平泉駅から東北本線で一ノ関駅へ移動。ここから最後の目的地、厳美渓を目指します。厳美渓までは岩手県交通の路線バスが結構な頻度で運行されているので、車が無い旅行者にも行きやすい景勝地です。
一ノ関からバスで揺られること20分で厳美渓バス停に到着。市街地からそれほど離れていない場所に広がる深い渓谷に、思わず目を疑います。
国の天然記念物であり、桜の名所でもある厳美渓。平泉が満開に近かったので少しだけ期待して来ましたが、桜はまだ咲き始めたばかりといったところ。それでも崖上に並ぶ桜は所々咲いており、まだつぼみの木々も全体に薄っすらと桜色を漂わせています。
橋より上流側を眺めると、水が岩を割って流れるダイナミックな眺め。今の時期は雪解けのシーズンなので、より一層その迫力が増しているのかもしれません。
橋を渡り、岩肌にせり出すようにして造られた展望台へと向かいます。その姿はまさに自然そのまま。足元は磐井川が長年掛けて作り出した複雑な形状をした岩そのもの。凹凸も多く、なめらかに削られている部分もたくさんあるため、つまづきや滑りに気を付けながら進みます。
岩場の東家にはロープが対岸から渡されており、その先を視線で追っていくとかごがぶら下がっています。こちらが厳美渓名物、空飛ぶ団子で有名な郭公団子。
テレビではその姿を見たことがありましたが、厳美渓にあることはここに来るまで忘れていました。生でかごが行き来する姿を見て、「あ!ここなんだ!」とひとり納得。さあ食べようか、と思った矢先に本日分は売り切れ。でもまぁ団子が空を飛ぶ様子を見られたので良しとしましょう。
大小ランダムに繰り返す段差と削れた丸い角に注意しつつ、恐る恐る先端を目指します。これはその途中の景色。今日は乾いているのでまだいいのですが、雨上がりで濡れているときなどは非常に滑りやすいのではないでしょうか。それなのに危険区域を隔てるのは標識と頼りないチェーンのみ。
でもだからこそ感じられる、生の自然の凄さ。水が削って造ったこの荒々しい渓谷や、振動を伴って伝わる水の轟音。ガードレールや柵越しでは味わえない、手に取るようなリアルな渓谷美を堪能できます。
来た道を引き返し、橋より下流側へと進みます。渓谷沿いの遊歩道も、仕切りはやはり簡易的なもののみ。間近で激流を感じつつの散策は、そうそう体験できるものではありません。
散策コースの折り返し地点である吊り橋を渡り対岸へと戻ります。この吊り橋も結構揺れる代物で、大勢では絶対に渡りたくない。こんな僕はビビリなのでしょうか。(はい、そうです。)
吊り橋上からの眺め。ここまでは荒々しい渓谷が展開されています。
ところが下流側を振り返ってみると、嘘のような穏やかさ。この後上流側へも足を伸ばしてみましたが、やはり渓谷の始まりは唐突なものでした。今までこんなにメリハリのある渓谷の始端、終端を見たことが無かったのでかなりの驚きです。
対岸にも川辺に近付ける場所があり、もちろん降りてみることに。途中の岩肌からは清水が流れ出し、周囲には柔らかく鮮やかな色をした緑が広がっています。
そこへ降りると、清水が作る小さな穏やかな流れと、桜と若草が織り成す箱庭のような不思議な景色が広がっていました。
これが先ほどの激流の傍ら、渓谷を成す岩肌の上部にポツンとあるのだからこれまた異質。美しくも恐ろしい、ふとそんな感想が浮かんできます。
この美しい箱庭のすぐそばには、雪解け水が勢い良く流れる磐井川。至近距離でこのウォータースライダーのような流れを見ていると、思わず吸い込まれてしまいそう。
厳美渓に来てからずっと感じていること。綺麗だけれど怖い。それは今日の天気がそうさせている訳ではないでしょう。人間には自然に対する畏れという本能が備わっているのかもしれません。
桜越しに見る力強い厳美渓の姿。他の木々はまだまだといったところでしたが、この桜はもう見ごろを迎えていました。
流れ落ちる小さな滝と水仙の群れ。荒々しさと美しさが隣合わせ。厳美渓は今まで訪れたことの無いタイプの美しさを以って、僕の目と心を楽しませてくれます。
中央にあるのが、最初に訪れた展望台。自分はあんな岩の縁まで行っていたのか・・・。こうして傍から見てみると、実際に立ったときよりもぞっとします。
この後、バスの時間まで上流側へとのんびり散策。あれほどの渓谷の横には、こんな当たり前な農村が広がっていました。
今までに無い旅のスタイルで、ある意味「素」の岩手を感じられたような今回の湯治旅。こんな長閑な風景とも、もうまもなくお別れしなければなりません。
旅はどれだけ長期間でもあっという間に終わるもの。もう帰京しなければならない時間に。
今までの予定をぴっちり詰めた旅とは違い、岩手という地に根っこを張って過ごしたかのような濃密な数日間。滑り込むはやて号が、いつも以上に切なさを連れてきたことは言うまでもありません。
岩手の湯に飽きるまで浸かり、岩手の酒を飽きるほど飲んだこの暮らしももう終わり。新幹線で最後の岩手の恵みを楽しむこととします。
まず開けたのはお気に入りの雪っこ。昨晩飲んだ酔仙が作る活性原酒です。このお酒は純米ではありませんが、僕と相性が良いのか変に酔うことがありません。
とろりとしていて粕の風味が濃厚なにごり酒は、アルコール度数もちょっと高め。ちびり、ちびりとゆっくり楽しみたい、そんなお酒。
夕飯を食べるにはまだ早い。暮れつつある車窓を肴に、雪っこをじっくりと楽しみます。
ここをこうやって通るのは何度目だろうか。毎回また来よう!と思って眺めたこの景色を、ありがたいことにまたこうやって眺めることが出来ている。だから、また次も絶対にあるはず。
幸い、今まで旅先であまり外れにあたったことのない僕。なので旅を終えるとまた来たいという感想をいつも持つのですが、東北・北海道への旅路は特別な何かを感じさせる。気が付けば、僕の足は北へと向いているのです。日本全国巡りたいという野望を持ちつつ、やっぱりまた来てしまう。これからもきっと。
味わい深かった今回の旅を、味わい深い雪っこで想い出へと変換してゆく。そうしているうちにあたりはすっかり暮れていました。
続いて平泉は両磐酒造が造る関山生酒を。こちらも純米ではありませんが、嫌なアルコール臭さは無く、すっと喉を通る爽やかさを感じさせるお酒。これから開ける駅弁へと期待を繋げてくれる、そんなお酒。
今回最後の岩手グルメにと選んだのは、一ノ関駅開業以来の歴史を持つ、斎藤松月堂が調製する三陸海の子。
実はもうほとんど駅弁が売り切れていた一ノ関駅で、ようやく考えて買ったのがこのお弁当。中に入る食材などはもちろん好物ばかりなのですが、せっかくの駅弁、一食で色々な味を楽しみたいと欲張る僕にとって、中々手の出ないタイプのお弁当なのです。
それでもやっぱりこの豪華さを見るとテンションが上がるというもの。中には大ぶりのほたてやうに、いくらといった海の幸がぎっしりと詰まっています。
まずはほたてから。薄味に煮られたほたてはパサ付かずふっくらなしあがり。大ぶりなのでひもや卵までもしっかりと楽しめます。
粒を感じるほど大粒なうには適度に蒸され、口に入れればほんのりとした甘味と風味と共に溶けていきます。
いくらも粒がしっかりとしたプチプチの美味しさで、添えられた茎わかめも適度な歯ごたえでいいアクセントになっています。
う~ん、悔しいけど旨い。お酒と合わせても全然違和感無い。やっぱりこれじゃなきゃ!という先入観念は捨てて、色々なものを試してみなさい、ということなのでしょうね。美味しく嬉しい裏切りに、箸もお酒もどんどん進んでしまいました。
5泊6日のみちのくの旅ももう終わり。いつもの東京駅に、いつものはやてで到着。
いつもなら、抱えきれないほどの充実感と、それに見合った疲労感を感じつつ立つこのホームですが、今回は全く違う。敢えて何もしないという贅沢が、今まで溜まりに溜まった疲労を全て洗い流してくれたのでしょう。
突然休みが取れなければ、この先数十年と経験するはずの無かった湯治。ひょんなことからその機会に恵まれ、想像を遥かに超えるその魅力に、すっかり虜になってしまいました。
でもこれはとても危険なこと。本当に疲れたときの癒しの場所を見つけられたことはいいのですが、一歩間違えるといとも簡単に中毒になってしまいそう。
こんなぐうたらな生活を送るにはまだ若すぎるかな。そう自分に言い聞かせ、すでに次回を考え始めている心にブレーキを掛けるのでした。
※使用上の注意※
湯治には、ヒトを虜にする成分が含まれています。
用法・用量はきちんと守り、正しくお使いください。
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