冷たい空気を感じながら歩く秋田の夜。もうすぐ、この地を離れなければなりません。雨で濡れたアスファルトに、秋田駅の明かりが綺麗に映っていました。
寝台列車の旅は、ぎりぎりまで現地に滞在し満喫できるのがいいところ。それと同時に、どうしても夜の旅立ちになるので、なんとも言えない寂しさがこみ上げてきます。でも、それも立派な旅情のひとつ。ここは存分にその寂しさを味わうことにしましょう。
駅に着くと、すでにあけぼの号上野行きの表示が出ていました。上野駅で見たあけぼの号の表示は、遥か遠くまで続く鉄路を連想させ味わいがありますが、秋田駅で見るあけぼの号の表示は、なんだか現実を突きつけられるような感じでちょっとだけ憂鬱。
周りを取り囲む地名の中で、「上野」という文字だけが、自分にとって身近な文字。それが帰京の寂しさをより一層強くさせます。
ホームへ降りると、五能線用のディーゼルカーが停車していました。たった2日前、このホームから五能線へと旅立ったのです。それが随分前のことのように思えます。それ程この旅が内容の濃い、充実したものであったと言う証。
程なくして、上野行きの寝台特急、あけぼの号が入線してきました。僕をゆっくりと現実の世界へと連れ戻す列車。夜行列車の入線には、新幹線や飛行機には無い風情と感傷があります。
夜の闇に浮かび上がる、上野の文字。今となっては新幹線に4時間ばかり乗れば行くことのできる場所ですが、未だ夜行列車が日本の長距離移動の主役だった時代には、どのような思いで現地の人々はこの文字を見ていたことでしょうか。
今とは違い、蒸気機関車が引っ張っていた時代は相当時間が掛かったようです。客車も快適な個室や2段寝台ではなく、背中が直角の旧型客車や、良くて3段寝台。そんな車両に一晩中延々と揺られながら行く東京の地は、それは遠かったはず。
列車はゴトリと動き出し、秋田の市街地を抜けて行きます。少し走れば辺りは真っ暗。遠い街の明かりがキラキラと揺れるだけ。
生まれた頃から新幹線があり、最近では飛行機も身近な存在になった今、これしか移動手段が無かったなんて想像すらつきません。
そんな現代において、絶滅危惧種となってしまった夜行列車の生き残りで日本の広さを感じることができるのは、幸運と言っても良いでしょう。
遠い昔から受け継がれてきた鉄道の使命に思いを馳せながら、漆黒の闇の中走り続けます。
適度な酔いと心地よい鉄路のリズムに誘われ、気が付けば夢の世界へと入っていました。目覚めたときにはすでに埼玉県。あけぼの号の上野着は6時台と早朝なので、眠い目をこすりながら身支度を整えます。
降りる準備を終え、後は上野到着を待つのみ。荒川の鉄橋を渡り、東京へと入ります。
併走する京浜東北線にはすでに結構な人が乗っており、これから東京が動き始める時間であることを感じさせます。このようにして流れる風景を眺めながら、ゆっくりと現実へと戻ることができるのも、夜行列車の旅のいいところ。
4日前、旅立ちの直後に写真を撮った場所を通過。同じ景色を見ると、本当にぐるっと回ってきたという感じがします。あと数分で、このあけぼの号ともお別れ。減速しゆっくりと車体を揺して走るこの感覚を、しみじみと味わいます。
無事に上野駅に到着。青い車体からは、長旅を終えた人々がどんどん吐き出されていきます。何度寝台特急に乗っても、この瞬間はたまりません。一晩を掛けてようやくたどり着いた、そんな不思議な満足感、充実感は夜行列車だからこそ。
長い旅を終えたあけぼの号が、静かに休むように、ひっそりとホームに佇みます。長旅を共にしたという感覚なのか、思わず「お疲れ様でした」と声を掛けたくなります。
こうして、僕の2泊4日の長くて短い旅は無事に終了。本当ならば往復新幹線にしたほうが、現地の美味しいものをもっと食べることもできるし、もう少し色々な所も見られたかもしれません。
それでも、寝台列車の旅にはそれを補って余りある旅情がある。それは新幹線や飛行機では決して味わえないもの。
北斗星やカシオペアなどの観光に特化した、乗ること自体が目的になるような寝台列車とは違い、このあけぼの号は移動することが目的の昔ながらの寝台列車。
こんなあけぼの号は、いつまで残ってくれるのでしょうか。少なくとも、カシオペアや北斗星などよりは危機的状況にあるような気がしてなりません。
それでもこれだけの乗客があり、寝台列車が消えていく中で今でも頑張り続ける姿を見ると、これからもずっと走り続けて欲しいと願わずにはいられません。だって、これだけいい旅を提供してくれる貴重な存在なのだから。
飛行機や新幹線では味わえない、旅情の詰まった夜行列車の旅。未体験の方は、一度体験されてみては?体験できなくなる日も、そう遠い未来ではないかもしれません。
その日が来るまで、僕は機会があるごとに寝台列車を利用し続けていきたいと思います。たとえそれが1年に1度しかなくても、それが僕のできる最大の応援だから。
いい時間をくれたあけぼの号、本当にありがとう。これから先も、ずっとずっと、頑張って!
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