郡山から20分ちょっと、安達太良山に抱かれる二本松市に到着。すぐには温泉には向かわず、ますや旅館のご主人が開催中であることを教えてくれた菊人形まつりの会場を目指します。
間違って車用の順路看板に従ってしまったため、駅から歩くこと30分で霞ヶ城に到着。お城は戊辰戦争により落城してしまいましたが、立派な箕輪門が復元されています。
立派な城門を潜り抜けると、いたるところ菊に彩られたおまつり会場に到着。二本松の菊人形は日本一の規模と謳われ、震災のため規模を縮小して開催された今年も、平日であるにもかかわらずたくさんの観光客が来ていました。
会場内にはたくさんの品種や栽培方法の菊がずらっと並びます。こちらの菊は、一見黄色い普通の菊のように見えますが、これだけの花が1本の茎から出ているというから驚き。
様々な色彩に包まれた池。菊というとどうしても地味なイメージを持っていましたが、秋の日にこれほどまでに鮮やかな色彩を放つ姿に、思わず見とれてしまいます。
そしてこちらが有名な菊人形。小さい頃テレビで見た際、人の顔に花の着物で怖い印象を受けて以来、そのイメージがぬぐいきれませんでしたが、実際初めて生で見てみると、とてもきれいなことに驚かされます。
霞ヶ城公園には池や小さな滝がいくつも配され、起伏に富んだ園内は豊かな緑に包まれています。その鮮やかな緑を彩る菊の花たち。少しだけ傾き始めた太陽を受け、より一層輝いています。
こちらは二本松少年隊の菊人形。お城の入口にも銅像が建てられているこの少年隊は、一番小さい子で12歳だったそう。今で言えば小学生の少年が、戊辰戦争の戦火に散っていきました。
会津の白虎隊はあまりにも有名で、僕が中学生のときに鶴ヶ城で見た、同年代の白虎隊隊士の写真に言葉を失いましたが、この二本松少年隊はもっと幼い子供たちも含まれています。二本松少年隊という名前も当時は無かったそうで、小さな隊士たちは何を思い亡くなっていったのでしょうか。
おまつりは競技会も兼ねられているのか、栽培者の方々が手塩にかけた競技花もたくさん飾られています。
ここ二本松は江戸時代より菊の愛好者が多かったそうで、昭和初期から街頭に菊人形が並んでいたそう。そのような伝統があるからこそ、このようなおまつりが盛大に開催されているのですね。
中には、こんな見たこと無いような菊の花も。幅の広い大きな花びらが、表裏で異なる鮮やかな色を放つ姿は、僕の持っている菊のイメージとは全く違うもの。一目惚れしてしまいました。
菊に飾られた滝の上には、うっすらと色づき始めた紅葉が。もう少しすれば、菊と紅葉の鮮やかな競演が見られたことでしょう。
今年の展示内容は、二本松少年隊と歴代大河ドラマ主人公だということで、各所に様々な菊人形が飾られていました。菊の着物のきれいさもさることながら、人形の顔つきを眺めるのも、菊人形の楽しみ方のひとつなのかもしれません。
蓮の浮く池の上に佇む洗心亭。もともとは阿武隈河畔に建てられていた藩主の釣り茶屋だったものを、この地に移築したものだそう。
緑に被われた渋い茅葺屋根。洗心亭への階段も、菊の鉢に彩られています。この霞ヶ城公園は、本当に緑豊かで起伏の多い場所。園内を散策するだけで様々な表情を楽しむことができます。
洗心亭から眺める二本松の城下町。色づき始めた木々の額に、二本松の街並みと福島の穏やかな山並みが、奥行きをもって広がります。
洗心亭のすぐ近くにある、傘松。樹齢300年とも言われるこの松は、1本の幹からこれほどまで立派な傘のような枝を伸ばしています。老松ではありますが、葉の緑は色濃く、これからもずっと立派な枝振りで見る者を愉しませてほしいものです。
洗心亭より再び菊人形の会場へと戻ると、白馬に乗った政宗公がお出迎え。黒い鎧兜を黄色い菊が彩ります。
残念ながら、霞ヶ城公園の散策は時間の都合でこれにて終了。これだけの菊に彩られていても、いつもより規模が縮小されているというから驚き。
例年はこれ以上に見ごたえのある、まさに日本一の菊人形まつりなのでしょう。普段を知らない僕は、これでも充分に満喫しました。
日本の秋を彩る菊を楽しんだ後は、やはり日本の秋の主役、紅葉に包まれた安達太良山の生む名湯、岳温泉へ。日本屈指の強酸性泉まではあと少しです。
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