喜多方の中心地を抜け、道はだんだんと長閑な風景に変わり始めます。雨は降ってはいるものの、古い民家や住宅の中に点在する蔵を眺めての道のりは意外に楽しいもの。こうやって街の様々な表情を感じながら歩けば、より一層その街での想い出は深いものとなります。
それにしても、本当に喜多方という街は蔵ばかり。市街地を抜けても、蔵がいたるところに点在しています。
喜多方では、「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」と言われていたそうで、この地域における男たちの夢の集大成であったのでしょう。
だからこそ、それぞれ意匠が凝らされた蔵の数々が現存し、その活用方法も倉庫から醸造蔵、住居に至るまで様々な姿のものを楽しむことができます。
郊外の長閑な住宅地も抜け、道はその進路を山の方へと向けていきます。道を彩る色づいた木々が雨の憂鬱をいっぺんに晴らしてくれるかのよう。
ついには僕の願いが通じ、雨は止んでくれました。そんなときに現れたこの風景。板塀に用水路、たわわに実る柿。秋の山里の香りが濃厚に漂う一角に、歩く決断をして良かったと報われる瞬間です。
刈り終えた田んぼに並ぶ農家の家並みと蔵。雨上がりのどんよりとした空は、何故かその景色に一層の情景を与えるよう。
もう少しすれば、ここも深い雪に閉ざされることでしょう。秋という季節が、冬を迎えるまでの最後の輝きであるように思えてなりません。
沿道にはとにかくたくさんの柿の木があり、それぞれが枝もたわわに実を付けていました。紅葉のそれとはまた違った渋いオレンジが、山里の風景に彩を添えます。
ここまで来ればもう少し。『道の駅 喜多の郷』で休憩を取ることに。文字通りの燃えるような紅葉に迎えられ、これまでの歩き疲れなど一気に吹き飛んでしまいます。
敷地内にある八方池。燃え盛る桜紅葉がエメラルドグリーンの池を彩ります。奥には雲の掛かった会津の深い山々。この天気だからこその神秘的な美しさがあります。
池の土手には、桜紅葉の絨毯が美しく広がっていました。長い冬に耐え、春に渾身の力で咲き乱れる桜。秋に再びその身を燃やし、再びやってくる厳しい冬を迎えるのでしょう。
東北の桜は花も紅葉もより力強く美しい。それは厳しい寒さに耐え抜くからこその美しさ。そう思うのは僕だけでしょうか。
すすきを彩る黄色い花の群れ。帰ってから調べたところ、この黄色い花は背高泡立草という雑草だそうですが、群れて咲く姿は観賞用にも負けぬ美しさ。秋によく見るすすきとの競演は、僕の中で秋の代名詞のひとつとなっています。
道の駅を過ぎれば再び民家が増え始め、熱塩の集落が近いことを感じさせます。立派な杉林と紅葉に彩られたお社からは、そんな集落での古くからの人々の営みが伝わってくるかのよう。「郷愁」、それ以上に似合う言葉が見つからない、胸にグッと来る風景。
遠くに見えていた山々もここまで近くに迫ってきました。熱塩温泉まではもうまもなく。鉛色の空に鈍く浮かぶ色づいた山々を望みつつ、山里の旅情を噛みしめるかのようにして歩みを進めるのでした。
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