田んぼアート第1会場である田舎館村役場からのんびり歩くこと30分程、『弘南鉄道』の田舎館駅に到着。素朴な駅前広場には立派な桜が並び、春になればふるさとの玄関口を彩るかのように咲く姿が目に浮かぶよう。
大きな広場にシンボルの桜、戦後築の駅舎がぽつんと建つという正統派の地方鉄道の原風景。駅前には立派な倉庫が建ち並び、農作物を積んだ貨車が行き交ったかつての賑わいが伝わるよう。そんな広い構内も、今は夏草に覆われ佇むのみ。
再び弘南線に揺られることあっという間の5分、終点の黒石駅に到着。ここに降り立つのは、かれこれもう7年ぶり。僕を津軽の虜にしたあの旅で訪れたときの記憶が、一瞬にして色鮮やかに甦ります。
駅から歩くこと10分足らずで、黒石と言えばのこみせ通りに到着。立派な松の木が印象的な、その名も松の湯交流館がお出迎え。平成初期まで銭湯として利用されてきたこの建物、元は江戸時代に旅籠として建てられたものだそう。
並んで建つ家々の軒をつなぎ、夏の陽射しや冬の吹雪から通行人を守ってきたこみせ。日本版アーケードともいえるこの街並みは、江戸時代から連綿として受け継がれているものだそう。
8月2日、暑さ真っ盛りのこの日。連なる軒下へと立てば、陽は遮られ吹き抜ける風が心地よい。津軽の風雪に耐え続けてきたからこそ身に纏った木の渋い風合いに、藩政時代の面影をひしひしと感じます。
江戸時代の空気を封じ込めたかのような、独特な世界感を持つこみせ。軒下には地元の小学生が夢を描いたねぷた灯篭が風に揺れ、その先には造り酒屋の立派な杉玉が。
雪国の厳しい自然と共存するために生まれた、日本版のアーケード。雁木や小見世と呼ばれ各地に存在していたようですが、こうしてまとまって残っているのは非常に珍しいのだそう。私有地である軒下を、街ぐるみで協力し通路として開放する。連なる軒に、藩政時代の人々の思いやりが伝わるよう。
江戸時代からの人の優しさに触れ、お腹もすいたところでお昼を食べることに。今回もこみせ通りの終点に位置する『すずのや』へとお邪魔します。
ここで食べるのは、もちろん名物である黒石つゆ焼きそば。7年前、半信半疑で食べ始め、気付けば満足感に包まれ食べ終えた不思議なグルメ。その味わいとの再会に、箸をつける前からもう楽しみ。
麺はうどん用のカッターから生まれたという、黒石焼きそばの特徴でもある太く平たい麺。もちもちとしつつも歯ごたえのある麺が甘辛いソースと絡み、きちんと美味しい焼きそば。その丼を満たすスープは、あっさりとしたしょう油ベースの穏やかな味わい。
食べ始めは、麺はソース、スープはしょう油と味がくっきり分かれているといった印象。ですが、食べ進めてゆくとお互いが溶け合い、最後の方はこれまで味わったことのない不思議な感覚に。
焼きそばだけだと飽きてしまいがちですが、スープがあるからこそ味の変化を楽しみつつ最後までつるつると食べ進められる。普通の焼きそばにはない満足感とお腹を温めてくれる感覚は、つゆ焼きそばならではの魅力です。
独特な旨さの余韻に浸りつつ、再び黒石の街をのんびり歩きます。すると突如姿を現した、重厚な建物。大正時代に建てられたという消防団の屯所には、目を引く破風が印象的な火の見櫓が聳えています。
中を覗いてみると、古き良き時代を感じさせる消防車と纏が。50年近くも現役でい続けるという、日産のボンネット型消防車。丸目のライトと施された装飾が、黒石の街並みを火から守るという意志の強さを感じさせるよう。
更に進むと、夜の賑わいの気配が漂う飲み屋街へ。両側に味わい深い看板の並ぶ通りの先には、その街並みをそっと見守るようにして聳える岩木山。
昼なお薄暗い、夜の社交場の詰まった古いビル。日が暮れれば、それぞれの看板に灯りがともるのでしょう。観光地だけでは味わえない街の顔を楽しめるのも、こんなあてのないゆとり旅ならではの醍醐味。
夜の繁華街の突き当りには、これまた歴史を感じさせる消防団の屯所が。素朴な木造の建物に立つ朱い火の見櫓は、その角ばった見た目と天を突く避雷針により凛とした表情を見せています。
地元の人々の暮らし香る街並みを進むと、ふと右手に妖しい一画が。古い飲み屋の跡が点在する小路を抜けると、そこには新興街と掲げられた鄙びたゲートが。きっとここも、昔は賑わっていたに違いない。昭和の残像に、思いを馳せずにはいられない。
古くから、城下町として栄えてきた黒石の街。こみせ通りで江戸時代の面影を味わい、スナック街で昭和に浸る。黒石の表と裏の顔に触れ、再び弘南電車で次なる街を目指すのでした。
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