ねむの丘から九十九島の展望を楽しみ、今度は実際に歩いて巡ることに。道中には写真のような看板が時折現れるため、パンフレット等の地図と対照していけば迷わずに歩けるかと思います。
島めぐりの出発点にと選んだのは、道の駅からもほど近い蚶満寺。かつてここ一帯が海だった時代、このお寺から望む九十九島はとても美しかったのだそう。
その光景を見るために遠路はるばるここまでやってきたのが、松尾芭蕉。東の松島西の象潟と称された絶景を目にし、そのときのことを奥の細道に記しています。
ちなみに僕が象潟の九十九島を知ったきっかけも、松尾芭蕉。というより、僕が好きな酒場放浪記で吉田類さんがその足跡を辿り訪れていたのを目にし、初めてこの不思議な地形を知りました。
国道から入る参道を辿ると、ひっそりとまっすぐに伸びる道が。ここがかつての参道だったそう。象潟の絶景を愛でるために、幾多もの人々がここを通ったことでしょう。
かつては入江であったというこの場所。旧参道から島々を眺めてみれば、海に浮かぶ古の姿が容易に想像できるかのよう。地面に浮かぶ島並み、これを目の当たりにできただけでも象潟へ来た甲斐があるというもの。
当時の姿と自然の巨大な力に思いを馳せつつ歩いてゆくと、ひっそりと佇む山門が。漂う渋さとは対照的に、施された幾多もの彫刻の美しさ。風光明媚な象潟を愛でる地として栄えてきた歴史、そして集めてきた人々の信仰の厚さが伝わるよう。
今回は時間の都合で残念ながらお参りは断念。次回への宿題とし、島めぐりへと歩きだします。地震により隆起した海底は、今は田畑として使われています。そのため、歩く道もご覧のような細い道。轍や未舗装の部分もあるため、歩きやすい恰好で行くことをお勧めします。
それにしても、夏休みだなぁ。どこまでも青い、抜けるような夏の空。肌には太陽の力がここぞとばかりに伝わり、じわじわと全身に汗が浮いてゆくのを感じます。
全身に夏を浴びながら歩く、長閑なあぜ道。国道や線路からも離れ、静けさに包まれた見渡す限りの田畑と島々。時折さっと吹く風が、汗に濡れた体を撫でてゆくのが心地良い。
青いながらもすでに穂をつけ、秋の実りへと首を垂れ始める稲穂たち。風に揺れるその姿の奥に見える小山は、まさに若い稲穂に浮かぶ島のよう。
大小問わず、その全てに名前が付けられた象潟の小島たち。田んぼに佇む小山となった今でも、その名を失わずに人々営みの中で生き続けています。
噴火と隆起が造り上げた、不思議な絶景。九十九島を創った鳥海山の雄大な裾野が、子供を見守るようにそっと緩やかに横たわります。
小島の上には、見上げるほどの立派な松。この松は、海上で生まれたのか、それとも陸地になってから生えたのか。どちらにせよ、長い間象潟の地の変遷を見てきたことに違いない。
それまで、羽越本線の駅名としてしか認識していなかった象潟の地。偶然番組でその奇景を目にし、こうしてようやく訪れることができました。
今でも海に浮かぶ古の面影を残す、九十九島。春夏秋冬、それぞれ変わる海面模様。今回は緑豊かな稲でしたが、田植え前の水を張った田んぼや黄金色の稲穂、そして雪原に浮かぶ姿も見てみたい。想像を超える絶景に、暑さも忘れてただただ圧倒されるばかりなのでした。
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