お城らしい長いアプローチを登り、いざ久保田城址、千秋公園内へ。明治初期の大火でお城の建物は全て焼けてしまったという中で、唯一藩政時代からの建物として残る「御物頭御番所」が出迎えてくれます。
ここから石段を上れば久保田城の本丸。その本丸を守るように、久保田城表門が立ちはだかります。今から15年ほど前に再建されたものですが、立派な木材が使用され、当時からあるかのような威厳を感じさせます。
本丸へと入れば、秋田市を望むこの眺め。建物は変われど、この城下町をお殿様もきっと同じように眺めていたんだろうなぁ。城跡へと来るといつも思ってしまうこと。
本丸の中央に建つ立派な銅像は、秋田を治め続けてきた佐竹のお殿様の中で最後となった佐竹義堯公。元は大正時代に建立され、戦争の金属供出のために解体、その後小さな銅像が建てられたそう。
それでもやはり昔の姿に戻してほしいとの声が強かったそうで、平成の世に元の姿に復元されたもの。それだけの長きに渡り人々に思われるのは、お殿様冥利に尽きるのではないでしょうか。
天守閣を持たなかったという久保田城には、お城の隅に八つの御隅櫓が建てられていたそう。その中でこちらは、先ほどの銅像と同じく平成元年に再建されたもの。元の建物は2階部分までの姿だったそうで、市政100周年を記念して展望台部分を追加して建てられました。
大火により焼失された城跡に広がる豊かな緑を楽しみ、秋田の市街地へと歩みを進めます。近代的な建物が並ぶ中で現れる古い建物が、ここが江戸時代から続く由緒ある街であることを感じさせます。
こちらの旧金子家住宅は、建築こそ明治時代ですが、江戸時代の秋田の家の雰囲気を色濃く残す造りだそう。隣にはねぶり流し館と呼ばれる秋田市民俗芸能伝承館が併設されています。
古くはねぶり流しと呼ばれていたという竿灯。今回は時間の都合で伝承館への入館は断念しましたが、いつかは本物の竿灯をこの目で見てみたい。
秋田と弘前で違う形に昇華した「ねぶり流し」。竿灯もきっとハマるに違いない。祭りのはしごができるその日を夢見て、竿灯を目前に控える秋田の街を歩くのでした。
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