冬を求めて津軽路へ ~ランプのゆらぎ、千の夢。3日目 ②~

冬のランプの宿青荷温泉ロビーを幻想的に照らす幾多ものランプ

微かに青さを残す夕闇から、夜を迎える漆黒へのグラデーション。翳りゆく部屋からその移ろいを飽きもせず眺めていれば、いつしかあっという間に夕食の時間。ロビーを照らす幻想的なランプの灯りに誘われ、大広間へと向かいます。

冬のランプの宿青荷温泉2泊目夕食
今夜もカウンターで冷酒を受け取り、自席にて今宵の泡沫の宴を始めることに。まずは大好物の岩魚から。昨日は塩焼きでしたが、今夜は田楽に変身。じっくりほっくりと焼かれた身に、しっかりと旨味とコクを纏わせる甘辛い味噌。この山の贅沢を味わえるのは、2泊目だからこそ。

今日の揚げ物は山菜の天ぷら。カリッとした食感の後に広がる風味を塩で味わえば、地酒が一層進んでしまう。1本丸ごとの焼きなすもジューシーで香ばしく、煮物の大ぶりな舞茸には鶏の美味しいだしがたっぷり。

赤魚のお鍋は、濃すぎず薄すぎずの丁度良い塩梅。その他にも、フルーティーさが堪らないアカシアの花の甘酢漬けやサーモンのカルパッチョ、コリっとしたなんだかわからない食材の紫蘇漬けなど、食べて美味しい、楽しいものばかり。〆にけの汁と白いご飯を平らげ、結局大満腹になってしまいました。

冬のランプの宿青荷温泉健六の湯夜の脱衣所
食って寝て、飲んで浸かる。電気のないランプの宿でできるのは、ただそれだけ。だけれど、ご飯が美味しく、お湯がいい。食って浸かる欲求をしっかりと満たしてくれるからこそ、飽きずに延々ぼんやりと過ごせてしまう。

美味しいご飯を食べすぎた僕は、敷きっぱなしの布団でしばしのまどろみ。お腹も落ち着いたところで、ランプの宿での最後の夜を愉しむことに。そんな舞台にと選んだのは、お気に入りの健六の湯。脱衣所を照らす弱い灯りが、湯に浸かる前から心を温めてくれるよう。

冬のランプの宿青荷温泉健六の湯夜闇の中ぼんやりとランプの灯る湯浴み
湯口から惜しげもなく掛け流される、適温の湯。無色透明で肌なじみの優しい湯に揺蕩えば、穏やかなランプの炎がすっと心を照らしてくれる。温かみのある灯りをゆらゆらと映す、きれいな湯。いつまでも、いつまでも、この大海原に漂っていたい。

冬のランプの宿青荷温泉温もりあるランプがもれる本館の玄関
静かな湯屋で心ゆくまでお湯と炎の揺らぎに戯れ、自室へと戻ります。幾多もの旅人を迎えてきた玄関からはランプの灯りがもれ、夜という闇の中、ここ一軒だけが灯りに守られているような幻想的な佇まいに。

冬のランプの宿青荷温泉ランプの灯りと寄り添い過ごす夜
柔らかいランプの炎と寄り添い、過ごす夜。部屋を照らす灯りは、このひとつだけ。もしこの火が消えてしまえば、もう何も見えない、どうすることもできない。それなのに、何故か感じる静かなる心強さ。

たき火や暖炉で燃える炎、囲炉裏で赤く静かに光る炭。姿かたちを変えたとしても、火というものからは不思議な揺らぎが感じられる。そして人は、それに触れると何故かほっとしてしまう。肌で感じる熱ではなく、心の底へと伝わる温かさ。そんな力が、このランプにも宿っているに違いない。

当初は楽しんでやろうと目論んでいた、不便や無の時間。でも実際は、そんなものはどこにもなかった。

電気も電波もない山間の宿では、様々なものと向き合う時間が自ずと増える。それがいで湯であったり、味覚であったり、炎の揺らぎであったり。その中で訪れる、自分の内側との必然たる対峙。そうだった、8年前も、そんなことを想っていた。

そのときは三十代序盤だった僕も、気付けばもうすぐ四十代。でもなぜか、当時しこりの様に居座っていた焦りや不安が消えている。そうか、自分の過ごしてきた8年間は、無駄ではなかったんだ。そのことに気付けただけでも、ここへ来た甲斐があった。そう思えることを、今は素直に喜びたい。

人によっては不自由で、人によっては自由な時間。この環境を、どう感じるかはその人次第。でもこんな状況など、普通に暮らしていればまず身を置くことはない。ある種の究極な体験を味わいたいがために、多くの人々がこの宿に集うのかもしれない。

見えなくて良いものは見えなくし、必要なものだけを照らしてくれる。8年前、ランプの炎に抱いた感覚は、今も全く変わらぬまま。そんな不思議な力を宿す灯りの下で、静かな夜はゆっくりと更けゆくのでした。

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