松島湾の穏やかな海と独特な多島美の余韻に包まれつつ、仙石線は本塩釜駅に到着。これから向かうは、この旅最後の目的地である仙台。西日に染まる白い駅舎に、旅が終わることの切なさをふと感じてしまいます。
まつりへと向かう乗客で混み合う電車に揺られること30分、終点のあおば通駅に到着。地下駅を出れば、七夕まつりの舞台となるアーケードはすぐそこ。艶やかな七夕飾りで彩られる杜の都の賑わいに、自ずと心も浮き立ちます。
濃淡の緑が爽やかさを届ける吹き流し。風に吹かれひらりと揺れる姿に、夏の暑さもどこへやら。
シンプルな美を漂わせる、白と金を基調とした吹き流し。伝統の中に新しい感覚を織り交ぜ発展し続けてきた、仙台という街の美意識が薫るよう。
進むごとに様々な表情を見せる七夕飾り。幾重にも連なる吹き流しをくぐりつつ歩けば、このままどこか違う世界へと連れていかれそうな感覚に。
目くるめく色彩の洪水に呑まれつつ進むと、ひときわ目を引く大きな飾りが。いつも趣向を凝らした巨大な飾りが吊るされる、アーケードの交差部。今年は無数の折り鶴が、皆の想いを乗せて風に舞います。
ぷっくらなら、鐘崎。僕のお気に入りの笹かまメーカーである鐘崎の七夕飾りは、桜を散りばめた艶やかな姿。和を思わせる竹かごと白い折り鶴が、夏の夕刻に一服の清涼を連れてくるよう。
僕が初めて仙台七夕まつりを訪れた際、一番驚いたのが本物の竹を使っているということ。商店街の道路脇には竹を立てるための穴が設けられ、いかにこのお祭りが地元の暮らしに根付いているかが伝わります。
一説には、藩祖である伊達政宗公が婦女の文化向上のために奨励し発展したという仙台七夕まつり。迫力ある吹き流しに目が行きがちですが、7種類の飾りで構成されています。そのひとつひとつに意味があり、こうして見比べてみると思わず納得。
笹の葉さ~らさら~。昔懐かしいメロディーを思い出しつつ、笹かまと生ビール片手に味わう祭り。これこそが、大人になったからこそ愉しめる、最高の夏休み。
吹き流しで睨みを利かせる、現代風の伊達男。杜の都を創り上げた仙台藩祖は、今なお続くこの賑わいをきっと喜んで見守っていることでしょう。
風に吹かれ、会話を交わすかのように揺られるこけしの吹き流し。顔の表情も違えば、体の模様も多岐にわたる東北のこけし。少し前まで、こけしの可愛さが全く分からなかった。それが今、少しだけ感じられるように。饅頭で酒も飲めてしまうし、もう立派なおじさんだなぁ。
手の込んだ装飾から和紙の美しさを素直に伝えるものまで、様々な表情に彩られる七夕飾り。この吹き流しには鳥獣戯画が描かれ、動物までもが東北の短い夏を悦んでいるよう。
次から次へと襲い来る七夕飾りの応酬。腰まで垂れ下がった吹き流しを縫って進んでゆくと、突如現れる現代感。無機質なビルと祭りのもつ華やかさの対比は、東北随一の大都会に息づく伝統と文化を具現化した姿なのかもしれない。
ひとつひとつ手作りされた、無数の折り紙に彩られる吹き流し。夏の夕風に乗せて、この祭りを待ちわびつつコツコツと準備してきた人々の想いが伝わるよう。
本物の竹飾りと共に僕を驚かせたのが、七夕飾りのこの迫力。初めて仙台七夕を目にするまで、飾りは頭上に吊るされるものだと思っていました。
ところが実際は、行き交う人々が暖簾をくぐるようにして歩かなければならないほどの低さまで降ろされています。これでちぎられたりいたずらされないのだから驚き。東京ではきっと、無理だろうなぁ。
色とりどりの煌びやかさに溢れる中で、ひときわ目を引く涼しげな吹き流し。日本の伝統色である藍染めを施された七夕飾りは、火照った心にすっと染み入るような穏やかさを持っています。
吹き流しに散りばめられる、人々の願いを託された幾多もの短冊。僕の経験してきた七夕とは全く違う文化に、日本という国の広さを今一度強く実感してしまう。
活気溢れる祭りの会場に、涼し気な緑を添える木の葉。いつもアーケード内しか歩きませんが、今度は時間をとって夏の陽射しに照らされる吹き流しと木陰の対比を感じてみたい。
また逢えたね、むすび丸。今回も愉しい東北路をありがとう。今度は泊まりで来るからね。大好きなむすび丸に再訪を誓い、駅を目指し進みます。
夜に輝く吹き流しの隙間を、ほろ酔い加減で歩いてみたい。今度はやっぱり、泊まりだな。そんなよからぬ妄想を抱きつつ視線を上げれば、連なる鞠が印象的な吹き流し。
お互い競い合うかのようにして、個性を打ち出す七夕飾り。日本の空を支える赤い翼は、その色に染まった紙飛行機と象徴でもある鶴が鮮やかな存在感を放ちます。
絵巻や鮮やかな色彩に溢れる千代紙を作る職人の技、それらを折り飾りとして仕上げる民衆の技。規格品、工業製品に溢れる暮らしの中で、こうして古くから受け継がれる文化に触れる瞬間があるからこそ、自分を辛うじて保てているのかもしれない。
もしかしたら、この旅自体が真夏の夢だったのかもしれない。そんな錯覚に襲われるほど、今年の旅も熱かった。夕刻の商店街に揺れる吹き流しにこの旅の記憶を重ね、過ぎ去る僕の夏休みをただただ見送るのでした。
コメント