盛岡駅から路線バスに揺られ、八幡平に抱かれた秘湯、松川温泉を目指します。松川温泉へは、『岩手県北バス』が路線バスを運行していますが、1日2~3往復しか運行していないので、時間等はHPで要チェック。片道1,110円なので、盛岡駅前のバス案内所でバスカードを2枚買っておけば、往復で200円お得になります。
バスは盛岡の市街地を抜けると西に進路をとり、農業、果樹、森林といった研究所の並ぶ街道をひた走ります。街道沿いには立派な並木が続き、並木の間からは広大な農地とそれらを区切る木立を垣間見ることができます。
広大な農地を整然と区切る木立。その景色はなんとも独特なもので、一言で言えば岩手らしい、とでも表現すればいいのでしょうか。安比のゲレンデから眺めた大地もやはり同じで、他では目にしたことの無い幻想的な風景。今にも風の又三郎が現れそう、そんな印象的な景色に酔いしれます。
そんな広い農地を過ぎ、段々と山が近くなってきます。民家の裏手には黒々とした岩手山が。冬に見たまっ白な姿もきれいですが、初夏の雄々しい岩手山もまた素晴らしい。
途中大更の市街地を抜けると、一気に高原らしい風景に変わります。畦に花咲く畑の先にはしっかりと岩手山の裾野を捉えることができ、その大きさに思わず息を呑みます。黒い山体を所々彩る残雪が、北国の初夏を思わせます。
バスはいよいよ標高を上げ、車窓は鮮やかな緑一色に染められます。南部片富士の名の通り、片方に広がる雄大な裾野。それとは対照的にもう一方は何とも荒々しい山体。
岩手山は一度見ると忘れられない、印象的で味わい深い山。刈り取られ転がる牧草のロールが、牧歌的な雰囲気を添えます。
昨年、スキーで訪れた際に初めて眺めた岩手山。安比の山から見える岩手山は雪をまとい、神々しいまでに輝いてました。盛岡の開運橋からはまるで盛岡の街を守るようにドンと鎮座する岩手山を見て、圧倒的な力を感じたものでした。
それから2年後、岩手を含む東日本は未曾有の大震災に見舞われました。それでも、このように岩手山は力強くも穏やかな姿で岩手の地を見守っています。その変わらぬ姿を見て、思わずホッとしてしまいました。
僕は山に詳しいわけではありませんが、東北各県にはその土地の、いわば守り神のような山が必ずあるような気がしてなりません。福島の磐梯山、秋田の鳥海山、青森の岩木山にこの岩手山。これまで自分が目にして忘れられない山はたくさんあります。
それは単に美しいというだけではなく、何かしらの強い力を持っているからに違いないと思うのです。その姿は、長い歴史の中できっと土地の人々の拠り所になってきたことでしょう。
東北は、力強い山に見守られ、豊かな自然と人が在り続ける以上、再び元の穏やかな土地に戻れるはず。縁もゆかりも無い部外者の僕がこんなことを言うのは、本当に無責任で、失礼で、楽観的で、意味の無いことだと思います。
それでも東北という地を愛するものの端くれとして、そればかりは願わずにはいられないのです。
雄大な岩手山に非力な僕の願いを託し、車窓はその姿に別れを告げます。白樺の並ぶ高原的な風景の中、更に高度を増しながらバスは八幡平の懐へ抱かれてゆきます。
盛岡から絶景を楽しみつつバスに揺られること約2時間、松川温泉バス停に到着。松川温泉には3軒の旅館があり、それぞれの最寄にバス停が設置されていますが、今回は終点で降りて松川温泉のシンボルを見学しに行くことに。
終点に位置する旅館峡雲荘の脇の道を下りて松川沿いを進むと、突如巨大な建造物が姿を現します。頭からはもくもくと水蒸気を上げ、かなり威圧的な雰囲気が。
ここは松川温泉の持つ地熱エネルギーを活用した、日本ではまだ珍しい地熱発電所。太いパイプから伝わる熱気や、仰々しい冷却塔から吐き出される水蒸気を見ていると、言いようの無いおそれを感じるのは僕だけでしょうか。
パイプを伝い下流へと進むと、水蒸気を汲み上げる井戸へとたどり着きました。この地点から水蒸気を取り出し、タービンを回して先ほどの冷却塔で冷却し、水に戻ったものを再びここへ戻す。地熱発電は再生可能なクリーンエネルギーだそうで、原発事故以来その名を耳にする機会も多くなりました。
僕も火山・温泉大国日本に有り余る地熱を利用すれば・・・、と思いましたが、温泉の枯渇や硫黄や熱水、蒸気などの環境破壊など、そのリスクも多いようです。
そして、やはり実際に稼動している姿を間近で見てしまうと、緑豊かな中に延々と這う多数のパイプ、鉛色の異様な冷却塔、そこから排出される多量の水蒸気・・・。ただただ怖い、の一言しか頭に浮かびませんでした。
原発がダメなら代替エネルギーを、そう考えることももちろん重要ですが、エネルギーを無駄に使わない生活を考えることがより重要ではないか。そう考えるきっかけをくれたのがこの発電所。
僕はここを訪れて以来、電気の使い方が変わりました。もちろん必要なものを必要なときには使います。あくまでも大切なのは、「無駄に」電気を使わないこと。お陰さまで今までに無いほど健康的な夏の生活を送っています。
必要なものは人それぞれ違うことでしょう。エアコンだって、ゲームやパチンコなどの娯楽だって、どれも必要とする人がいるはず。どれかを標的にして叩いたり、灼熱地獄の中無理な節電をするなど極端な発想を持たずとも、使う分だけどれかでバランスを取る、そのシンプルな発想だけでもだいぶ変わるはずです。
電力不足は今年だけの問題では無いと思います。5年、10年単位で続けられる、無理がなく息の長い省エネ策を自分たちが考えていかなければなりません。
写真で見るだけでは判らなかった地熱発電所の迫力と、それを動かす大地のエネルギーの大きさ。色々なものを教えてくれた地熱発電所を後にし、一路今夜の宿へと向かいます。
そこで待つのはもうひとつの大地の恵み、温泉。白濁した温泉を目前に、足取りも軽く新緑の中を進みます。
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