米沢駅から宿の送迎車に揺られること約40分、この旅最後の宿泊地である白布温泉に到着。数軒の旅館が点在するなかで今回選んだのは、『中屋別館不動閣』。豪雪露天の東屋や湯滝の西屋にもひかれたのですが、僕がどうしても入ってみたかったお風呂が、ここにあるのです。
逸る気持ちを抑えてまずはチェックイン。玄関前のいろりでお茶をいただきながら宿帳を書きます。こちらのお宿は3つの棟からなり、それぞれ大正、昭和、平成の建築だそう。
先ほどの写真が、大正時代に建てられた不動閣。米沢の酒蔵の自宅を昭和36年に移築したもので、囲碁の対戦も行われる歴史ある建物。その隣、お風呂のある棟が平成築の黎明館。そして僕が今回泊まるのが、昭和39年に建てられたという渓谷館。
昭和39年というだけあり、玄関や廊下にはすでに渋く心地良い雰囲気が漂います。部屋の扉を開ければ眼前に広がる壁一面の大窓と、それを染める雪景色。大袈裟ではなく、自然とため息が漏れる美しさ。
その雄大な景色に目を奪われがちですが、このお部屋の雰囲気がまた懐かしい。洗面台の横には見るからにレトロな冷蔵庫が。これが現役で動いているのだから凄い。今手に入れようと思っても手に入る物ではないのではないでしょうか。
なんだろうこの感覚。僕、この雰囲気好きだ。昭和39年、僕が生まれる17年前。その17年の間に、日本はものすごく変化したのでしょう。正直懐かしいといってもそれは空想、妄想の類であり、実際に僕が体感したことのない懐かしさ。
でも、それでもものすごく懐かしさを感じる。もっと古い宿にも泊まりましたが、この手の届きそうで届かない、絶妙な古さが僕の感情を刺激するのかもしれない。廊下の絨毯や照明も、部屋のドアも掲示物も。僕の子供の頃に感じた心地良い古さが随所に残っている気がするのです。
白布の湯に浸かる前に、高度経済成長期生まれの建物の持つ熱量に危うくのぼせるところだった。気を取り直して、浴衣に着替えてお風呂へと向かいます。
こちらには大浴場と露天風呂のふたつの浴場があり、それぞれ離れているため浴場間は服を着て移動する必要があります。まずは明るいうちにと露天風呂へ。
広い湯船を満たすお湯は、無色透明ながら白い湯の花が舞う穏やかで優しい浴感。白布のお湯は熱いため加水はしていますが、豊富な量のお湯が絶えず掛け流されています。
露天風呂は少しぬるめになっており、この雪景色を心ゆくまでのんびり楽しめます。最上川の源流が刻んだ渓谷は深く、雪に覆われたその姿はまさに水墨画。凛とした冬の空気に包まれ、時の流れすら止まってしまったかのよう。
この雪見露天も、ものすごくいい。高湯、小野川ときて最後に白布。この旅の動機ともいえる雪見露天の欲求を満たしてくれた主役たち。この眺めだけで贅沢。もう言うこともない、最後の〆として相応しい雪見風呂。
この時期に吾妻山麓へやってきて大正解だった。モノクロームの世界を目と肌で味わい、続いてはお目当てのあのお風呂へと向かうことに。その途中には、こんな大きな展示物が。
実はこれ、東京オリンピックの聖火リレーの際、山形県庁に設置された聖火台。ここ白布で切り出された石が材料として使われており、使用後にこちらの宿に寄贈されたもの。
渓谷館は昭和39年築、そして館内には聖火台。ここまできたらもうお風呂の名前はこれしかないでしょう、中屋別館不動閣名物のオリンピック風呂。のれんにも男湯マークにも五輪が描かれています。
浴衣を脱いでさっそく浴室へ。入った瞬間、写真でその凄さを知っていたはずなのに「おおぉ!」と感嘆の声を上げてしまいます。湯気で曇っていますが、手前から奥まで窓側すべてが細長い浴槽。その長さを目の当たりにすれば、ただただ圧倒されるばかり。
このお風呂の造りがまた凝っており、お湯と景色を存分に愉しんでもらおうという宿のこだわりがひしひしと感じられます。まずはなぜこんなに細長いのか、ということ。
窓に広がる最上川源流の渓谷美を入浴する人すべてが楽しめるよう、湯船にもたれ足をのばして丁度いい幅に造られています。この日もスキー客で賑わっていましたが、肩が触れ合ったりお見合いすることもなくものすごくゆとりを感じます。
さらにこの細長い湯船にまんべんなく新鮮な源泉を掛け流せるようにと、窓側に通されたパイプの小さな穴から源泉が投入されています。ですからどこに入っても新鮮なお湯が供給され、極端に熱い、ぬるい部分もありません。
そしてこれだけ浴室が広いため、一見湯気が立ちこめているように見えますが息苦しさは皆無。洗い場も長い分たっぷりと用意され、浴室と脱衣所は排湯を利用した床暖房完備。もうこのお風呂に対する情熱がすごい。
最初は僕も、この日本最長級といわれる長~いお風呂に入ってみたい、その程度にしか思っていませんでした。でも実際こうして入浴してみると、細部まで込められたお風呂へのこだわりが功を奏してとても快適。この感覚はほかの大浴場では味わったことがありません。
ちなみにこのオリンピック風呂は平成にできた二代目。初代は東京オリンピックと同じ昭和39年10月に完成したため、この名前が付けられました。
長さも眺めも心地よさも、文字通りのオリンピック級。その名に恥じぬ唯一無二の大浴場に感動すら覚え、部屋へと戻りビールを喉にぐいっと流します。
高湯、小野川、白布と4日間続けてきたこの作業もこれで終わり。雪見風呂からの雪見ビール、この趣味を持っていて本当に良かったと心の底から思える至福の瞬間を味わいます。
そういえば、送迎車の中で宿の方が教えてくれたこと。ここ白布温泉は、以前は白布高湯と呼ばれていたそう。東北には他にも高湯と名の付いた温泉があり、それが旅の始まりの高湯温泉(信夫高湯)と蔵王温泉(最上高湯)だそう。いつしか信夫高湯だけにその名が残ったようです。
その東北の三つの高湯、つまり奥州三高湯を巡ると全国の温泉を巡ったと同じ効能が得られると言われたのだそう。この旅でふたつの高湯、そして以前スキーで蔵王にも行ったので、僕はこれで三高湯制覇したことに。めちゃくちゃ元気になったらどうしよう。
今度は奥州三高湯を連泊で数珠つなぎ・・・。ビール片手にそんないけない妄想をし、気が向いたところで再びお風呂へ。白い湯の花の舞うお湯と戯れ、至福の時を過ごします。
その行き帰りに通るのが、大正時代建築の不動閣。時を経て鈍く輝く木の美しさと、欄間など細部にまで施された装飾に感じる当時の美意識。自室から浴場へと移動するだけで、この宿では大正昭和平成と三つの時代のタイムスリップを味わえます。
部屋一面に広がる銀世界。電気も点けず本も読まず、ただただぼんやりとその美しさを眺める湯上がりのひととき。気付けばだいぶ暗くなり、白銀の世界は夜の青さに染められつつあります。
あぁもうすぐ日が暮れる。そうぼんやりしているうちにお待ちかねの夕食の時間に。広間での夕食のつもりでしたがなんとお部屋食。ひとり旅なのにお手間を掛けて申し訳ない。
久々のお部屋食に恐縮しつつ待っていると、テーブルの上にはおいしそうなものがずらりと配膳されてゆきます。先付は山形の冷汁。しいたけや菊、にんじんや菜っ葉の冷たい煮浸しで、おだしの味わいと野菜の香りがよく合いさっぱりとした美味しさ。
前菜は山うどに甘えびの塩辛、生麩の田楽と美味しいものをちょっとずつ。たけのことたこの煮物も素材の味を活かす薄味で、山菜の載った冷たいそばは茹でたてつるしこの旅館のものとは思えない食感。
そして目を引くのはやはりいい色をしたおいしそうな牛しゃぶ。赤身と脂のバランスが丁度いいお肉をさっとお湯にくぐらせれば、口の中でほどける柔らかさと広がる旨味、甘味。山形は本当に牛のおいしいところ。その味を邪魔しないよう、ごまだれではなくぽん酢なのも嬉しい。
うん、お肉やっぱり旨い。でも僕は思った。米沢はやっぱり鯉!!あらいは厚みがあり、見るからにおいしそうな濃い桃色をしています。六十里では生姜醤油で食べましたが、こちらでは王道の酢味噌で。
長い期間大切に育てられた鯉は身がしっかりとしており、噛めば期待に応えてくれるような歯ごたえ。じんわりとした旨味はありつつ臭みはなく、その繊細な鯉の味を殺さない程度の酢味噌がまた丁度いい。一緒に添えられた刺身こんにゃくも舌を喜ばせるような滑らかさ。
そして中央の上、竜田揚げの様に見えるのは鯉の骨切甘煮。鯉は骨が多いため当たらないよう丁寧に細かく骨切りし、からっと揚げて甘煮のたれを掛けたもの。
これの食感がものすごく、「からっと」ではなく「ガリッと」と表現した方がしっくりくるほどのクリスピーさ。でもそれは決して揚げすぎているものではなく、食べるのが楽しくなるガリさく感。そんな香ばしく揚げられた鯉に甘煮のたれが合わない訳がありません。
いやはや、この旅は全てにおいて当たりだよ。最高の旅の締めくくりにふさわしい夕餉のお供に選んだのは、米沢の日本酒おためしセット。地元のお酒から3種類を選び、飲み比べできます。
野菜でひと口、牛でひと口、鯉でひと口。地の料理と地の酒の相性は言わずもがな、もうただただ最高のひと言。最後においしいご飯と白菜のお漬物で〆て、大満足の夕食となりました。
窓の外はすっかり漆黒の闇。こうなればあとはお湯と本とお酒を味わうばかり。そんなこの旅最後の夜のお供に選んだのは、高畠は後藤康太郎酒造店の羽陽錦爛桜羽前二重。山田錦と酒未来という二種のお米から造られているようで、香りのよいすっきりとした味わいのお酒。食後でもすいすい飲めてしまいます。
続いて開けるのは、こちらも高畠の米鶴酒造、殿様の酒。上杉神社近く、上杉城史苑限定のお酒です。こちらも先ほどと同じ純米吟醸ですが、よりお米の味わいを感じる飲み口。それでいてしつこさはなく、日本酒らしい日本酒といった雰囲気。
今日一日を掛けて味わった、初めての米沢。雪の多さに圧倒され、米沢の気候風土が育んだ旨いものを味わい。その礎を築いたお殿さまの歴史にも触れ。
このお酒のラベルに書いてあることが、なぜだかこころに沁みてくる。厳しい気候風土にも負けず、人々が長年を掛けて育んできた文化がある街。僕が魅かれる街はそいういう場所なのかもしれない。初めての米沢に酔いしれ、穏やかに白布の夜は過ぎてゆくのでした。
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