初の湯治で迎える、初めての朝。旅先で目覚ましを掛けないなんて、記憶の中では初めての経験。今まで連泊することはあってもそれはスキーのときだけなので、必ず目覚ましに起こされ、眠い眼をこすって朝風呂へと向かうというパターンでした。
目覚ましも掛けず、これまでの疲れも溜まっていたので朝ごはんに間に合うかどうか。寝坊を半分覚悟でガッツリ寝るつもりでした。が、ふと目が覚めると、いつもの起床時刻。
あぁ、こんなとこまで来ても体内のタイムテーブルはリセットされないんだ・・・。最初はそんな風にガッカリしましたが、ふと我に返ると、いつも感じるはずの眠たさはどこへやら。文字通りのすっきりとした目覚め。
こんなことってあるのでしょうか。今までの旅でも感じたことの無い気持ちよさ。きっと、連泊と予定無しという心の余裕から、いつも以上に熟睡できたのでしょう。部屋の障子越しにだんだんと外の明るさが入ってくるのもまた、心地良い自然な目覚めへと導いてくれたのかもしれません。
外は生憎の雨模様。予報も今日一日雨模様を伝えていました。そんなどんよりした天気とは裏腹に、すっきり爽快清々しい気持ちで迎えた朝。
今日一発目のお風呂は、広さが気持ち良い豊沢の湯で決まり。雨に濡れた景色と立ち込める湯煙が相まって、何とも幻想的な雰囲気の中で朝の湯浴みを愉しむことができました。
早くも湯治の精神面での効果を体感した朝。そんな爽やかな朝に嬉しい、やはぎで頂く純和風の朝食。朝食は予約制ですが、今回のプランにはすでに含まれていたので、予約の手間もありません。
メニューは焼き魚に小鉢、お浸し、お漬物、海苔、佃煮。それにご飯とお味噌汁が付きます。どれも素朴でほっとする美味しさ。しみじみと過ごす湯治宿の朝に相応しい朝食です。
朝食後は敷きっぱなしの布団にごろんと横になり、しばしのまどろみタイム。外を流れる豊沢川の川音と屋根を叩く雨音。じっと目を閉じそれらを聞けば、いつしか心は無になり夢と現実の境を行ったり来たり。何もすることが無いからこそ出来る贅沢。
夢見心地の世界から戻り、再びお風呂へ。雨が小降りになったので大沢の湯へ足を向けました。今日帰る人はもうチェックアウトした後。生憎の雨模様なので日帰り客も無く、大沢温泉の顔とも言えるこのお風呂を独り占め。連泊だからこそ味わえる贅沢です。
誰もいない大きな湯船に体を沈めれば、自分を中心に静かに波紋が広がってゆく。温かい湯に抱かれつつ、それが雨粒の作る小さな波に消えゆく様を無言で見つめる。視線を上げれば、湯煙に隠されるように佇む茅葺屋根。川の流れる音までが、その存在を隠しているかのよう。
ここには僕しかいない。そのことがこれ程までに心地良く感じられる瞬間は、そうあるものではない。雨に煙る露天には、雨の生み出す風情が溢れていました。
雨に煙る大沢の湯でほんのり茹り、部屋で雨音を聞きながら昼飯前の缶ビール。傍らには本を置き、読んで飲んで転がって。そんな贅沢な午前中を過ごし、時刻はお昼時に。気が向いたところでやはぎへ向かいます。
本日のお昼に選んだのは、ひっつみセット。岩手の郷土料理ひっつみにおいなりさんが付いて、確か550円程度。安い、のひと言です。
北上のさくら祭りで食べたひっつみはオーソドックスなちぎったものでしたが、こちらのひっつみは丼を覆うような大判サイズの円形。それが4枚とやさいもたっぷり入り、ボリュームも満点。
つゆは塩分控えめですが野菜のだしがしっかりと染み出ており、大ぶりのひっつみが良く絡め取ってくれます。おいなりさんも好みの味付け。
おそばに続きこのメニューも当たり。自炊湯治は止めて、やっぱりここで飲んだくれようかなぁ。そんな誘惑が頭をよぎります。
昨晩は余程熟睡できたのか、眠たくなったのは朝食後だけ。お風呂入って、ビール飲んで、ご飯食べて。絶対にお昼寝したくなると思っていたのに、全く睡魔は訪れません。
ひっつみで一杯になったお腹を落ち着け、気の趣くまま、足の向くまま適当な浴場へ。たっぷりと時間はあるので、あそこもいい、ここもいい、そんな迷いを感じることも無く、直感でお風呂を選べる幸せ。
心の趣くまま向かった浴場でとろりとした湯に浸かり、温まったら部屋に戻ってビールと本を。
三十そこそこ、働き盛りの社会人がこんな生活をしていいものか。早くもこの魅力に溺れてしまいそうな自分に最後の抵抗を試みるも、もう時すでに遅し。24時間で湯治の魔力にどっぷりと取り憑かれてしまいました。
出かける前は時間を持て余してしまうのではと心配していた湯治生活。まぁでもテレビもあるし、ごろごろしていればいいやと思って来ましたが、いざ始めてみると以外に時間は早く過ぎてしまうもの。
それもそのはず、本を読んで一段落したらお風呂へ向かい、戻ったらお茶やコーヒー、ビール片手に再び本を読み耽る。そして気が付いたらまたお風呂へ。しばらくぶりに時計を見ると、思った以上に時が経っていることに驚きを隠せません。
そんな部屋とお風呂との往復で見つけたひとつの景色。古い木枠の窓越しに見る雨の山里。昔話の挿絵のような、時間の忘れ物とでも言いたくなるような味わい深い光景。
何もしていないのにあっという間に過ぎゆく湯治宿の昼下がり。その時の流れの速さと充実感に、「何もしないこと」自体が、日常では難しい「貴重なこと」であると痛感するのでした。
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