銀世界に輝く車窓に見とれているうちに、この旅最後の目的地である京都に到着。たっぷりと雪を降らせた空は、その名残を感じさせるような色をしています。
そんな中に聳える京都タワーは、今日はちょっと控えめ。空と積もった雪の色にすっかり溶け込んでいます。
つい先ほどまで雪が降っていたようで、足元はぐちゃぐちゃ、人もいっぱいであまり歩き回りたくないような状況。そこで、お昼は軽めにうどんでも、と駅構内で良さそうなうどん屋さんを探します。
烏丸口とは反対側、近鉄駅ビルの名店街、みやこみちの中で一軒のおそば屋さん、『もり平』を発見。メニューを見てみると、おそば屋さんなのですがうどんもいろいろあり、即決してお店へと入ります。
僕が頼んだのは、平日のサービスランチ(?だった気がします。)のおぼろ定食。おぼろ昆布のたっぷり載ったうどんと、揚げと青ねぎの丼がセットになっています。
関西に来たら、やはり違いを楽しみたい、うどんのつゆ。見るからに上品そうなつゆを一口飲めば、舌に広がるだしの旨味。だしが濃いのにくどくなく、喉からすっとお腹へと入ってゆく。関西のだしは本当に旨い。
その美味しいだしを、もっともっと味わい深いものにしているのが、たっぷり載せられたおぼろ昆布。だしを吸ってとろっとなった昆布をうどんと一緒に啜れば、昆布の旨味が洪水のように溢れてきます。
うどんは細めの少し柔らかいもちっとした食感。でも決してのびている訳では無く、口当たりの優しい何とも言えぬ食感。これもやはり東京とは違う。この細さとしなやかさがあるから、このだしとしっかり絡んでくれるのです。
揚げと青ねぎの丼も、これまただしのきいた薄味のつゆで煮られており、ご飯との相性もぴったり。山椒の香りのする七味を掛けて食べれば、植物性の具材だけとは思えないほどの旨さに溢れる満足感。
何の下調べもせずに入ったお店でしたが、手軽に美味しいうどんが食べられ大正解。このセットで、確か700円かそれ以下だったはず。色々とお高い京都において、この値段でこの味を楽しめるとは本当に嬉しい。駅ビルに入っているからといって毛嫌いせず、自分の感覚で入店してみることも大事なのだと実感しました。
雪の寒い中、温かいうどんで腹ごしらえをし、まだ訪れたことの無い京の名所へと向かいます。
京都駅からは、奈良線に乗車予定。ところが、雪による倒木のため運転見合わせ。いやぁ、カシオペアの運休から始まり、相方さんとの冬の旅には大雪が付きものになってきました。
それでも待つことしばし、途中駅までの列車が入線。早速乗車し、まだ見ぬ場所への期待を膨らませつつ発車を待ちます。
京都駅から奈良線に乗車してすぐ、稲荷駅に到着。京都で稲荷駅と言えば、それはもう伏見稲荷大社に決まっています。
小学生の時に家族で京都を訪れて以来、修学旅行を含めて何度か訪れてきた京都。でも駅より南側にはほとんど行ったことが無く、東寺が僕にとっての京都の南限でした。
神社風のこぢんまりとしたかわいい駅舎を出ると、そこはもう伏見稲荷大社の大鳥居。目の覚めるような朱色が、その存在感をより強く感じさせます。
大鳥居の横には、お稲荷様のお使いである狐様。その躍動感あふれる姿と、朱と雪の白といった鮮烈な色彩に、肌がかじかむのも忘れて見入ってしまいます。
大鳥居をくぐり、境内へと進みます。目の前には大きく聳える楼門が。造られてから400年以上経た今もなお、鮮やかな色彩で訪れる人々を迎えています。両脇には、ひときわ大きな狐様が。全国に数多くあるお稲荷さんの総本宮である威厳を感じさせます。
まずは本殿でお参りを。こちらは500年以上前に建てられたものだそう。朱と白を基調としながらも、いたるところに彫刻や金の飾りが施され、それらを一つにまとめる大屋根の曲線美がまた印象的。
それまで、関東の神社を見て育ってきた僕。初めて訪れた京都で一番印象に残ったのは、八坂神社をはじめとする、色彩のある神社仏閣でした。
見たことも無いような華やかさと荘厳さを持つ京都の寺社は、子供の僕にとって鮮烈で、それまで関心の無かった寺社の建築美に興味を持つきっかけとなりました。
そんな小学生の頃の思い出を鮮明に呼び起こすような、鮮やかな本殿。美しい。京都の寺社は本当に美しい。500年を経た今でも輝きを放ち続ける。理屈抜きに、しびれます。
そして、伏見稲荷大社の代名詞と言えば、無数に並ぶ朱塗りの鳥居。願い事が通った(叶った)御礼として鳥居を奉納する習慣により、今では全体で1万基もの鳥居が建ち並ぶそう。
テレビや本でしか見たことの無かったこの鳥居ですが、実際は写真のように大きなものがほとんど。巨大な赤鳥居が延々と建ち並ぶ姿は、正に圧巻のひと言。
そしてこちらが、よく目にする千本鳥居。人の背丈ほどの鳥居が隙間なく続きます。鳥居との距離が近く、息つく間もなく次から次へと鳥居が流れてゆきます。ここを歩いていると何か別のところまで行ってしまいそうな、そんな不思議な感覚に襲われます。
再び大きな鳥居が始まります。いったいどこまで鳥居が続くのだろうか。それもこれはみなお礼として奉納されたもの。古くからの信仰の厚さと、御利益の深さを感じさせます。
初めての伏見稲荷大社。その荘厳さを一層強めているのが、鳥居と雪の奇跡的な競演。前もって予定を組んで行く旅行者にとって、雪の京都など憧れは抱きつつも、幸運が重ならないと見ることのできない景色。
そして今日、初めてのお稲荷さんでその幸運に恵まれるという喜び。凛とした冬の京都の空気に映える、朱と空から降りてきた純白。ゆっくりと歩けば、それらが交互に目に飛び込み、その表情を刻一刻と変えてゆきます。
伏見稲荷大社は、山全体が神域。その大きさは想像を絶するもので、歩いても歩いても、どこまでも鳥居は続きます。
ここまで来ると観光客もぐっと減り、あたりはひっそりとした空気に包まれます。今日は二人だから心強いけれど、もし一人旅だったら、ここまでは来られなかったかもしれない。京都の市街地にありながら、そう思わせるほどの深い自然に覆われています。
参道はついに階段が主となり、山へと挑み始めます。その石段の脇にも、途切れることなく鳥居が続き、自分がいまどこにいるかも分からないような不思議な気持ちにさせられます。
僕は建物などが好きで、旅へ行くと良く寺社にお参りしますが、宗教としての神社、お寺には疎いのです。が、こちらの神社を包んでいる空気は明らかに違うものに感じる。それは荘厳でもあり、いい意味で畏れを感じさせるものでもあり。
きっと、この鳥居の数だけ、人々の想いが詰まっているからなのでしょう。テレビで良く見る千本鳥居を見る程度の軽い気持ちで行った僕は、そのスケールの大きさに文字通り恐縮しました。今更ながら、神社仏閣は遊びに行くものでは無いということを、お稲荷様に教えていただいたような気がします。
道と鳥居は更に上へと続いていましたが、雪道ということもありここで下山。帰りは折角だからと別の道へと進みました。鳥居の並ぶ参道からは外れましたが、こちらにもさまざまなお社が建ち並びます。
雪化粧のお社越しに眺める、京都の街。ここまで登ってきたからこそ味わえる、滅多に見ることのできない贅沢。
初めての伏見稲荷大社にして、奇跡的な雪景色と出会えた、雪上りの京都。古くから続く信仰の地の圧倒的な空気感に、またひとつ、京の魅力を体感するのでした。
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