ねぷたを目指し、時も距離もだんだんと近付くように歩んできた、今夏の旅。最後にして最大の目的であったねぷたも二晩しっかり味わい、もう思い残すことは無い。僕の夏はこれで終わる。
弘前を発ってからも旅が続いた去年とは違い、今回はねぷたとの別れが、夏の東北との本当の別れ。寂しいとはちょっとだけ違う、燃え尽きたとでも言いたくなるような感覚を胸に、『弘南バス』キャッスル号の車上の人となります。
お盆期間ということもあり、この日もキャッスル号はほぼ満席。途中休憩をはさみ、4時間半ほどで仙台に到着。さあここ仙台で、名残の東北を余すことなく愉しもう!
そう言えば、去年は圧倒的な七夕の美しさに息を呑んだのだった。そんなことが、飾り付けを控えた商店街の姿からフラッシュバックのように思い出されます。
あれからもう一年、早いなぁ。でもまたこうして今年も来ることが出来た。だから、来年も。傾きかけた太陽に、早くも夕刻を迎えそうな横丁の哀愁に、自分の感傷がどうしても重なってしまう。
そして今年も、雰囲気満点の飲み屋街には、早くも七夕飾りがたなびいています。去年偶然発見したこの一角。この風情、飲兵衛には堪りません。次に仙台に泊まるときは、絶対に、絶対に飲みに来なければ。脳内には酒場放浪記の音楽が鳴り響いて止みません。
去年は七夕祭り真っ最中、人出が凄かったので入口から眺めただけでしたが、今日はまだ居酒屋さんも営業開始前の時刻でひっそりとしていたため、ちょっとだけ横丁にお邪魔してみることに。
2本の筋の両側に様々なお店が並ぶ裏側には、こんな年代を感じさせる雰囲気のある美容室も。近代的なアーケードの裏に隠れた昭和、胸に迫るものがあります。
その反対側には、昔ながらの手押しポンプ井戸と洗い場が。この洗い場は今も現役のようで、開店準備中のお店の方が大きな袋を洗っていました。
洗い場の両サイドでは、古い仙台の街並みの写真パネルも展示されており、この空間で見る白黒の昔の街並みに、僕の心は悲鳴を上げています。
切ない、切なすぎる。それは嫌な切なさではなくて、手が届きそうだけれど、離れて行ってしまうものを懐かしむような、むず痒いような温かい切なさ。
たった数年しか生きていない昭和だったけれど、僕にとっては自我を形成するにあたり大切な時代だったのだと、最近思うことが増えました。
横丁を抜けて青葉通りを進み、場所を移して仙台朝市へ。夕日に包まれた市場にも、たっぷりの昭和の香りが詰まっています。店頭に並ぶたくさんの海の幸、山の幸。どれも美味しそうなものばかりで、まだまだ東北に残りたい衝動に駆られます。
そんな欲張りな僕の欲求を満たすべく、今回も『うまい鮨勘名掛丁支店』でお寿司三昧。いろいろいいお店があるのでしょうが、あの気軽にたくさん食べられる雰囲気が良く、結局いつもこのお店に足が向いてしまうのです。
金華鯖や黒そいなどの東北の海の幸を文字通りお腹一杯楽しみ、本当に、本当に帰る時間となりました。夜の気配を背負って佇む仙台駅。いつも眺めるこのアングル。そしていつもどおり、帰還を約束して駅舎内へと入ります。
駅の中では、数日後に控えた七夕祭りのための飾りが、来る者を出迎え去る者を見送るかのように揺れています。以前の雰囲気を残しつつ、玄関口として一層きれいになった仙台駅。今も変わらぬ姿で輝くステンドグラスと七夕飾りに別れを告げ、新幹線ホームを目指します。
滑り込んできたはやぶさ号に乗車し、いよいよ東北の地を去る瞬間が。席に着けば1時間半後には東京に着いてしまう。でももう寂しくもなんともない。僕は何度も東北に来ることが出来ているんだから、いつでも戻って来られる。
いつもならワンカップで旅の余韻に浸るところですが、今日の僕は何故かちょっと甘いもので締めたい気分。山形の高畠ワインが作るさくらんぼワインで、旅の締めくくりを味わいます。
アルコール度数低めの、甘酸っぱいシュワッとした美味しさ。フルーティーな味わいに包まれながら、今回の旅を振り返る。振り返ると、長いようであっという間。流れるはやぶさの車窓のように、思い出が走馬灯のように過ぎ去ります。
山形から始まり、秋田、青森を巡った今回の夏の旅。ねぷたも4度目となれば感動も薄れそうなものですが、それは違う。来れば来るほど、また来たくなる。夏の東北には人を引き付ける強い何かがあるのかもしれない。雪に閉ざされた長い冬を越えるからこそ伝わる、強いものが。
きっと、いや、絶対に来年もねぷたを見にゆこう。その道中にはまだ見ぬ魅力がきっとあるはず。今年の夏に東北からもらった力をバネに、来年のそのときまで頑張ろう。夏の熱さを思い出させてくれた東北で、僕の夏は燃え尽きたのでした。
コメント