26年ぶりに長崎で迎える朝。窓の外を見てみれば、文字どおりの雲ひとつない快晴。今日一日のあおさを約束してくれるような空模様に誘われ、いそいそと身支度を整えます。

今回は素泊まりのプランで予約。朝からなにか地元の味を食べられないかと探したところ、長崎港ターミナルビルにある『南蛮亭』を発見。昭和44年創業と、地元の人々や離島へと向かう船客に愛されてきたうどんのお店。

肉やごぼ天も捨てがたいが、今回は創業当時からのメニューだという五色うどんを注文。店内を満たすだしの香りにうずうずしつつ待つことしばし、お待ちかねの一杯が完成。
まずは、琥珀色に輝くおつゆから。ひと口含んだ瞬間、舌先から脳天へと突き抜ける豊潤な旨味。これ、ものすごい魚感だ。臭みやえぐみといったものは決してないが、これまでの人生の中で最強ともいえるほどの濃厚さ。
そうか、これがあごだしの本気なのか。透明感がありながら分厚い旨さに圧倒され、そう気づくまで一瞬フリーズ。しつこいようだが、魚の臭みは全くなし。でも確実に、おれ飛魚!長崎の海を飛び回ってるぜ!って言っている。
あまりのおいしさに三口四口とおつゆを啜り、つづいて麺を。細めのうどんは、ぷりっと艶肌つるもち食感。やさしい口当たりがおつゆに寄り添うようで、ちゅるちゅるちゅるちゅると止まらなくなる。
五色の名のとおり、のせられた具は5種類。さらなる旨味を加えるおぼろ昆布に、だしにコクを与える天かす。西日本らしい青ねぎの風味も爽やかで、うずまきのかまぼこもぷりっとしたおいしさ。そしてうおっ!と唸ったのがちくわ。弾力と味わいが濃く、だしが絡みこれだけで一品料理だと思えてくる。

淡口ながら圧倒的な質量をもつあごだしに心酔し、箸が止まらずあっという間に完食。本当に、西日本はうどんが旨い。人生2食目となる九州のうどんの力をこころに刻み、クールダウンしに岸壁へ。

今しがた五島列島へとむけ旅立ったフェリーを見送り、目的の場所を目指し移動。その道中、ビルの狭間に置かれた大きな鉄の玉。この大波止の鉄玉は、江戸時代にはすでに存在の記録が。鉄砲玉の別名もあるようですがその由来は不明で、大砲の弾丸とも断定されていないそう。

長崎七不思議にも唄われたという鉄砲玉に別れを告げ、いよいよ軍艦島クルーズへ。いくつかの会社が運行していますが、今回乗船するのは『高島海上交通』。受付会場は、目印となるアパホテル長崎駅南の向かい。ちなみに長崎には、駅南のほかに駅前と出島、3ヶ所のアパホテルがあるため要注意。

今回乗船するのは、黒いダイヤと呼ばれた石炭に由来すると思われるブラックダイヤモンド。室内とデッキに座席の並ぶ1階に、左右中央に手すりのついた2階の立ち席。並んだ順の自由席のため早めに受付し、無事2階甲板の右舷を確保。

乗船客がそろったようで、定刻より10分ほど早く出航。おだやかな港内を進んでゆくと、右手には三菱長崎造船所が。そのなかでも目を引くのが、巨大なクレーン。このジャイアント・カンチレバークレーンは1909年にスコットランドから輸入されたもので、1世紀以上を経たいまもなお現役で稼働を続けています。

江戸時代に製鉄所として産声をあげ、その後造船所として長きにわたり日本の産業を支えてきたこの造船所。客船やフェリー、タンカーに護衛艦など、幾多もの船を建造してきました。

さらに進んでゆくと、明治後期に建設されたという第三船渠が。建設当時の電気モーターや排水ポンプは、120年以上経ったいまでも現役で使われているそう。

はまなすにそれいゆ、愛するあの船たちの故郷はここだったのか。そんな自分的感慨に耽っていると、ブラックダイヤモンドは女神大橋へと差し掛かりいよいよ長崎の港外へ。

女神大橋をくぐると、右手には白く輝く神ノ島教会が。その名のとおり、ここは1960年代に埋め立てられるまでは離島だったそう。隠れキリシタンが多くいたというこの島に、明治30年に建てられました。

白亜の教会を見送れば、つづいて姿をあらわす特徴的な海岸線。そのなかでも真ん中の岬が、どうしてもE5系のように見えてしかたがない。

それにしても、本当に凄まじい地形の妙だ。幾重にも折り重なる、すっぱりと海へと落ちゆく断崖絶壁。その迫力に、言葉も忘れ圧倒されてしまう。

行く手へと視線を向ければ、本土と橋で結ばれた伊王島。ここもかつては炭鉱で栄えたそうですが、現在はホテルに海水浴場と観光の島に。中央には、昭和6年築の馬込教会の姿が。

そしてついに、船の目指す先にこれから上陸する高島が。その奥には、明らかに天然の島とは思えぬ異様な影。肉眼で見ることができる日が、本当にくるとは。はやくもそんな感慨で、胸が押しつぶされそうになる。

長崎港から鮮烈な海の旅を満喫すること約40分、船は最初の寄港地である高島に到着。そびえる巨大な鉄筋コンクリートのアパートが、この島の歩んできた歴史を滲ませる。

ここ高島は、江戸時代から採掘がおこなわれてきた石炭の島。明治時代には西洋の技術が導入され、日本初の近代化炭鉱として昭和61年の閉山まで長きにわたり石炭を産出してきました。

1986年、僕が5歳のときか。そう考えると、遠い昔のように思えていたものが一気に身近に感じられる。そういえば、なぜだか無性に印象に残っている三池炭鉱閉山のニュースも、高校生になる直前のことだった。

港から2分ほどのところに、日本の炭鉱の先駆けとなった高島の歴史を伝える石炭史料館が。外には軍艦島の1/100のジオラマも併設され、ガイドさんの話を聞きながら見学することも。

多くの乗船客でジオラマが見えにくかったため、史料館の館内へ。そこには、高島や端島に関する展示がずらり。このコースでの高島滞在時間は30分。じっくり見てまわりたいところですが、断腸の思いで駆け足で。

江戸時代からという長い歴史を持ち、日本の近代的な炭鉱の先駆けとなった高島。かつては幾多もの炭鉱住宅が建ち並んでいたこの島も、現在では人口400人を切っているそう。
日本において、鉱山という存在がいかに大きな影響をおよぼしてきたのか。昭和後期生まれの僕にとって、それは残された写真や映像でしかたどることはできないと思っていた。
でも実際に、いまこうして目の当たりにしている。僕と高島炭鉱の生きた時代が重なっているという事実に気づかされ、なんとも言えぬ想いが胸を占めてゆくのでした。



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