弘前から黒石へ。半年前のねぷた旅で辿ったこのルートも、初めて訪れた冬では表情が違って見える。また来よう。雪に埋もれた白銀の世界、桜咲き誇る艶やかな春。錦に染まる秋も見てみたい。そんな妄想を抱きつつ、こみせ通りに位置する中町バス停から『弘南バス』温川ゆきに乗車します。
小さなマイクロの路線バスに揺られて約30分、虹の湖公園に到着。ここで宿の送迎バスに乗り換え山越え谷底へと走ること20分ちょっと、これから2泊お世話になる『青荷温泉』に到着。言わずと知れた、ランプの宿です。
この便だけで送迎バス2台分という大賑わい。宿の利用方法についての説明をみんなで聞き、部屋のある方面別に分かれて自室へと向かいます。
仲居さんの後を付いていくと、あれ?もしかして?との予感が頭をよぎります。そしてたどり着いた先は、離れであるふるさと館。そうここは、8年前に初めて訪れたときに泊まった離れ。懐かしさとともに、その時の記憶が一気に溢れ出します。
4つある部屋が全て角部屋となるふるさと館。前回は入って右奥、南西の角部屋でしたが、今回はその手前の北西角部屋。大きな窓から見える本館や吊り橋の景色もほぼ同じで、違うのは溢れる新緑か白く輝く銀世界かというだけ。
僕のその後を決定づけた、8年前の想い出の旅。今はなきブルートレインに誘われた津軽の地へ、これほどまでに通うようになるとは。そんなかけがえのない原体験をくれたこの宿に、8年ぶりに泊まれるなんて。その感慨に染まれるだけでも、再訪した甲斐があった。渋い佇まいのランプ小屋を眺め、心の芯から懐かしさが広がりゆくのを噛みしめます。
湯浴みの前から心の火照りを感じつつ、この旅最初の一浴へ。前回訪れた際に一番お気に入りとなった健六の湯へと向かいます。この宿には大きな混浴露天と3つの男女別浴場があり、それぞれ違った風情を楽しむ湯めぐりができるのも嬉しいところ。
早速浴衣を脱ぎ、浴場へと入ります。するとまず目に飛び込むのが、この大きくとられた窓。前回は溢れんばかりの若い緑に染まっていましたが、今回は視界のすべてが白銀に。あぁ、渋い。自然の織り成すモノクロームに、今はただただ浸りたい。
大きな湯船に満たされるのは、無色透明の単純温泉。肌への当たりは非常に優しく、全身をもんわりとした温もりで包んでくれるよう。立ち上る湯けむりからはほんのりとした湯の香が漂い、ふんだんに使われた青森ヒバの香りが鼻をくすぐります。
きらきらと溢れるきれいなお湯に揺蕩う、贅沢なひととき。春夏秋冬、それぞれの良さがある。でもやはり、純白に染まる雪見風呂は別格のひと言。
そんな湯浴みへの道中すら愉しませてくれるのが、ランプの宿のもつ世界観。灯火がゆらぐという非日常が、至るところに散りばめられているのです。
吊り橋で渡る、清らかな青荷川。こんもりと積もる純白の雪が、心に積もったなにかまで漂白してくれるよう。今年はこれでも雪が少ないのだそう。遊びに訪れる者は気楽でいいですが、豪雪地で暮らすことの大変さを垣間見た気がします。
売店で買った冷えたビールを携え、自室へと戻ります。大きな窓から溢れる、光の洪水。雪の眩しさの中で灯るランプの小さなあかりは、見る者の心まで温めてくれるよう。炎のゆらぎをつまみに飲む、湯上りのビール。これを贅沢と言わずして、何をもって贅沢とするのだろうか。
電気もなく、携帯の電波すら届かない文字通りの秘境。湯上りの畳の感触を味わい、ひたすらゴロゴロ過ごす時間。そんな時間にも飽きたら、再び湯屋へ。今度は本館の内湯へと向かいます。
小ぢんまりとしつつも、ヒバの香りと渋い色合いに包まれた浴場。こちらにも無色透明の源泉が掛け流されていますが、湯船が小ぶりだからか結構な熱さ。掛け湯を繰り返し、馴染んだところでさっと浸かります。
ひたすらに、することがない。夜には本すら読めないことは前回の宿泊で承知しているので、敢えて今回は何も持たずにここへ来た。ただただ浸かって食って、飲んで寝るだけ。そんな怠惰の極みを味わいたいがために、ここへの連泊を決めたのです。
段々と日が翳り、反比例するかのように増してゆくランプの存在感。人工の光には決して醸すことのできない、炎のゆらぎ。火が揺れるたびに動く影。炎も生き物のように鼓動を刻んでいるのではないか。そんな不思議な一体感に揺蕩いつつ、幻想的な時間はゆっくりと流れてゆくのでした。
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