今日のような天気が、実は一番危険なのかもしれない。風が涼しく陽射しも弱めだったため、あまり実感を伴わぬうちにだいぶ肌が灼けたよう。やっぱりこの時間に切り上げて正解だった。肌に宿る熱を感じつつ、集落目指して歩きます。
両側を深い木々に覆われた外周道路を離れ、白砂で舗装された集落内へ。足元に感じるさらさらとした感触、目に映る珊瑚の石垣や赤瓦。逢いたかった。本当に、逢いたかった。この瞬間を迎えられる日を、一体どれほどの想いで待ち焦がれてきたか。視界を染める世界観全てが、ただただ今は愛おしい。
おととし訪れたときは休業中だった『竹乃子』も、今年は元気に営業中。人生で初めて八重山の味に出逢った想い出のお店で、3年ぶりのあの穏やかなおいしさを味わうことに。
お昼どきは過ぎていましたが、今年は観光客の数もそこそこいそう。順番待ちの紙に名前を書き、目の前の待合場所の木陰でのんびり待つことに。
ふとそばを見てみると、立派な木を伝う真っ赤な実を付けたピィヤーシ。この実が南国の風を運ぶ香辛料となり、この葉がじゅーしーのおいしさを引き立てる具になるんだなぁ。早く食べたいなぁ。なんてあの味を思い出しつつ、順番が来るのを待ちわびます。
暑い暑いといっても、日陰に入ってしまえば風が爽やかなのが八重山の驚くところ。心地よい風に吹かれているうちに、テラス席に空席が。こんな日は、中より外での食事がいい。結露に曇るオリオンをカキーンと鳴らし、3年ぶりの再会に祝杯を挙げます。
この風なら、ずっとこうして飲んでられるよね。そんな会話をしていると、お待ちかねの八重山そばとじゅーしーが運ばれてきます。この八重山そばこそが、僕にとっての人生初となった八重山の味。ほんのひと口啜っただけで、この地との相性の良さを知らしめてくれた、想い出の味。
まずはスープから。優しい。本当に優しい。そして穏やか。どこまでも穏やか。おつゆの中には潤沢に旨味が含まれているのに、風味や塩分、いずれも突出することなくどこまでも柔らかな味わいに満ちています。
つづいて麺を。本島のものより細めである八重山そばですが、それでもそばやラーメンと比べたら太め。しっかりと小麦を感じる麺ですが、硬くもなく柔らかくもなく、それでいてワシワシと食べ応えのある絶妙な食感。その旨さは、うどんでも中華麺でもない、独立したひとつの小麦麺の世界を感じさせてくれるよう。
麺とスープの穏やかな旨さに揺蕩ったところで、いよいよピィヤーシをひと振りふた振り。すると一気に広がる南国の香り。コショーよりも辛くなく、漂う香りに八重山の風を感じるような爽快さ。
そしてもちろん、絶対欠かせないコーレーグースもひと垂らし。やっぱりこれだ、間違いない。ぶわっと香る泡盛の華やかなアルコール感が鼻に抜け、舌に感じる島唐辛子の潔い辛さ。ピィヤーシとコーレーグースを入れてこそ、八重山そばの味わいが完成されると僕は信じて疑わない。
お隣のじゅーしーも、これまた穏やかな味わい深さ。細かく刻まれたピィヤーシの葉が混ぜ込まれ、優しい中にも普通の炊き込みご飯とは一線を画す八重山感を漂わせています。
もはや、啜るポカリスエット。お腹へと辿り着く前に心身の隅々まで沁みわたるような浸透率の高さに、食べ進める手が止まらない。麺を啜ってスープをひと口、じゅーしー頬張りまたスープ。この幸せな往復、いつまでも続いてくれたらいいのに。そんな願いもむなしく、あっという間に平らげてしまいました。
八重山は、本当に食べ物がおいしい場所。その中でも、竹乃子の優しいおいしさにはしみじみしてしまう。はじめて訪れた想い出の店、そしてこのロケーションという調味料もあるのでしょうが、何度訪れても僕と八重山の不思議な縁を感じさせてくれるのです。
3年ぶりとなる逢瀬の余韻に浸りつつ歩く、竹富の古き良き集落。幾重にも連なる石垣の先に覗く赤瓦、その人の営みに寄り添うように彩りを与える豊かな緑。
自分って、こんなに植物が好きだったっけ。東京で暮らしているときは、咲いてる花を見てきれいだと思う程度の感覚しか持ち合わせていない。それなのに、ここへと来ると花の写真をたくさん撮ってしまう。
もしかしたらそれは、人工物と草花の境界があいまいで、溶け込むように引き立て合っているからなのかもしれない。コンクリートの中で区切られた、敢えての緑。そんな自分の住む街で感じる植物との区別が、ここでは感じられないからなのかもしれない。
珊瑚でできた石垣には色とりどりの草花が宿り、庭に生えた大きな木には枝もたわわに実る島バナナ。東京で言えば庭になる柿くらい違和感のない光景かもしれませんが、何度見てもやっぱり目を奪われてしまう南国感。
古からの琉球での暮らしが薫る、竹富島。石垣に赤瓦といった街並みをさらに豊かに彩るのが、おもしろい表情を見せる各々のシーサーたち。顔つきから姿勢までその個性は様々で、目が合えば思わずにやりとしてしまう。
2年ぶりとなる竹富島の世界観に浸っていると、遠くから漏れ聞こえてくる蹄の音。その方向をよくよく見てみると、かなり長いリヤカーを牽いた水牛の姿が。もしかしたら、デビューを控えた仮免水牛君が路上教習中だったのかもしれません。
明らかに、流れる時間軸が違うと感じる魅惑の島。愉しい時間というものは往々にして早く過ぎ去るものですが、ここでの時間は何故だか普段よりもゆっくりと流れている。それなのに、結局愉しい時間はあっという間というこの不思議。船の時間から逆算し、小屋で休むヤギに別れを告げ港目指して歩きます。
肌を灼きつける強烈な陽射し、目を細めざるを得ないほどの鮮烈な天然色。これまで経験した竹富の夏は、そんな目の覚めるような鮮やかさで染めあげられていた。でも今日は、それとは全く違った柔らかさ。微妙な季節の違いを物語るように、雲の様子までもがいつもと違う。
全力の夏空ではなく、それでいてどんよりでもなく。いつもの青空とモリモリとした白い雲の対比とは表情を異にする薄曇りが、この穏やかな色合いを醸しているのだろう。
力漲る本気の夏を知っているからこそ、今日のこの柔らかく穏やかな表情に気付くことができる。本当に好きな場所には、通ってみる価値がある。季節がほんのりずれただけで知ることのできた新たな顔を知り、竹富島をより一層好きになってしまうのでした。
コメント