波照間港から自転車で走ること小一時間、日本最南端之碑に到着。50年前にひとりの旅人が建てたという、この記念碑。風雨に耐えてきたコンクリートの渋い風合いとあまりにも鮮やかな海の青さの対比が、南の果ての印象をより一層強いものにするかのよう。
本当に、本当に南の果てまで来てしまった。今はただ強く吹く海風に身も心も委ね、この最果ての記憶を胸へと刻みたい。
思い起こせば、当時高校1年生だった僕は宗谷岬で北の果てを体感した。そして23年の時を経た今、こうして南の果てに居る。
あのとき感じた目に見える国境の近さ、そして今感じている見えぬ果ての遠さ。緯度も気温も景観も、全てが違う南北の果て。その両地を踏めたからこそ実感できる日本の広さに触れ、旅することの悦びを噛みしめずにはいられない。
日本と外国とを隔てる、どこまでも続く広い海。南の果てから望む海は、あまりにも青く、あまりにも鮮やか。今感じているこの深く鮮烈な青という色彩を、僕は死ぬまで覚えていたい。
強い海風に耐え、花を咲かせるハマゴウ。分厚い葉や薄紫の小さな花が、揺れるたびに南国の太陽を受けきらきらと輝きます。
高那崎より延々と続く断崖絶壁と、それを侵食するかのように打ち付ける波。草さえ生えぬ黒々とした陸地と海の深い青さの対比は、絶海の孤島という言葉を具現化したかのよう。
断崖絶壁で日本の果てを実感し、波照間サイクリングを再開。先程の荒々しさとは打って変わって、広々とした草原にはのどかに暮らすヤギたちの姿。小さな島の中には、様々な表情が凝縮されています。
僕が初めて八重山を訪れたとき、自分の住む街との距離を強く印象付けた光景のひとつが街路樹。道端に植えられた木々が、いちいちワイルドなのです。ここ波照間では、そんな街路樹もより野性味あふれる姿に。豪快に色々なものを広げる木に、南国を感じずにはいられない。
暑いなぁ、果てだなぁ、南国だなぁ。そんなことを思いつつ自転車を走らせていると、どこからともなくアゲハ蝶が現れ僕らを先導するかのようにひらひらと飛んでゆきます。
沖縄のアゲハ蝶は本当にきれい。これまでも何度も目にしましたが、なかなか写真取れないんだよな。なんて考えていると、その思いを知ってかお食事タイムをしっかりと撮らせてくれました。
海沿いへと下った分、再び登る長い坂。陽射しの熱さに耐えつつ登り切り、振り返ればこの眺め。胸のすくような光景に、掻いた汗などどこへやら、心の隅々まで爽快さが吹き抜けます。
続くさとうきび畑が途切れたかと思えば、大きく広がる青々とした草地。この先に牧場でもあるのでしょうか、海辺の木陰に佇む一頭の牛。空と海と緑だけ。それしかないという贅沢を、胸の奥まで吸い込みます。
連なる頼りない電信柱と、大きくなびくさとうきび。今、間違いなく全力の夏。海の青さとともに、僕にとっての波照間島の忘れがたい印象的な光景。
そしてもうひとつ、僕にとっての波照間島の印象となったのが太陽の強さ。どこまでもさとうきび畑が広がる道は、陽射しから逃げるための木陰すら皆無。その印象を刻むかのように、手や足に強烈な自転車焼けがじわじわと広がります。
ようやく見つけた木陰で小休止。木々の隙間からは風が吹き抜け、そこに立てば自分だけの天然の扇風機のよう。風の爽やかさを感じつつふと横を見れば、艶やかに咲く大輪のハイビスカス。
夏だ、本当に夏だ。これまで毎年八重山で感じたけれど、今年の夏はあり得ないほどの印象的な夏。きっとそれは、恵まれた天気のせいだけではないはず。今年という年に感じることのできた南の果ての鮮烈さが、心の中まですっかり日焼けさせるのでした。
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