濃厚な展示物に圧倒された黒島研究所に別れを告げ自転車にまたがることすぐ、集落の気配とともに大きなビジターセンターが。確かこのあたりのはずだとゆっくり進んでゆくと、右手に特徴的な小山を発見。
このプズマリは、かつてこの地が琉球と呼ばれていた時代に遠見番所として使われていたもの。頂上から海上を監視し、異常があったらのろしを上げる。それを見た次の島ものろしを上げ、そのリレーにより石垣島にある蔵元まで異常を知らせていたのだそう。
波照間島で見たコート盛と同様に、珊瑚の石を渦巻き状に積み上げた印象的な姿。以前は頂上まで登れたようですが、現在は崩落の危険があるため下から眺めるだけとなっています。
プズマリの横の道を進んでゆくと、西の浜以来となる海岸線へ。鮮烈なあおさに輝く海の先には、上地島と下地島ふたつの島からなる新城島を一望のもとに。確かにこれは、隣の島ののろしがよく見えそうだ。
視線を左へと移せば、視界を染める眩い天然色。延々と続く遠浅の磯は、砂地に広がる海とはまた違った色合いに。幾重ものあおの濃淡が織り成す色彩は、まるでみんさーの帯のようなうつくしさ。
火番盛の歴史と海のあおさに触れ、再び島の南端を目指しペダルを漕ぎます。すると草むらにかわいい仔牛とヤギを発見。日陰もほとんどなく日射から逃げ場のない道のり、木陰で休む姿がちょっとばかりうらやましく思えてくる。
プズマリのある宮里からは集落内を走り、仲本集落へ。平坦な地形の中緩やかに弧を描きながら続く幅広の道、森のように深い屋敷林。やっぱりここも、これまで訪れた島とはまた違った表情をしている。
八重山の島々って、本当にそれぞれ違う空気感に包まれているんだな。そんなことを体感しつつ漕いでゆくと、再び海岸線に到着。ここには東屋やトイレ、自販機もありほっと一息つくことができます。
どこも遊泳禁止の黒島の中で、珊瑚礁の広がるここ仲本海岸は干潮時には海に入れる時もあるのだそう。ですがそれも干潮時のほんの数時間、ライフジャケット着用で複数人と、それだけ潮の流れが速いということ。
仲本海岸で海のあおさと新たなさんぴん茶の清涼を手に入れ、再び灼熱のサイクリングへと漕ぎ出します。ここから島の南端まで、延々と続くこの雄大な景色。かつて森林の広がっていたという場所は開墾され、今では一面の牧草地となっています。
左手だけを見ていれば、北海道かどこかにいるような錯覚が。ですが右手には常に海の気配が寄り添い、その防砂林を彩るのは南国らしいハイビスカス。
雄大な草原と海原に挟まれ、それぞれを両手に感じつつ進む一本道。そんな独特の道の終点に建つのは、白い黒島灯台。この素朴な灯台が建つ場所が、この島の最南端。
脇の踏み跡を進めば、眼前に現れる水平線。珊瑚礁に守られた碧い海、リーフを彩る涼しげな白波。その先は、延々と横たわる真っ青な海。もうこの先は、フィリピンにたどり着くまで陸がない。そう思いつつ眺める海原に、うつくしさの中にもどことなく畏れのようなものを感じてしまう。
島の南端で絶海の情景に身を委ね、吹く海風に汗を引かせたところで再びペダルを回します。ここから東筋集落へ、ひたすら続く一本道。牧場と道とを隔てる珊瑚の石垣が、ここが南の島であるということを強く主張するかのよう。
逃げることすら許されぬ日射の洗礼を浴びつつ漕いでゆくと、ついに黒島らしい光景が。放牧され草を食む艶々とした健康的な牛、その背後に見えるのは海原を見守る白亜の灯台。牛の島の名に相応しい、印象的な世界観。
黒島が牧場として開墾され始めたのは40年ほど前からだそう。僕の小さい頃までは、また違った景色が広がっていたはず。広大な草地にぽつんと残された大きな木は、その変遷を見てきた生き証人なのだろうか。
文字通りの一本道を進んでゆくと、覚えのあるあの香りとともに近づいてくる牛の声。大きな牛舎では、おとなからこどもまで多くの牛たちが憩っています。
人口の十倍を遥かに超える数の牛がいることで有名な黒島。畜産業は島の一大産業であり、ここで生まれた仔牛たちはセリにかけられ、農協丸に乗せられ全国へと渡ってゆきます。
僕がおいしいおいしいと頂いたあの牛も、もしかしたらこの島生まれだったのかもしれない。ドナドナの旋律を脳内に感じつつ進んでゆくと、島の中心に位置する東筋集落へと差し掛かります。
整然とした石垣と大きなお屋敷が印象的な集落を進み、診療所を左折し北西へ。東筋集落から港へと続くこの道は、日本の道100選に選ばれた道だそう。八重山らしい集落を抜け、左右に広がる牧場の真っただ中へ。確かにこれは、黒島を凝縮したような道かもしれない。
それにしても、暑い。木陰も何もない、ひたすら続くまっすぐな道。でもその先には、胸のすくような景色が待っているはず。そう思い頑張って漕いでゆくと、目的の黒島展望台は残念ながら閉鎖中。全体に渡り平坦な黒島の中で、きっと素晴らしい眺めが広がっていたことでしょう。
でもよくよく考えてみれば、そうなってしまうのも仕方ない。周りに何もないなかでぽつんと建つ建物、台風等で受ける衝撃はそれはすさまじいものに違いない。
この先道なりに進めば港へと戻ることができますが、展望台のある交差点で右折し北東へと進みます。道沿いに広がる牧場では、放牧され各々好きな場所で過ごす牛たち。こうも暑いと、やはり牛たちも木陰が恋しいようです。
集落を北上してきた道と合流し、そのまま島の北側へ。昼なお暗い鬱蒼とした林の中を進む道を漕いでゆくと、木々のトンネルの先から漏れてくる海の気配が。
林を抜けた瞬間、一気に視界を染めあげる眩しいほどの鮮烈さ。目が暗さに慣れていた分、その熱量は筆舌に尽くしがたいほど。
国の登録有形文化財にも指定されているこの伊古桟橋は、かつて漁業が盛んな時代に活用されていたもの。見ての通りどこまでも遠浅のため、船を着けられる水深を確保するためここまでの長さになったのだそう。
幾多もの嵐にも負けず、今なおその形を保ち続ける昭和10年生まれの古豪。タイヤに伝わる凹凸にその歴史を感じつつゆっくりと進んでゆけば、このままどこか違う世界へと漕いで行ってしまいそうな不思議な感覚に。
現代と過去、夢と現の境すら滲ませるような古い桟橋。陸から延々354m続いてきた道もぷつりと途切れ、その先に続くのは碧い海と青い空のみ。その幻想的な光景は、海から空へと飛び立つ滑走路のよう。
海風とさざ波の音を浴びつつ、来た道のりを振り返る。陸と海の溶けゆく浅い海、その中を島へと続く灰白色の古い人工物。八重山の強い日射がその対比を包み込み、現実と夢幻の境界すら白とびさせてしまう。
すごく悔しい。僕の言葉と写真力では、あの感動の十分の一も伝えることができない。
ただうつくしいだけでなく、ただ鮮烈なだけでもなく。眼に映る光景、耳に届く潮騒、肌を弄ぶ海風に、鼻に感じるほんのりとした潮の香り。そのどれもがまごうことなき実体験なのに、それらが綯い交ぜになると一気に現実感というものが遠ざかってゆく。
鮮烈なあおさに満ちた西の浜から始まり、めくるめく旅路を紡いできた黒島一周サイクリングの旅。その道のりも、残すところあと少し。伊古桟橋での幻想的な体験の余韻に浸りつつ、残る力を振り絞りペダルを踏みしめます。
そしてついに、黒島レンタサイクルに無事帰還。いやぁ、暑かった。波照間に続き、黒島も記憶に残る暑さだった。残ったさんぴん茶を飲み干していると、ちっちゃい子ヤギがてとてとと歩いてきます。
目指す先は、やっぱりお母さんだよね。仲良く親子が近づく姿からは、「ねぇねぇ、おかあさん」「なぁに?」といった会話が聞こえてきそう。
ヤギの親子の仲睦まじい姿を愛でたところで、自転車を返し港へと向かうことに。このお店は前金制で、特段トラブル等がなければ勝手に置いて帰ってねスタイル。この離島の感じ、凄いよなぁ。
かわいいヤギに別れを告げ、港へと向け歩く道。目の前の大きな広場は、黒島家畜市場。牛のセリや島の一大イベントである牛まつりが行われる場所なのだそう。そこに立つ電柱は、見事な牛柄に。
初めて訪れた黒島。平たいながらも海とは高低差のある島は、様々な豊かな表情に富んでいた。大地を思わせる広大な牧場、気配は感じるけれど時々しか姿を見せぬ海。その分その鮮烈さは濃厚で、陸と海との対比が強く印象に刻まれた。
八重山の島々は、それぞれ異なる空気感を持っている。訪れた人々が言うだけのことはあり、この黒島もまた濃密な魅力に溢れていた。この旅で小浜に続く初上陸となった黒島での体験は、僕にとってこの夏の忘れ得ぬ深い想い出に。肌に心に宿る黒島の火照りを噛みしめ、静かな待合室で帰りの船を待つのでした。
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