瀬戸内の各地を大満喫したこの旅行も、いよいよ最終日を迎えました。新幹線までの時間、広島市内を観光します。
まずはホテルから一番近い、広島城。この門は復元されてまだ日が経っておらず、古風でありながら新築のような木造建築がおもしろい。
天守閣へ向かう前に、公園内にある「広島護国神社」にお参りしました。まだ早い時間でしたが、人で賑わっています。
こちらが広島城の天守閣。昭和40年代に再建されたものです。想像以上にこじんまりしていて、ちょっと驚き。
昔の資料から忠実に再現しているはずなので、もともとこのサイズであったと思われます。西日本有数の大都市である広島のイメージからすると、もっと大きいお城があったのかと思っていました。
帰りの際に手間取らないよう、先に広島駅までの道順を確認したときに見かけた、広電オリジナル車両。この3両編成の路面電車は、宮島口までの系統で使用されています。
広島駅から路面電車とずっと仲良く併走していくと、今年で引退する「広島市民球場」の前に到着。
僕は野球は見ないのですが、小さい頃から「ズームイン朝」を見て育ってきたので、この球場前からの生中継が見られなくなるのも、寂しい気がします。
復興への市民の活力をささえてきた球場が幕を閉じてしまうので、せっかくですから愛車とのツーショット。僕のように写真を撮る観光客をたくさん見かけました。
球場から後ろを振り返ると、そこには原爆ドームがひっそりとたたずんでいます。周囲は市街地として整備されている中で、文字通りそこだけ「時が止まって」います。
この建物を目にしたとき、大げさではなく、本当に全身に鳥肌が立ち、ただただ呆然と、その姿を見ることしかできませんでした。
あらかじめ地図を持たずに走っていたので、まさかここにあると思っていなかったため、そのインパクトはより大きなものになったのでしょう。
当たり前の街中にたたずむ、悲惨な光景。平和記念公園側から近付くよりも球場側からのほうが、その光景をより「現実」として見ることができるような気がします。
建物の周囲には瓦礫がそのまま保存されています。原爆ドームは、その姿だけではなく、醸し出す空気をもってまで、当時の惨状を伝えようとしています。
戦争が終わってから36年後に生まれ、現代を不自由なく生活してきた僕らの世代にとっては、当時の状況を想像することなど決してできるはずもありません。それでも学校の教科書でしっかり勉強してきたつもりでした。
でもこれを実際に目にしてしまうと、「教科書」だの、「勉強」だの言っている自分が恥ずかしくなります。
当時ここにいた人にとっては、それは紙の上の出来事なんかではなく、決して起こってはならないはずの「リアル」だったのです。この建物からは、そんな人々の想いが伝わってきます。
現代で不自由なく生活できている人は、死ぬまでに1回はここに来ることをおすすめします。いえ、来なければならない場所だと、強く思いました。
原爆が落とされた後、この川にたくさんの人が集まり、亡くなっていったのでしょう。どうかもう二度と、そんなことが起きませんように。
原爆ドームから平和記念公園を通り、『平和記念資料館』へと向かいました。
中の展示物は、教科書に載っているような生易しいものではありません。正直、気分が悪くなるようなものもあります。でもそれと対峙していかなければ、ここに来た意味はありません。
館内のあちこちでは、小さい子が怖がり泣き叫ぶ声が響いていました。小さい頃にこんなものを見れば、ある種の「トラウマ」になるかもしれません。
でもそれこそが、本当の戦争の悲惨さを教える教育になるのではないでしょうか。現代は二次元での出来事が多すぎます。そんな中で、「本物」をこの目で見なければ判らないことがたくさんあると気付かされました。
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