夜が更けるにつれ、更に熱を帯びる祭りの活気。賑やかな観衆の中を進む大黒様は、その福々しい表情で見る者皆に幸せをおすそ分けしてくれるよう。
大黒様の豊かな笑みの余韻に続き、優しい表情を湛える弁天様の見送り絵。傍には艶やかな梅が咲き誇り、美しい雉が楽しく遊んでいるかのよう。梅に国鳥、福舞の文字。令和こそは良い時代に、そんな人々の願いが込められているに違いない。
一筋の光が漆黒の世界に色彩を授ける様を描いた、天岩戸の鏡絵。伝説を具現化した美しさと陰陽の絶妙な対比に、思わず息を呑んでしまうほど。
その見送り絵には、世に輝きをもたらす天照大神。厳しい自然や災害と向き合い暮らしてきたという歴史が、八百万の神々という概念と自然への畏怖の念として今なお受け継がれているのでしょう。
続いては、夏の夜空に躍動感を溢れさせる児雷也の鏡絵。ガマや蛇の妖しい姿と鮮烈な色彩の対比は、見る者をハッと目覚めさせるような不思議な迫力に溢れています。
おどろおどろしい地獄絵図の中佇む、妖艶な美女。津軽の地に繰り広げられる、夏の夜の夢。地獄太夫の見送り絵を眺めていると、現実と幻の境すら怪しくなってきてしまう。
弘前の夜空を朱く染めあげる、力強く輝く不動明王。大きなねぷた一杯に漲るその力は、これからの時代をきっと明るく照らしてくれることでしょう。
夜闇に浮かぶ勇壮な鏡絵。かつて武将たちが繰り広げた激しい戦が、臨場感と美しさをもって紙一面に再現されています。
ビルの3階にも届くほどの高さを誇る、立派な組ねぷた。三国志を題材としたこの組ねぷたには、幾多もの動物が躍動感あふれる姿で再現されています。
次々と襲い来る光の洪水。様々な表情に彩られたねぷたから発せられる灯りが、夜の弘前の街並みを鮮やかに染めてゆきます。
幽玄な世界観が繰り広げられる中で、ときおりやってくる童話の和やかさ。地元の誇りである弘前城は、花咲かじいさんの手により咲き誇る桜で満たされています。
図案だけでなく、造作にまで様々な趣向が凝らされるねぷた。このねぷたの上には太鼓が仕込まれ、それを見せるために上端を折りたたむと絵が変化するという細かい工夫が施されています。
3時間近くにも渡り繰り広げられる、弘前の熱い夜。そしてついに来てしまった、今宵の最後を彩るねぷた。今年はこれで、もう終わり。毎年毎年楽しみにしている夏の夜の夢も、もうすぐ儚く消えてしまう。
本日終了のねぷたが告げる、僕の夏の終わり。あぁ、切ない。楽しすぎるからこそ襲い来る、この計り知れない切なさ。ねぷたの表裏と同様に、この感情の対比があるからこそ、毎年訪れてしまうのかもしれない。
名残惜しい。もっともっと、見ていたい。その想いが自然と足を動かし、最後のねぷたの後追いをしてしまう。この瞬間が、永遠に続けば。そんな叶わぬ願いを想いつつも、限りあるものだからこそ来夏も訪れる口実ができるというもの。
目に焼き付く光の残像、耳に残るヤーヤドーの余韻。本当に、終わってしまった。この後も次なる旅先が待っているにもかかわらず、やっぱり切なくなってしまう。この感傷は、弘前での最後の夜には欠かせない大切な儀式。再訪を固く誓い、祭りの名残をひとり深く噛みしめるのでした。
コメント