。僕のような観光客は遊びに来るだけなので気楽なものですが、雪国に暮らす方の大変さは想像すらつきません。
そう伝えると、これが当たり前だから全然平気なのだそう。いや本当は、きっと大変に違いありません。そして最後に「もう米沢牛は食べた?美味しいものたくさん食べて帰ってね」と見送ってくれました。
もっと早くに来ればよかった。これまで米沢を訪れる機会をなぜ設けなかったのか。そう思うほど、美味しいものがあって、景色がよくて、そしてなんだか雰囲気があって。
東京から新幹線で2時間。これはまたひとつ知ってはいけない場所に出会ってしまった。初めての米沢歩きに、再訪の予感がどんどんと大きくなってゆくのでした。
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