くらくらするほどの、全開の夏。本領を発揮し始めた八重山の太陽に照らされ、白く輝く砂浜と無限のあおさに染まる海。2年ぶりに再び逢えた青さに肌も灼かれたところで、そろそろコンドイビーチを後にすることに。
今日の青さを胸の奥まで吸い込み、シャワーを浴びて帰る準備を。着替えを済ませて荷造りしていると、足に感じるくすぐったさ。何だ?と思い見てみれば、あの葉っぱそっくりの姿をしたダイトウクダマキモドキが。
考えられない。6年前の僕だったら、うわっ!と慄きすぐさま払っているはず。でも八重山に来るようになってから、少しずつ、本当に少しずつだけれど虫を直視できるようになってきた。
まずは蝶々をきれいと思えるようになり、蝉も何とか見られるように。そしていま、こうしてバッタが登ってきてもかわいいと思えるまでに。未だ苦手な虫の方が圧倒的大多数だけど、おじさんになっても人間って成長できるんだなぁ。
初めて八重山を訪れてから、明らかに自分の中の何かが変わり始めた。そして回を重ねるごとに、僅かながらその動きは進んでゆく。だって、こんな眩さを知る前と後では、同じで居られるはずがない。
こころにあおさをもたらしてくれたコンドイビーチに別れを告げ、港目指して歩き始めます。漲る陽射しを受け、元気に咲くハイビスカス。可憐な八重咲きの姿からは、力強さと同時に繊細な美しさが溢れ出るよう。
八重山を訪れて驚いたのが、様々な姿をしたハイビスカスたち。東京で生まれ育った僕にとって、ハイビスカスといえばいわゆるあの派手な赤い大輪の花。そんな程度の認識しかなかったのですが、色や咲き方、形までも多種多様で、本当に見ていて飽きることがありません。
色とりどりの花々、バナナやパパイヤといった南国の果実、そして島を覆いつくさんとするほどの豊かな緑。全体が植物園のような竹富島で、その自然と共存するように佇む集落。人工物なのに、自然色。ひとの暮らしと緑が溶け合う姿は、何度目の当たりにしても美しいの言葉しか出てこない。
昨日までは小屋で休んでいたヤギも、今日はお外で元気にお食事中。眩い夏の到来を感じてか、心なしか綱を引く姿も嬉しそう。
じりじりと島を灼く八重山の太陽。僕の暮らす場所よりもはるかに赤道に近いことを感じさせるその力強さに、大きな木陰に集まりのんびりと涼をとる牛たち。
東京でなら、疎ましくすら思えてくる夏の暑さ。でも今日は、そんな暑さが愛おしい。ようやく訪れた本当の夏に、2年ぶりに心の奥底から何かが解放されゆく感覚を噛みしめます。
船の時間までまだ余裕があったので、ずっと気になっていたゆがふ館の隣からのびる道を歩いてみることに。しばらく進むと、道は細くなり両側の森は深まるばかり。ふたりで歩いているとはいえ、何となく心細くなってきます。
途中には、竹富島発祥の地といわれる新里村遺跡が。11~12世紀ごろにここに集落ができ、そこからこの島での人々の暮らしが始まっていったそう。いつまでここに人が暮らしていたのかは分かりませんが、時が止まったかのように今なお残る珊瑚の石垣が印象的。
その頃とは暮らしは変わっても、珊瑚の石垣はずっとこうしてこの島に受け継がれている。竹富島って本当に貴重な場所なんだと、改めて強くそう思わされる。
僕にとって、初の沖縄が八重山で、そして初めてがこの島であってくれて本当に良かった。あの日僕を射抜いた直感は、こうして確信へと変わってゆく。何故こんなにも、八重山が好きなのか。そんな理由などどうでもいい。こうして通いたいと思える地がある。それは僕にとって、生きてゆくうえでとてもとても大切な宝物。
東北、信州、そしてここ八重山。所縁はないはずなのに、何故か勝手な縁を感じてしまう場所がある。本当に不思議だよな。そんなことを考えつつ歩いていると、視界は開け牧場が。
島の北側を占める放牧場。先ほど木陰に牛が集まっていた場所から、ここまでずっと繋がっているのでしょう。ここでも牛が、のんびりとおいしそうに草を食んでいます。
本当はこの先北岬へと行くつもりでしたが、そこへとのびる道があまりにも藪っぽく、なんかハブ出そうだよねとあえなく断念。食事を楽しむ牛に別れを告げ、来た道を引き返します。
初めて歩いてみた、島の北側の道。その道中、竹富の成り立ちを感じ、牧歌的な光景に出逢い。また新たな竹富島の顔を知り、より一層この島への想いは深まるのでした。
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