多くの乗客で賑わう高速船に揺られ、10分程で竹富港に到着。夏の力強さを宿す青空、下船した人々の放つ独特の活気。3年ぶりに味わうこの感覚に、今はただただ懐かしさを覚えるばかり。
今日も絶好調の陽射しと暑さなので、ビーチへは『竹富島交通』のバスで直行することに。
着いてすぐ目に飛び込む、夏というものを凝縮したかのようなこの眩しさ。青い空に大きな白い雲、元気な緑と、そして碧い海。そこに集う人々の賑わいも、夏という季節の大切な構成要素なのだと気づかせてくれるよう。
陽射しと風を浴びつつ、好みの場所を探して歩く白い浜。ここだと思ったところに荷物を下ろせば、そこが今日の僕らの特等席。この眺めさえあれば、もうそれだけでいい。毎度のことながら、コンドイビーチの爽快なあおさには心灼かれてしまうのです。
心のみならず早くも肌にも火照りを感じ、居ても立っても居られず早速海へ。寄せては返す波のリズム、その度ごとに脚へと感じる心地よい冷たさ。誘われるように沖へとゆけば、海に身を委ねる一体感に自分という意識すら溶け去ってしまいそう。
白く輝く雲、砂、波。陽射しを受け緑を濃くする草木たち。それ以外、視界を染めるのはあおのグラデーション。決して青一色ではない、この世のあおさを一堂に集めたかのような、あまりにも豊かな鮮烈さ。
今年も無事に、こうして逢えた。去年は会うことができなかったからこそ、改めて強く気づかされた夏という概念の大切さ。
東北を満たす盛夏の万緑、そして八重山を彩るみんさー色の海。このふたつが、僕にとって、いかにかけがえのない大切なものなのか。今更ながら、身に沁みるほど痛感させられる。
2年ぶりに身を委ねる、完全なるおとなの夏休み。何をするでもなく青さに目を細め、肌に熱さを感じたら清らかな波に揺蕩うのみ。そんな最高の休日を彩る、昼飯前のいけないビール。こどもの頃は好きだったこの季節と今でも繋がっていたいからこそ、こうして夏を感じる旅に出るのだろう。
爽快な青さに染まる夏空の下、白い帆を掛けたサバニは碧い海を静かに滑る。夏という概念を夢想したときに生まれる一瞬を、大事に大事に切り取ったような夢幻の世界。
いつも以上に、くらくらする。今日のコンドイビーチは、夢と現の境すら怪しくさせるほどの眩さにあふれている。それはきっと、2年ぶりに用意してくれた八重山からの贈り物。
ここでこうして過ごせるのは、今年はもう最後。あおさに輝く絶景のコンドイビーチで八重山の想い出を刻むべく、念願の知念商会のオニササを食べることに。
おにぎりと揚げ物、用意された調味料の組み合わせにより、自分好みの味を作ることができるオニササ。ですがせっかくの初オニササ、ここは王道の鶏ササミフライとのりたまおにぎりのコンビで。それにしても、画面きたない・・・。みんなよくきれいに握るよな。ここでも不器用がバレてしまうよ。
まずは、大きすぎておにぎりからはみ出たササミフライを。朝調味料をぶっかけて温かいまま袋の口を閉じ、保冷バッグに入れて今に至るフライ。まぁ、きっとあんな感じだよな。ある程度の想像をしつつひと口かじります。
サク、かりっ。え?うそでしょ?なんじゃこれ!少しばかりフライングして食べていた相方さんと、思わず顔を見合わせて笑ってしまいます。このフライ、なんでこんなに油っぽくなく軽いままなんだろう。ちょっとこれ、41年生きてきた中で出会ったことのないお惣菜なんですけど。
持ち帰りのお惣菜とは思えぬサックサクのフライを味わい、ついにおにぎりと一体になった部分へ。ソースとマヨをかけているので濃いかな?と思いましたが、何とも絶妙なバランスの味わい。衣が油っぽくないのでおにぎりのお米もおいしいまま、それでいて握っているので独特の一体感を味わえます。
つづいては、やはり知念商会で買ったじゅーしーおにぎり。ものすごく優しく穏やかな味付けで、それでいて感じるだしとちょっとした油のコク。もうひとつ買っておけばよかった。そう思う間もなく、あっという間に完食してしまいます。
自分で作れる楽しさ、おにぎりを潰すといったちょっとした背徳感。そんなアトラクション的要素から有名になったのだろうと勝手に思っていた、知念商会。その先入観は、本当に失礼なものでした。
いやぁ、参りました。相方さんも同じ感想のようで、このお店だけで月単位で暮らせるよねなんて話したほど。おにぎりやフライ以外にも、お弁当やぽろぽろじゅーしー、自分でだしを入れる八重山そばと、魅力的な品物ばかり。食材や調味料も売っているので、もし石垣に住めたなら・・・なんて妄想がいつも以上に捗ります。
眼前に輝く眩いあおさ、ようやく出会えた地元の味。毎回好きで通うコンドイビーチだけれど、今日のこのあおさは死ぬまで忘れない。愉しい時間はあっという間に過ぎゆき、もうそろそろお別れしなければならない時間に。
季節はみんなにやってくるもの。おととしの自分たちだけの世界も貴重な体験だったけれど、こうして夏空の下一人ひとりが思い思いに過ごせるというこの空気感を今は純粋に嬉しく思う。
八重山のあおさや津軽の滾る夜にも触れられず、ただひたすらに暑かっただけの去年の夏。コンクリートに埋もれて過ごす日々に、気を張っていないと視界まで灰色に染まってしまいそうだった。
そんなとき、僕を助けてくれたのが夏色だった。これまで重ねてきた八重山や東北での記憶の放つ色彩が、必ず次があるということを教えてくれる。色々あっても、何だかんだでずっとこうして夏と戯れることができているではないか。その想い出が、缶詰の中にいるような日々に光をくれた。
八重山のあおさは、次へとつながる温かいあお。このあおさを胸に灯せば、必ずまた来る次へとむけて何とか踏ん張れる。僕にとって生きる勇気の源のひとつともいえるこのあおを、今年も大切に持ち帰ろう。
今年も本当に、心の奥底まで良い夏に染まることができました。ここでもらったあおさを糧に、また次逢えるときまで頑張るから。毎年計り知れないほどの希望をくれるコンドイビーチにお礼を告げ、今年は見納めとなる最後の眩しさを眼に心に灼きつけるのでした。
コメント