駅前から真っ直ぐ伸びる道を歩くこと約10分、最初の目的地である毛越寺に到着。この先に、極楽浄土が待っています。
岩手に足を踏み入れたときはまだつぼみだった桜も、5日経って可憐な花をいたるところで咲かせていました。毛越寺では、こんなに立派な枝垂桜がお出迎え。思いがけない春の彩りに、心は一気に華やぎます。
荷物の多い旅行者にとってありがたい無料のコインロッカーにリュックを預け、身軽になって本堂へ向かいます。この世の浄土へと足を踏み入れる前に、しっかりとお参りしました。
ここからは、浄土を表現したといわれる毛越寺庭園の写真を中心にお送りしたいと思います。
まず目に飛び込むのは、大きく広がる大泉ヶ池。さざなみを立てる広い池は、まさに穏やかのひと言。
中島と立派な枝垂桜。広い空の下連なる山と穏やかな池。ここが東北の山の中であることを思い出させます。
岩が荒々しい雰囲気を醸す築山。大泉ヶ池は海を表しているそうで、これは海岸線にせり出す岩山を表現していうのだそう。
静かな水面に浮かぶ小舟。
こちらでは何か野草などを栽培しているのでしょうか。現実離れした大泉ヶ池から振り返ると、途端に東北の山の風情が漂います。
若い緑と鏡のような水面。遠くには穏やかな東北の山並み。仏教には疎くても、この地が浄土と呼ばれるような美しさを持っていることはひしひしと伝わってきます。
角度が変われば姿も変わる。一歩一歩進むごとに、様々な表情の変化を見せてくれます。
玉石の波打ち際に、対岸の若草色の岸辺。池の不思議な雰囲気に、ここが本当に海であるかのような錯覚を覚えます。
池越しに望む本堂。本来この池の周囲には様々なお堂が建っていたそう。本道の姿に、今は無きその景色を重ねてみるのでした。
芝生の中を、穏やかな曲線を描き流れる遣水。山からの水を池に取り込む水路ですが、谷を流れ下り平野をゆったり進む川の姿を表しているそう。
この遣水では、春に平安時代の歌遊びを再現した曲水の宴が開かれます。テレビで見た平安貴族のあでやかな姿と、遣水を流れる盃のみやびな姿を思い出し、ぜひその時期に来てみたいと思うのでした。
先ほどまでの砂浜を思わせる石の波打ち際とは打って変わり、柔らかい緑に包まれた入り江。その穏やかな曲線が、これまでに無い広がりを感じさせます。
春の柔らかい草のビロードに包まれた洲浜。
進むごとに刻一刻とその表情を変える大泉ヶ池。その変化を逃さぬよう、のんびり、ゆったり歩きます。
荒磯を表現した出島と池中立石。その荒々しい姿は、まさに海のそれそのもの。
緩やかな曲線を描く築堤。あと少しで大泉ヶ池一周の旅も終わり。その余韻に浸りつつ、一歩一歩を踏みしめます。
出発地点に戻り、来た道を振り返ります。
日本の水辺の原風景を凝縮したかのような、大泉ヶ池。この毛越寺庭園の美しさや包容力は、僕には到底伝えることはできません。
庭を見て思わず息を呑み、鳥肌を立てた。こんな経験は初めてでした。単に庭や池が美しいだけではない。東北の自然や、この地の見えない力と融合した、まさにここでしか味わえない感覚。
拙い写真や文章では伝えきれないこの美しさ。たとえプロが撮った写真とて、ここで感じたものの1/10程度も伝わってこないほど。
実際に訪れた者のみが感じることのできる、この世の浄土。ベンチで1時間を過ごす位の余裕を持って、ぜひ訪れてみて頂きたい。次は僕も、そうするつもりです。
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