田沢湖駅から延々バスに揺られ登り続けること約2時間、この旅最初の目的地である後生掛温泉に到着。いよいよ、秘湯尽くしの日々が幕を開けようとしています。
緑の間に所々覗く紅葉した木々。真っ盛りの燃えるような紅葉もきれいですが、緑の中を点々と彩る紅葉はより存在感を感じさせ、また格別の眺め。
秋の高く青い空に浮かぶ白い雲。平地で眺めるよりも心なしか距離感が近く、手に届きそうな距離で眺める空の移り変わりは、ここが高地であることを強く実感させます。
清々しい山の空気に包まれのんびり歩くと、荒涼とした噴煙地の中に突如宿が出現。本やパンフレット等で見て以来、期待と憧れ続けた名湯、後生掛温泉です。
バス停から歩くこと約5分、ついに憧れの『後生掛温泉』とご対面。旅館部と湯治部からなり、日帰り利用は建物横の坂を下り、湯治部で受け付けをします。
早速受付を済ませて浴場へ。この旅初の入湯に、年甲斐もなくどきどきわくわくしてしまいます。
馬で来て足駄で帰る後生掛、と言われるほど効能の高いという温泉は、薄い茶色掛かったにごり湯。大きな木造りの浴場の中に、普通の湯船の他にバイブラや温泉サウナ、露天等が設えられています。
後生掛温泉で特に有名なのが、箱蒸し風呂と泥湯。箱蒸し風呂は木で作られた観音開きの箱の中に入り、頭だけ出して温泉蒸気に蒸されるというもの。温泉の持つエネルギーがダイレクトに感じられるようで、あっというまに体はぽかぽか、額に汗が滲みます。
泥湯は後生掛の地獄の泥をおじさんが湯口に投入。粘土質の濃い灰色の泥はとてもきめ細やかで、肌にべたっと塗ればそこの部分がしっとり滑らかになるという天然パック。この感触にはまってしまい、何度も繰り返し塗って楽しみました。
浴場の撮影が禁止のため、文字でしかその良さをお伝えできないのが悲しいところですが、お湯がいいのは間違いありません。
そんな歴史ある名湯を楽しんだ後は、もちろん美味しいお昼ご飯を。旅館部への廊下を進み、売店横にある食堂へと向かいます。食堂からはこの緑と湯けむりといった絶好の眺め。
そばやうどん等のメニューが並ぶ中、この日から始めたというおばちゃんのお誘いの文句に誘われ、舞茸丼を注文。冷えたビールをぐびっとやっているうちに運ばれてきました。
ご飯の上には、親子丼風の味付けが施された舞茸、鶏肉、ねぎ、しらたきがたっぷり。載せられた温泉卵を崩せば、黄身が広がりぐっとまろやかになります。舞茸のシャキッとした食感も良く、味付けも濃くもなく薄くもなく丁度良い塩梅。これは旨い。おすすめだけありました。
食後に広間でお腹を落ち着け再びお風呂へ。今まで入ってきたのとはまたちょっと違う薄茶のにごり湯を心ゆくまで堪能し、後生掛温泉を後にします。
この宿は旅館部の他に湯治部が充実しており、通常の個室の他に温泉熱を利用したオンドル部屋も用意され、一軒で様々なスタイルの滞在を可能にしています。今夜の宿の候補として最後まで悩んだ挙句の日帰り利用でしたが、次回はぜひ、泊り掛けで来てみたいものです。
狭いエリアで様々な火山現象を見ることができるという後生掛。その様子は自然の火山博物館と言われるほどだそう。旅館の裏手から1周約40分、折角なので後生掛自然研究路を散策してみることに。
歩道はよく整備され、無理なく気持ちよく歩くことができます。旅館の裏手を出発してすぐ、後生掛の名の由来となったと言われる「オナメ・モトメ」が見えます。この地方の方言で、おなめは妾、もとめは妻という意味だそう。
男がこの地で病に倒れ、看病した女とその後幸せに暮らしていたところ、男が郷里に置いてきた妻がこの地へ来たため、女は身を引くためにここへ身を投げた。
そのことを知った妻も、この男に後生を掛けてここへ身を投げてしまった。この伝説が元となり、「後生掛」の名が付いたそう。勢いよく熱湯を吹き出す大小2つの地獄には、そんな物語が隠されていました。
後生掛の由来を知り、なんとなくしんみりしつつも再び歩き出します。どこまでも広がる、荒涼とした眺め。それを見守る空は嘘のように青く澄み、白い雲がゆるやかに流れてゆきます。
振り返れば、地獄の先に佇む後生掛温泉。この大地の恵みを独り占め。お湯がいいのは当然のことだと今更ながら納得します。
荒れ果てた、という言葉がしっくりくるような寂しい眺めに彩りを与える、色づく木々。生命の放つ色彩を感じ、なんとなくほっとします。
時として、美しさだけでなくその恐ろしさを垣間見せる自然。この地がまさにそうで、まるで人間をけん制するかのような、近寄りがたい迫力に溢れています。
山の陽が傾くのは早く、まだ14時台というのに、すでに光は黄色味を増し始めました。その日の光に照らされ、銀に輝くすすきの群れ。銀粉のような細かい光を、風に揺れながら振りまきます。
秋の空の青を映し、さらさらと流れる清らかな水。その傍らの、はっとするような色に染まった木とのコントラストは、自然が創り上げた一枚の絵のよう。
この時期でしか味わえない美しさのすぐ横に広がる、大地の息遣い。いたるところから湯や蒸気が噴き出し、地球の吐き出すエネルギーをこれでもかというほど見せつけられます。
沼の中に現る泥火山。地表に出ているのはほんの一部で、地中へ7~8mも続いているのだそう。その規模は日本一だそうで、地中から噴き出した泥が堆積するその姿は、まるで子供の火山。これが大きな規模で起こると、○○富士と言われるような火山ができあがるのでしょうか。
果てしなく続く荒涼とした眺め。その中でこそより際立つ、燃えるような紅葉。秋、この季節こそがこの場を訪れるのに一番いい季節なのかもしれません。
道はなおも噴煙を上げる火山の真っただ中を進みます。畏れさえ感じさせるような眺めと、いかにも秋といった爽やかな晴れ空の対比が奏でる妙。延々と歩いていくうちに、別世界へと連れて行かれそうな不思議な感覚に襲われます。
突如現れる大きな池。泥と熱湯が絶えず吹き上げる、大湯沼。まさにこの場が、地中と地上の最前線。地球の内臓を垣間見てしまったようで、軽く鳥肌さえ立ちます。
大湯沼から振り返り、右を見ても・・・、
左を見ても、この眺め。月面を思わせる荒涼とした大地。太古の昔、この地球を覆う大地は、どこもかしこもこんな姿だったのでしょうか。
これまで、有名な登別の地獄谷や箱根の大涌谷、草津の西の河原には行ったことがありますが、これほどまでに広大で、これほどまでに手付かずの火山活動を目の当たりにしたのは初めてのこと。
「手の届きそうな」ではなく、本当に「手の届く」ところで繰り広げられる地球の呼吸。
これまで味わったことのないリアルさと迫力に、圧倒されっぱなしの40分。自然の威力に気圧され、感動と若干の畏れを胸に、この地を離れるのでした。
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