岩手という地名の由来になった三ッ石神社にお参りし、さらに盛岡散歩を続けます。
三ッ石神社のほど近くを流れる、北上川の支流中津川に架かる上の橋。欄干に付けられた青銅製の擬宝珠は、なんと400年以上前に作られたもの。
橋は流出を繰り返して架け替えられていますが、水害や戦火を潜り抜けてこれ程多くの擬宝珠が残存していることに驚き。その長い歴史を物語るかのように鈍い輝きを放ちます。
上の橋を渡ってすぐのところに、立派な土蔵造りの建物が。明治に建てられたこの重厚な建物は、旧井弥商店という豪商のものであったそうで、黒の漆喰が印象的。
先程の土蔵、正食普及会の斜め向かいから伸びる道を進むと、今度は白い蔵が。盛岡の銘酒、菊の司酒造です。思ったよりも市街地に位置し、ここであのお酒が作られているのかぁ、とひとり納得しながら進みます。
菊の司の味を思い浮かべつつ進むと、望楼が目立つ洋館風の建物が。大正時代に建てられた消防団の番屋で、今なお現役とのこと。当時はこの望楼から盛岡の市街地が一望できたそう。
紺屋町番屋のある交差点を渡り更に直進すると、道沿いに続く立派な建物が。ござ九という、ござや畳、荒物などを扱う商家で、江戸時代から明治にかけて増改築を重ねてこれほどの大きさになったそう。
写真には入りきらない長い建物は間口二十間、総二階建て。更に奥には土蔵がいくつも建っており、規模の大きさに唖然としてしまいます。
ござ九のすぐ先、クランク状のカーブを抜けると姿を現す盛岡信用金庫本店。重厚な中にも繊細な飾り彫りが施された石造りの建物は、東京駅を設計した岩手出身の葛西萬司氏の設計。昭和2年築の建物は、今も元気に信用金庫として使われています。
盛岡信用金庫の奥に、窓が印象的な木造建築が見えたので行ってみると、そこは盛岡名物わんこそばの有名店、東家でした。盛岡3大麺料理のうち、わんこそばだけはまだ未体験なので、次回はぜひ訪れてみたいものです。
盛岡信用金庫の斜向かいに建つ重厚なレンガ造り。こちらは岩手銀行中の橋支店で、同じく現役で営業中。
こちらも先程と同じ葛西萬司氏の設計で、明治44年築のこの建物は東京駅よりも古くに建てられており、なんとなく東京駅と似たような面影を持つ、いわばお兄さんとも言える建物。
交差点を渡ってすぐにある、石積みとタイル張りが見事に調和した、旧第九十銀行の建物。現在はもりおか啄木・賢治青春館として、二人を紹介する資料館として活用されています。
江戸から昭和まで、様々な表情を持つ歴史的建造物が並ぶ紺屋町界隈を抜け、緑豊かな盛岡城跡へと向かいます。
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