蔦川と蔦沼の豊かな自然を満喫したところで、これから2泊お世話になる『蔦温泉旅館』にチェックインします。
以前のねぷた旅、奥入瀬への道中で車中から眺めたこの宿。大正時代築という味わい深い本館と、旅人を迎える玄関を守る印象深い破風。一目惚れしたこの宿に、念願叶い宿泊できる。これから訪れる幸せな時間の予感に、思わず軽い身震いすら感じてしまいそう。
今回宿泊するのは、もちろん本館客室。通された部屋は人気だという角部屋で、一目見た瞬間その重厚さと深い味わいに圧倒されてしまいます。
瘤や蔦が絡まる、飴色に鈍く輝く印象的な柱や梁。野性的な骨格の中に華を添える、繊細に組まれた建具。あぁ、良かった。この部屋に滞在できるというだけでも、ここまで来た甲斐があるというもの。あまりに漂う濃厚な大正時代の職人技に、自ずとため息が漏れてしまう。
外を眺めてみれば、溢れんばかりに視界を染める盛夏の緑。窓からは山の爽やかな風が吹き渡り、池の噴水が耳に涼しげな水音を届けてくれる。エアコンはありませんが、この空気感は本館ならではの贅沢。
早くも濃厚な蔦の世界感に圧倒されつつも、浴衣に着替えて浴場へ。平安時代からの歴史を持つという、蔦のお湯。撮影禁止のため写真はありませんが、その魅力をちょっとだけ。
時間による男女入れ替え制の久安の湯は、広々とした浴場を占める広い湯舟が印象的。一方の男女別の泉響の湯は、木で組まれた高い天井が古き良き湯屋を思わせる渋い佇まい。
どちらの浴槽も源泉の真上に設けられ、足元からお湯が自噴しています。泉質は、ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物泉。無色透明で肌触りは優しくも、体の芯からしっかりと温めてくれる穏やかなお湯。
ブナで造られた浴槽に身を委ねつつ、全身に感じる大地の恵み。下からぽこん、ぽこんと湧くお湯は塊となり、もわんと肌を撫でてゆく。この独特な感覚は、足元湧出ならでは。そんな湯浴みを一層深いものとする、渋い湯屋の風情。穏やかに流れる空気感に、心身の芯まで解れてゆくよう。
蔦の恵みに満たされたところで、部屋へと戻り湯上りの贅沢を。重厚な建築美を噛みしめつつ飲む冷たいラガーは、筆舌に尽くしがたい至極の味わい。この趣味に出会えて、本当に良かった。掛け値なしにそう思える、僕の一番好きな瞬間。
畳の感触に夜行バスの疲れを癒したところで、お待ちかねの夕食の時間に。西館に位置するレストランには大きな窓が設けられ、暮れゆく南八甲田の空を愛でつつ、青森県産の恵みを味わえます。
まずは前菜の天麩羅から。十和田湖産の公魚はカラリほっくりと揚げられ、淡白ながら滋味深い味わいが魅力的。これまた県産の根曲がり竹は、言わずもがなの僕の大好物。しゃきっとした歯ごたえと広がる風味がたまりません。
そして見慣れぬ、茶色い丸いもの。南部産のアピオスという植物だそうで、マメ科のアメリカホドイモの地下茎だそう。頬張ってみると、若干粘り気を感じるほっくりした食感。初めて出逢う未知なる食材に、旅先での夕餉の愉しみを噛みしめます。
小鉢には、深浦産のアカモクが。つるんとネバネバ食感が、地酒を一層進ませます。載せられたマイクロトマトが小粒ながら濃い味わいで、磯の風味の中に夏の香りが爽やかさを与えるよう。
その隣は、僕の大好物であるミズの水物。細く切られたイカが弾力と控えめな旨味を加え、しゃきっとネバっとのミズを一層美味しくしてくれます。
お造りもすべて青森県産。十和田の虹鱒には上品ながら滋味深い旨味が宿り、陸奥湾の活蛸はほんのりと炙られ甘味が一層引き立ちます。大ぶりな吸盤も食感がよく、タコ好きには堪らない旨さ。三沢で獲れた北寄貝も旨味が濃く、添えられたしょう油までも県産というこだわりよう。
続いては、十和田産の岩魚姿焼きが運ばれてきます。焼き立て熱々の身はほっくりと口でほどけ、淡白かつ上品な旨味が香ばしさと共に広がります。あぁ、幸せ。旨い淡水魚を頬張る度に、山の宿へ来てよかったとしみじみ思ってしまう。
こちらも熱々の、山菜巾着の煮物。お揚げの中にはぎっしりと山菜が詰められ、一口噛めばその歯ごたえと共に美味しいおだしが口中に溢れ出ます。
続いて運ばれてきたのは、焼皿と酢物。焼き玉子豆腐と銘打たれた一皿は、濃厚な茶碗蒸しといった印象。香ばしく焼き目の付けられた湯葉とほたてが、卵の優しい食感と味わいに華を添えます。
酢の物にはなまこが使われ、ゴリゴリとした食感がその新鮮さを物語ります。添えられたなますにはりんご酢が使われているようで、ほんのり香る風味が、なまこ酢にバッチリの好相性。
鍋物は、南部名物のせんべい汁。鴨やごぼうのだしを吸った南部せんべいは、お麩でもなく麺でもない、唯一無二の独特な食感。初めてテレビで見た時はせんべいを煮るなんて、と思いましたが、一度食べるとその食感は病みつきに。
美味しいせんべい汁と青森の美味しい白ご飯で満腹になり、デザートのりんごの蕨餅を。りんごの風味を上手く残したもちもちのお餅の下には、すりおろしたりんごが。りんご尽くしの甘酸っぱさが、食事の最後を爽やかに締めくくります。
いやぁ、美味しかった。建物とお湯に惹かれ選んだ宿ですが、ここは食事がドンピシャ僕好み。青森の山海の恵みをこんなに味わえるなんて。期待を超える大満足の夕餉に、足取りも軽やかに部屋へと戻ります。
ぱんぱんのお腹を落ち着け、夜のお供を開けることに。まずは八戸酒造の陸奥男山超辛純米を。青森らしいきりりとした辛口が、火照りを伴いつつ喉を下りる感覚を味わいます。
ほんのりとした地酒の熱に火照ったところで、外へと散歩に出てみることに。夕食時に蛍が見られると教えてくれました。涼やかな夜風に吹かれつつ、眺める舞う光り。穏やかに明滅を繰り返しつつ飛ぶ姿に、自然の不思議を垣間見ます。
幻想的な蛍の光を目の当たりにし、宿へと戻る帰り道。重厚な破風をもつ玄関は灯りに照らされ、夜に浮かぶ姿もまた幻想的。闇の暗さがあるからこそ、灯りの意味というものが生まれてくるのかもしれない。
部屋へと戻り、あとはお湯とお酒に揺蕩う時間。2本目にあけたのは、これまた八戸酒造の陸奥八仙特別純米。すっきり飲みやすい口当たりですが、お米の旨味や甘味、香りがしっかりと味わえる美味しいお酒。
山中の一軒宿で過ごす、静かな夜。お酒に飽きたら湯屋へと向かい、清らかないで湯に身を委ねるのみ。足元湧出掛け流しのお湯は、青森という地の力をダイレクトに感じさせてくれるよう。
鈍く光る木の温もりに包まれつつ味わう、蔦温泉での時間。漏れる灯りに浮かぶ職人技に目を細めつつ地酒を味わえば、もうこれ以上の贅沢などいらない。お湯に風情に味覚にと、期待以上の宿のもてなしに触れ、ここに連泊できることの幸せを噛みしめるのでした。
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