平岩駅から歩くこと5分弱、これから2泊お世話になる『湯の宿朝日荘』に到着。昭和32年、大糸線の全通した年に開湯したという姫川温泉。その翌年に開業した、姫川温泉の歴史とともに時を刻む宿。
古き良き昭和の情緒を感じさせる館内。フロントでチェックインを終え、斜面下に建つ客室へ。大きな窓の広がる和室には、これまた昭和レトロの心地よい雰囲気が満ちています。
このお宿、着いたときから古いけれど心地よさを感じる。きっとそれは、とてもきれいに手入れされているから。文字通り隅々まで手入れが行き届いていることが分かる清潔感に、この宿が大切にされていることが伝わるよう。
早速浴衣に着替え、お風呂へと向かいます。まずは明るいうち景色を楽しもうと、男女別に分かれた天望露天風呂へ。この露天風呂は宴会場の入る棟の屋上に位置し、ロビー脇のドアから細い階段を登ってゆくという面白いアプローチ。なんだかワクワクしてしまいます。
階段を登りきると迎えてくれるのが、この眺望。湯舟の先には大糸線の華奢な鉄橋が左右に走り、その背後には一面の銀世界。この世界観だけで、もう逆上せてしまいそう。
大きな湯船に掛け流される、姫川温泉の源泉。無色透明でほんのり硫黄と金属のような香りがあり、肌によくなじむさっぱり滑らかなお湯。ちょうど良い塩梅のお湯に肩まで浸かり雪景色を愛でれば、ここまで来てよかったと素直にそう思えてくる。
肌なじみの良い湯ですっかり芯まで温まり、ほくほくとした心持ちで部屋へと戻ります。湯上りの熱の冷めぬうちに、昔懐かしい機械式の冷蔵庫から瓶ビールをカチャンと抜き取りごくりとひと口。部屋までをも染める銀世界の白さ、ジオラマのような大糸線のレール。こんな最高なつまみ、他にはない。
ガタン、ガタン、ガタン、ガタン・・・。単行ならではのリズムが遠くから近づいてくる。ビールのコップを置き、慌ててカメラを手にして窓へ。するとそこへやってきた、大糸線の小さな列車。温泉好きで、鉄道好き。そんな僕にとって、堪らない滞在になりそうだ。
白銀、気動車、瓶ビール。そんな甘美な湯上りを味わい、ほんの少しだけ畳でごろ寝。先ほどの湯浴みの余韻も消えたところで、今度はこの宿ならではの自然大岩風呂へと向かいます。
姫川へと落ち込む斜面に建てられたこの宿。崖上に建つ本館と、川沿いに建つ客室のある別館の間に位置するこの浴場。湯けむりに曇る写真では見づらいのですが、巨大な天然の岩盤が浴場内へとせり出しています。というより、岩盤を壁の一部として使っているといった雰囲気。
僕はこのお風呂の写真を見て一目惚れし、今回の宿泊を決意。中央にも大きな岩が鎮座する浴槽は奥行きがあり、男女の入口は別ではあるものの混浴となっています。
姫川の源泉は天井近くに据えられたパイプから直接湯船へとドバドバと落とされ、広い浴場には絶えず響く湯滝の音。天井は光を通す材質で作られており、漏れてくる夕刻の弱い光と相まって唯一無二の世界観を形作っています。
お湯は先ほどと同じ源泉とは思えぬ、何とも言えぬ独特な香り。どことなく潮や貝出汁を思わせ、舐めてみれば塩気も相まって蛤の潮汁のような味わい。湯舟に付着する析出物やほんのりささ濁りのお湯の色からも、姫川温泉の成分の濃さが感じられるよう。
そして驚いたのは、シャワーにも源泉が使われているということ。こちらはほんのり硫黄の香りが漂い、言わば塩玉子のようなかぐわしさ。このお湯で洗髪したら驚くほど髪がしっとりと柔らかくなり、こんなお湯が家の蛇口から出てきたらと叶わぬ妄想を抱いてしまう。
いやぁ、すごい。赤倉の三之亟とはまた違った温室感。他では味わえない唯一無二の湯浴み体験にすっかり気分は高揚し、気づけばあっという間に夕食の時間に。
夕食会場へと向かうと、食卓に並ぶおいしそうな品々。色々な味覚をちょっとずつ楽しめる前菜をつまみ、お刺身へ。山深い地ながら海まで近いためか、きちんとしたそのおいしさに驚きます。
ほうれん草の胡麻和えは甘みと香りの調和が良く、やぜんまいとかぼちゃの煮物も上品な味わい。お鍋も具材を活かすちょうど良い味付けで、派手さはないが沁み入るおいしさ。
和の献立の中で存在感を放つエビフライも、意外と地酒に合ってしまうのも不思議なところ。ちなみにお酒は、新潟の物。多分ですが、この辺りは長野県とは言いつつ糸魚川が生活圏なのかもしれません。
最後にほかほかの白いご飯で〆てごちそうさま。品の良さを感じさせる味付けの妙に、大満足で部屋へと戻ります
あとはもう、お酒とお湯を静かに味わう時間。1本目に開けたのは、先ほど前を通った糸魚川は池田屋酒造の謙信特別本醸造生貯蔵酒。するりと飲めてしまう、水の良さを感じさせるきれいなお酒。
糸魚川の酒を味わい、気が向いたら湯と巨岩と戯れに湯屋へ。そんな静かなる贅沢に満ちる夜を彩る2本目は、これまた糸魚川の根知男山本醸造。自社栽培のお米で醸したというお酒は、穏やかさを感じさせるすっきり飲みやすいお酒。
ガタン、ガタンゴトン、ガタン。静かな部屋に届く、列車の予感。窓際へと駆け寄り眺めていると、夜闇を照らし走り去るキハ120。沁みる。夜汽車の情緒、沁みすぎる。湯の温もりと鉄路の哀愁に身を委ね、姫川の谷を包む夜は穏やかに流れてゆくのでした。
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