旨い、旨すぎる味噌カレー牛乳ラーメンで汗だくになり、海の近くでクールダウンすることに。お店の前の道をまっすぐ進むと、三角形のビルが特徴的な観光物産館アスパムのすぐ近くに突き当たります。
そのアスパムの横には多くのねぶた小屋が並んでおり、まつりを2日後に控えた今日、どのねぶたも最終準備に取り掛かっているようでした。
遠くから聞こえてくるラッセーラーの掛け声と、アップテンポのお囃子。その音色を聴くだけで、僕の中の夏というものが勢いよく頭をもたげます。
よく間違われるという、ねぶたとねぷた。僕の毎年行く弘前はneputaのほう。扇ねぷたという絵を主体にしたものが主で、掛け声もお囃子もどことなく落ち着きがあるもの。
それに対し青森はnebutaのほうで、こちらは跳人とよばれる人々が威勢よく鈴を鳴らしながら踊りあるき、掛け声もお囃子も威勢がいいようです。ねぶたも人形ねぶたがメイン。
やっぱり今度は青森ねぶたも見てみたい。出陣のお祭りである弘前に対し、凱旋のお祭りである青森。そんな由来の違いが、名前の似通ったお祭りの色の違いを生み出しているのでしょう。これは生で違いを体感してみたい。いや、するべきだ。違う、しなければ、だ!
海風に吹かれてクールダウンするどころか、ねぶたの熱気に触発されていっそう心は汗だくに。もう明日のねぷたが待ちきれないほど。
まつりを控えた活気あるねぶた小屋をあとにし、ようやく海沿いでクールダウン。
とは、いかなかった。遠くには美しい海峡の女王が横たわっており、僕の胸を違う熱さで締めつけます。
ここちよい海風に吹かれつつ歩くデッキ。一歩いっぽ足を進めるごとに、その優美な姿が大きくなってゆきます。
船底に貨車を積むためのスペースが最大限とられた船体。その上に整然と並ぶ客室の窓。そのバランスにより、普通の船よりも重心が低いことが伝わるようなフォルム。まさに列車を運ぶために造られた、鉄道連絡船。
しかし決して無骨ではなく、海峡の女王たるに相応しい流麗さを持っている。それは津軽海峡の荒波や風雪を受け流すためにまとった、曲線という鎧によるものなのだろうか。
青函連絡船が廃止されてもうすぐ30年。かつて多くの貨車を船へと通した桟橋可動橋からも、その時の流れを感じます。
来るたびに進む老朽化。鉄部や木部は朽ちている部分もあり、切なさを一層かきたてます。
その朽ちた枕木に咲く、八甲田丸と同じ色をしたたんぽぽの花。生と廃。僕のこころに穏やかではない波をたてる、この対比。
僕が初めて八甲田丸と出会ったのは、16年以上も前のこと。厳冬期、雪に埋もれた女王は、凍てつく海に耐え、ひっそりと佇んでいました。
その後も冬に訪れる機会が多かったため、夏の八甲田丸は久しぶり。冬には積雪で見ることができないアングルから、その雄姿を眺めます。
青い芝生と八甲田丸。夏の日差しを浴びた海峡の女王は、こころなしかその表情もうれしそう。しかしその中にも、ある種の憂いを秘めているように見えるのは、僕だけだろうか。
優美な曲線を描く船首とブリッジ。そのまなざしの先には、きっと函館が映っているはず。
長年託された、青函連絡という使命。生まれ持ったその役割を、引退した後も忘れない。だから今でもこうして、函館を見据えて佇んでいる。僕にはそう思えて、仕方がない。
「上野発の夜行列車降りたときから・・・」。ついに上野発の夜行列車もなくなってしまった。そして、青函トンネルから在来線もなくなってしまった。
新幹線という動脈がつながった今、青函連絡船でしか渡ることのできない北海道というものは想像すらつきません。
僕が子供の頃に、青函トンネルが開通しました。それと同時に華々しくデビューした北斗星もとうに廃止となり、何度も乗ったはつかりや白鳥も廃止となりました。
鉄路ですらあれほど遠い津軽海峡。ときに荒れ狂う津軽海峡を渡る3時間50分は、本州と北海道を隔てる大きな壁であったことでしょう。
でも、だからこそ、連絡船で海峡を越え、たどりついた北の大地の大きさを感じられたという部分もあったのかもしれません。
残念ながら僕は連絡船の経験がありません。でもそれで良かったのかもしれない、と最近思うようになりました。
僕の思い出をのせた北斗星やはつかり、白鳥が消えただけでもこの喪失感。新幹線として鉄路は生きているのに、このやるせない気持ち。きっと連絡船の想い出などを持っていたら、それはもう耐えられないほどの悲しみになることでしょう。
なぜにこうも昔の交通には情というものがつきまとうのか。単なる手段では語れないなにかが、古きよき交通には宿っている。そんな僕の切なさを、歌碑から流れる津軽海峡・冬景色が駆り立てるのでした。
うぅん、我ながらちょっと気持ち悪い記事になってしまった。でもいいや、青函連絡船が好きだから。
鉄道も船もバスも飛行機も、昔ののりものにはみんな気持ちが詰まっていた。言わば「用の美」というものだろうか。何でも割り切ってしまう現代にはない不器用さこそが、この時代ののりものの最大の魅力。
味噌カレー牛乳ラーメンから始まり、ねぶたに海峡の女王と、思い切り熱くなってしまった青森での時間。そんな青森を離れ、今度こそ涼しい場所へと向かうため、『JRバス東北』が運行するみずうみ号に乗車します。
目指すは八甲田の自然に抱かれた、あの秘湯。そして明日は奥入瀬へ。憧れ続けてきた湯と景色を目前に、気持ちは一層熱くなるのでした。
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