少しずつ日が翳り、ランプの灯りが目立つようになった頃、待ちに待った夕食の時間に。吊るされた幾多ものランプが、幻想的な雰囲気を醸し出す大広間が会場となります。
こちらの飲み物の注文システムはちょっと独特。大広間と台所の間に窓口があり、そこで名前を告げて注文をし、受け取るシステム。別注料理を頼んでいた人はこの時に受け取るようです。何となく学生の頃の合宿を思い出し、楽しい気分になってきます。
テーブルに並ぶはいくつもの山の幸。日本酒を二合もらい、早速ランプに照らされながらの一献を愉しむこととします。
僕の好物である岩魚の塩焼きはホクホクとした身が美味しく、分厚く切られたマスの刺身も新鮮でしみじみとした旨さ溢れる一品。
うどの天ぷらや炒め煮は香りがよく、これまた好物の根曲がり竹の炒め煮もシャキシャキとして美味。山菜の煮物は素材の味を生かした薄味で、わらびのお浸しは今の時期ならでは、旬を味わえます。
これだけの山の恵みの他にしし鍋も。こちらのしし鍋はしょう油ベースの味付けで、味噌以外のしし鍋を食べたのは初めて。分厚い脂のコクと赤身の旨味が詰まったお肉を噛みしめれば、自ずと酒に手が延びてしまいます。
旨い料理をつまみつつ日本酒を楽しんでいると、宿の方が出てきて料理の説明をしてくれました。
そこで嬉しいお知らせが。金曜日限定で津軽三味線の生演奏をしているそうで、まさにこの日が金曜日。なんてタイミングがいいのでしょうか。滋味溢れる山の幸と酒を片手に三味線を聴けるなんて。
会場を包む勇ましい三味線の音。強く打ち付けた弦からは、その振動と共に力強さが胸の奥まで伝わってくる。
温かみのあるランプの灯りに包まれ、酒を飲みながら聴く三味線の調べ。僕の胸の奥にある何かに火が点けられたように、胸が熱く、高鳴り、締め付けられる。切なさにも似た、何とも言えない感覚に襲われ、何故だか目頭が熱くなる。
これは酒のせいか、ランプのせいか、それとも三味線のせいなのか。この空間で聴く温かい力に溢れた音色は、忘れられない感動を僕の胸に刻むのでした。
三味線の演奏も終わり、お酒も料理も食べ終わったところで、軽くご飯とお味噌汁で〆ることに。大広間の中央に大きな鍋で置かれており、自分で好きな分だけよそうことができます。
今日はあざみのお味噌汁。初めて口にしたあざみはほんのりとした苦味が心地良く、三味線とお酒で火照った心をじんわりと落ち着かせてくれます。
三味線と美味しい夕餉の余韻が冷めやらぬ中、すでに薄暗くなった吊り橋を渡り自室へ。横に灯されたランプの存在感が、夜が間近であることを教えてくれます。
部屋へと戻ると、夕飯前とは全く違った雰囲気。窓の景色はすでに色を失い始め、闇に溶けかける部屋をオレンジの光が柔らかく包み込む。そう、これからがこの宿の一番良い時間。
陽の光からランプの灯りへ。グラデーションのように刻一刻と姿を変える光のバトンタッチを、畳に座り心ゆくまで眺める。
もうこの暗さになると本を読むこともできない。この上なく無駄で、この上なく贅沢で、この上なく幸せな時間。何もしていないのに包まれるこの幸福感は、一体何なのでしょうか。
テレビもラジオも無く、本も読めない。することと言えば湯に浸かり、酒を飲み、瞑想に耽るだけ。そんなランプの宿でのお供に選んだのは、地元黒石の銘酒二種。
まずはこみせで見かけた大きな杉玉が印象的だった、中村亀吉が造る純米吟醸亀吉。ラベルに書かれたとおり辛口ではありますが、サラッとしていながらも口当たりが良く、フルーティーさも感じるお酒。
続いては、試飲させていただき気に入って購入した、鳴海酒造店の菊乃井津軽の吟。甘酸っぱさが印象的で、つまみ無しでちびりちびりと楽しむにはもってこい。
いつもは四合瓶を買いますが、小瓶を二種ほど買い、その違いを楽しむのもまた楽しいもの。飲んでいるときはとにかくお酒の味に専念するしかないこの状況。いつも以上にお酒が味わい深く感じます。
畳の感触を楽しみつつ、ほろ酔い加減で眺める部屋。山の縁を彩る空は、残り僅かな力で辛うじて青く弱く光り、ガラスに映るランプの灯りが重なる。この灯りでなければ味わえない、夜の色彩の移り変わり。
温かい炎がぼんやりと揺れるランプ。見えなくて良いものは見えなくし、普段見えないものを照らして目に見せてくれる。この優しい灯りには、そんな不思議な力が宿っているかのよう。
最初は本も読めずに時間を持て余すだろうかと思っていましたが、この状況になるとまた違った愉しみかたがある。何もすることが無いのに感じられる贅沢。ランプの宿に泊まらなければ味わえない、特別な時間が流れます。
お酒に飽きたら、ランプがぼんやりと照らすお風呂へ。お湯と、お酒と、夜という時間を純粋に愉しむ。そんなことを繰り返しているうちに、忍び寄る睡魔が。
このかけがえのない時間をもっと長く愉しみたい・・・。そう思いつつも襲う睡魔には勝てず、ランプの灯りに包まれ深い眠りに落ちて行くのでした。
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