坂のまちの情景と坂本龍馬ゆかりの地に触れ、新大工町電停から『長崎電気軌道』の3系統赤迫行きに乗車します。

市役所や駅前と中心部を抜け走ること20分、平和公園電停で下車。すぐ近くの松山町の交差点を渡れば、世界恒久平和への祈りが込められた公園の入口が。

その横には、ぽっかりと口を開ける防空壕跡。原爆投下時空襲警報は解除中だったそうですが、このなかに避難していたとして一体どれほどの方が助かったというのだろう。

小高い丘へとのぼってゆくと、水を噴き上げる平和の泉が。その前には、ある少女の手記が刻まれた石碑。水を、水をと苦しみながら亡くなっていった数え切れぬほどの人々。その光景が浮かぶような内容に、当然のことながら絶句する。

右手は原爆を示し、左手は平和を・・・。犠牲者の追悼と世界平和の祈りが託された、平和祈念像。このブロンズ像を制作したのは、長崎出身の北村西望氏。
井の頭公園にアトリエがあったことから、そこに展示された原型は小さなころから何度か見てきた。だがしかし、こうしてこの地で対峙するからこその意義がある。被爆後十年、除幕式の写真を見ると植樹されたか細い木が背後に数本写るのみ。それがいま、こんなにも豊かな森へと育っている。

あと3か月ほどで、原爆投下から81年。当初は70年間は草木も生えないだろうといわれた爆心地も、こうして人々の憩う緑豊かな公園となっている。
その生命力や人々の復興力にも驚かされるし、なにより80年以上にもわたり木々が人が、そして街が育つ環境、つまりは平和が保たれたという事実こそが尊いのだと思い知らされる。

原爆落下中心地には、被爆当時の姿をいまへと伝える遺構も。お茶碗に屋根瓦、やっとこなど生活の跡がタイムカプセルのように残された地層。いまなお感じられる人々の営みの生々しさが、本当に一瞬にして人を街を消し去ったのだと物語る。

爆心地を流れる川の護岸には、原爆の熱線を浴びた被爆当時の石が。そしてこの川は、水も流れることのできないほどの遺体で埋め尽くされていたそう。亡くなった方の苦しさ、そしてその惨状を目の当たりにした人々の決して癒えることのない傷も、戦争を知らない僕には想像することすらできやしない。
僕の子供のころはまだ戦争を経験した世代が健在で、本や映像などでも目にする機会はそれなりにあった。二度にわたる原爆の日や終戦の日には黙祷のチャイムも流れたし、テレビも必ずそのことに触れていた。でも最近、急速にその色味が消えつつあるような気がしてならない。
僕は自分の教わってきたことがすべて正しいとも思っていないし、さまざまな人が集まって生きている以上いろいろな考えがあるのも自然なことだと思っている。だから僕自身がどう思うかをここで書くつもりもないし、書けるほどの資格もない。だがしかし、それを自分で判断できるようにするための材料に触れる機会を減らしてしまうは、やはり違うのではないかと僕は思う。

そんなことを書いていたって、結局は僕も平和な暮らしをしている現代人。だからこそ、こうして戦禍に触れる機会を設けるべきなのだろう。そしてようやく、日常というもの脆さと尊さに気付けるのだから。

あらためて当たり前というものの大切さを噛みしめつつ、原爆資料館電停から1系統の崇福寺行きに乗車。15分ほど揺られ出島電停で降りれば、本日最後の目的地である出島はもう目の前。

いまから390年前、寛永13年に埋め立てにより築造された出島。当初はポルトガル、その後はオランダと、江戸時代において日本で唯一西欧との貿易の窓が開かれた場所。

かつては海上に飛び出した扇形の人工島でしたが、周囲の埋め立てにより陸地に溶け込む形となった出島。ですが平成8年から3期に分けて江戸期の建物が復元され、島内は往時の様子を伝える姿に。

当時は輸出入品を改めていたという、いわば税関の役割を担っていた水門から島内へ。両側に並ぶ建物はそれぞれ内部見学可ですが、ちょっとばかり時間が足りない。断腸の思いで、駆け足で見学することに。

表門の正面に建てられていたという、乙名詰所。ここには乙名とよばれる出島の管理者が詰め、出入りする人々を監視していたそう。一見和風の建築ですが、ふすまにはこの地らしいエキゾチックな文様が。

さらに進んでゆくと、2棟並ぶ瀟洒な洋館が。手前の旧長崎内外クラブと奥の旧出島神学校、ともに明治期にこの地に建てられたものだそう。鎖国から開国後まで、和洋の文化の交流地として栄えてきた歴史が窺えます。

よくよく考えてみれば、四海樓と路面電車で座った以外はずっと立ちっぱなし歩きっぱなし。ちょっとよくばりな行程だったかな。時間も体力もリミットに近づいたため、後ろ髪をひかれつつも出島を後にすることに。

これはまた、再訪のよき口実ができてしまった。長崎でもういくつめだろうか。またまた次へとつながる宿題をお土産に、そろそろ今宵の宴の舞台へと移動することに。

中島川沿いに歩いてゆくと、見るからに古そうなトラス橋。華奢な体でいまなお車を通しつづける姿に、これは只者ではないと直感。蝙蝠型をした銘板には、明治四十三年架の文字。この出島橋は、現役の鉄製道路橋としては日本最古なのだそう。

26年前はバスツアーだったからか、本当にさらっと見て回っただけだったんだな。距離感や規模間は知っているつもりだった長崎の街。でもこうして巡ってみれば、時間が足りないとうれしい悲鳴。
普段あまり観光は詰め込むタイプではないけれど、今日は本当に充実した一日だった。なかなか来ることのできなかった長崎、ちょっと欲張ってみて正解だった。四半世紀を越えての再訪に満たされ、西日に染まるうつくしい街の姿に目を細めるのでした。



コメント