静かな集落を抜け豊かな緑の中を歩くこと30分ちょっと、今日もやってきましたコンドイビーチ。それにしても青い、青すぎる。遠目から眺めるだけでも、眩いほどの青さに圧倒されてしまう。
眼を完全に開くことができぬほど、視界を染める強烈なあお。夏空の放つ八重山の陽射しを受け、その碧さをもって全力でその漲りを映し返す海。天然色とは思えぬ鮮烈さに、感嘆の声をもらすことすら忘れただ呆然と立ち尽くすのみ。
青い空、もこもこと漂う白い雲。夏の陽射しを浴びた緑は一層濃く眼に映り、碧い海と空の間に横たわる。
夏、全力の夏。僕にとって、東北の夏が灯りや田んぼといった人の手が造り上げる夏ならば、八重山の夏は自然にしか創ることのできない天然の夏。このふたつに満たされなければ、生きてゆけぬ体になってしまった。
あまりの鮮烈さに肌も心も灼かれたところで、居ても立っても居られず早速海へ。満潮を過ぎた海はまだまだ深く、全身を包む心地よい冷涼と波を全身に受け止めます。
視界を埋め尽くす、あおさの数々。空も青ければ、海も碧い。遠くの西表の島影までも、夏の陽射しに蒼く染まっている。ここは、どの漢字にも当てはめられぬほどのあおさに溢れている。それは、世界中のあおという色彩を集めたかのような豊かさそのもの。
波に揺蕩い、網膜を灼くあおさに染まり。海でクールダウンするつもりが、一層心は火照るばかり。細胞の隅々まで八重山のあおを受け取り、浜へとあがって乾杯を。喉を落ちる冷たい刺激に、生きていて良かったと素直に思えてしまう。
ここに来るまで、自分にこんな側面があるなんて知らなかった。砂にまみれるのも気にせず、ただただ海を眺めることがこんなに好きだったなんて。もし八重山に出逢えてなければ、きっと一生この幸せを見つけることができなかったに違いない。
透き通るような白い砂浜、抜けるような爽快な夏空。その境に広がる海に宿る、無限のあおさのグラデーション。地上の楽園。この光景を形容する言葉は、それ以外に思いつかない。
さらさらと、寄せては返す白い波。波に洗われる珊瑚でできた砂は刻一刻とその表情を変え、耳に届く心地よい波音は地球の鼓動を伝えてくれるよう。
ビーチの果てのコンドイ岬に立てば、体を撫でゆく強い風。波音すら掻き消すような風とあおさを全身に浴びれば、心身の隅々まで漂白されてゆくのを感じます。
空と海の境界を、白い帆を掛け静かに進むサバニ。この眼に映るこの瞬間は、果たして本当に現実なのだろうか。無限の青さに溶けゆく世界に、そんなことすらどうでもよくなってしまう。
6年前、この地に立ったときのことを忘れない。それから何度訪れても、この感動は色褪せるどころか強まるばかり。ミンサー色に染まる世界を、今はただひたすらに浴びていたい。
夏休み。その言葉を具現化したら、こうなるに違いない。僕は今、小学生以上に夏休みを満喫している。大人になってから、こんな瞬間に出逢えるなんて思ってもみなかった。
こどもの夏休みの友がすいかやかき氷なら、大人の夏休みの友はもちろん冷たいビール。2本目のオリオンを開け、金城かまぼこのたこぼーるをつまみます。やっぱり八重山かまぼこ、旨すぎる。
適度な弾力と強い旨味の八重山かまぼこに食欲を刺激され、続いてじゅーしーを開けることに。ただでさえおいしいしまじりストアのじゅーしーを、この青さを浴びつつ味わうという贅沢。この至福を知ってしまうと、もう取り返しのつかないことになる。
八重山の漲りを全身に受け止め、肌を灼かれたら海に浸かり。ただただそんな極上の怠惰に身を委ねていたら、あっという間に時は過ぎてゆく。気づけば潮も、だいぶ引いてきました。
太陽光線のみならず、潮の満ち引きでもその色合いを変化させる海。白い砂に覆われたコンドイビーチでは、その表情が一層豊かに感じられるよう。
あぁ、夏だ。2年ぶりに、ようやく本当の夏に再会できた。掛け値なしに心に沁みゆく幸せに、今は何も考えずに揺蕩っていたい。肌のみならず心まで焦がす八重山のあおさに染まり、言葉にし尽せぬほどの悦びを受け取るのでした。
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