空色の洋館を後にし、すぐ隣に位置する『旧開智学校』を見学することに。ここは前回松本を訪れた際、時間の都合でフェンス越しに眺めただけなので、中へと入るのは今回が初めて。
国の重要文化財に指定されているこの建物。明治初期に建てられた和洋折衷の独特な外観の中でも、やはり一番印象的なのが、この玄関。八角塔や破風、バルコニーと、和洋織り交ぜた独特な造り。それらを彩る彫刻も、天使や雲、龍と、やはり和洋折衷。
ここが昭和の半ばまで子供の学び舎であったことがにわかに信じがたいほど、贅沢で美しい建物。その外観に見とれつつ、中へと入ります。すると、外観もさることながら、内装もこれまた贅沢。扉には躍動的な龍の彫刻が施されています。
荘厳な扉を抜けると、きれいに磨かれた木の廊下が。こうしてみると、豪華ながらやはり学校だった頃の雰囲気をほんのりと感じます。廊下を走ってはいけません!!きゃっきゃとはしゃぐ子供と先生の、そんなやり取りがきっとあったことでしょう。
展示室の中には、教室で在った頃の面影を再現しているものも。黒板に掛け時計、そして小さな机と椅子。窮屈に腰を掛けてみれば、子供の頃の記憶がほんのりと蘇ります。
僕の通っていた小学校は、鉄筋コンクリートの古い校舎と、鉄パイプで組まれた机と椅子でした。でも、今どきのおしゃれで明るい校舎と比較すると、やはりこちらの雰囲気に近いものが。母校が懐かしく思い出されます。
こちらは、以前八角塔の風見に飾られていた、東西南北の標。雨風に耐えられるよう金属で包まれ、深い青緑に塗られています。
そして隣には、以前屋根に載せられていた大きな瓦が。これらは実際に触れることができ、その大きさや質感をこの手で確かめることができます。
この部屋の天井の仕上げには、和紙が使われているそう。皺も継ぎ目も無くきれいに貼られた和紙は5層に及ぶそう。和紙の白さや美しさもさることながら、これほどきれいに仕上げる職人さんの技に脱帽。
建物の中央には、廻り階段と呼ばれるらせん状の階段が。それを支える黒々とした太い柱は、廃寺の建材が再利用されているそう。
当時の県知事の月給が20円という中で、掛かった建築費は1万1千円だったそう。莫大な建築費を少しでも抑えるため、このような再利用も行われたのでしょう。
正面玄関に当たる部分には、美しい装飾が施された天井から下がる照明。白熱灯の暖かい光が、彫刻や天井を柔らかく照らします。
先ほどの扉には彫刻が施されていましたが、こちらの扉には絵が描かれています。額のような独特な装飾と、扉全体を彩る木目の美しさ。扉ひとつ取っても、重厚さが漂います。
1階を見終え、突き当りにある木の階段で2階へと上がります。またその階段の立派なこと。赤い絨毯の敷かれた踏み板は、長年の歴史を映すように角が取れ、鈍く光り輝きます。
2階に広がるのは、大きな講堂。美しい曲線に縁どられた折り上げ天井と、赤絨毯に竹の網代織といった豪華な佇まい。
その空間を一層厳かなものにするのが、彫刻の施されたシャンデリアと、窓に埋め込まれた舶来物のギヤマン。ここが本当に小学校なのかと思う程、美しいもの達で彩られています。
黒光りする手すりや柱と、色とりどりの淡い光に包まれる講堂。ここで迎えた入学式や卒業式は、一体どのようなものだったのでしょうか。体育館でそれらを体験した僕には、到底想像もつきません。
90年という長きに渡り、子供や家族の想い出が染みついた講堂を最後に味わい、旧開智学校を離れます。
多額に及んだこの学校の建築費の7割は、松本の人々の寄付だったそう。僕は義務教育の9年間、何の疑問も持たず、面倒と思う日もありつつ、当たり前にただただ通い続けました。そんな今では当然のように通える学校も、この当時は特別なものだったのでしょう。
この建物に掛けられたお金と技術は、当時の始まったばかりの学校教育に対する人々の強い想いそのものだった、そう思えてなりません。旧開智学校を見て、今更ながら、当たり前に学べたことへの感謝が芽生えるのでした。
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