山あり谷あり、ローカル感満点の秋田内陸線に揺られ、阿仁マタギ駅に到着。1面1線の小さな駅から単行のディーゼルカーが音を立てて去りゆくのを見送ります。
お宿にお願いをすれば、列車の時刻に合わせて送迎をしてくれます。その車に揺られること5分足らず、今宵の宿である『打当温泉マタギの湯』に到着。以前テレビで見て以来、その名前にやられてしまいどうしても来てみたかった宿。
いわゆる日帰り温泉、立ち寄り湯として紹介されているのをよく目にしていたので、それに併設された宿という認識できました。が、その予想はいい意味で裏切られました。
思ったよりも部屋数が少ないようで、客室の造りもゆったり。窓の外には秋田の夏の光が溢れ、建物の外観や規模では想像できない、しっかりとした「旅館感」。
動線も日帰り利用の温泉やレストランは1階に、客室は2階や別館にとしっかり分けられ、意外にも落ち着ける静かな環境。
早速温泉へ、と行きたいところですが、まずはこの宿の名前の由来にもなっているマタギに少しだけ触れてみることに。この宿にはマタギ資料館が併設されており、宿泊者なら無料で入ることができます。
本館から別館への渡り廊下に位置するマタギ資料館。中には丁寧な解説や実際の道具、そしてはく製や敷き皮がたくさん展示されており、阿仁地区がマタギと深い関わりを持ってきたことが伝わります。
資料館を後にし、お風呂へと向かうためにロビーを通ると、そこには大きなヒグマの剥製が。近くの阿仁熊牧場くまくま園で飼育されていたヒグマのごんた君だそう。山の中でこんな大きな熊に遭遇したらと思うと、やっぱり怖い。
そしてお待ちかねの温泉へ。まずは大浴場。大きく明るい窓と、多くの人が訪れても安心な広い湯船といった、開放的な雰囲気の中お湯を楽しめます。
続いてこちらが露天風呂。ナトリウム・カルシウム-塩化物泉の源泉が、加水ながら掛け流されています。
琥珀色のお湯に浸かってみると、さすがはしょっぱい温泉。体に浸みるような力と強い温まり方が印象的。これは加水なしだともっとすごいことになりそうかも。この状態でも十分濃く感じます。
そして湯口にもやっぱりマタギの里らしさが。毛並みの伝わるような、柔らかな表情をした石彫りの熊さんの口から、たっぷりの源泉が出ています。そしてその口に付いた塩の結晶や湯船に染みついた色から、やっぱりこの温泉の濃さが伝わってくるかのよう。
夏の暑い最中に熱いお湯に浸かる。汗が出れば縁に腰掛け、外を眺める。その眺めがこれだもの。
美しく葉をのばす田んぼに、杉の美林が覆う山並み。みどりを渡ってきた風は、火照った体を優しく冷ましてくれる。このお湯とこの景色だけでも、阿仁まで来た甲斐があった。そう思わせてくれる、どこか懐かしい素朴な夏景色。
夏の緑と濃い温泉で火照ったところで、部屋へと戻り冷たいビールを。窓の外にはさらさらと流れる打当川と、秋田の田園。この上ない夏の午後のひとときを、ただただのんびりと過ごします。
もう一度お風呂を楽しんだところで、お待ちかねの夕食の時間に。山の宿らしい美味しそうな品々が並びます。
前菜は季節の三種盛り。きのこやふきといった山菜をそれぞれシンプルな味付けで楽しめます。
お造りはます、なまず、いか。なまずのお刺身は初めて食べましたが、こんなに美味しい魚だったとは。身がしっかりと締まり臭みもなく、淡白ながら旨味もありお酒にぴったり。
岩魚の塩焼きはホクホクの美味しさで、なすの田楽はとろっとろのなすの食感に適度に甘い味噌が相性バッチリ。ぜんまいや姫竹が入った里山の煮物は素材の味を壊さない丁度良い味付け。
そんな美味しいお料理に合わせるのは、こちらの温泉オリジナルの濁酒、マタギの夢。
地元で栽培されたあきたこまちと森吉山の伏流水で造られたというこのどぶろくは、しっかり濃いのにくどくなく、甘酸っぱさもあるのに変な甘ったるさのない、ものすごく美味しいどぶろく。
あまりに美味しくお料理にも合うので、思わず二合飲んでしまいました。本当はもう一杯、といきたいところでしたがここは我慢!濁酒は生きているため、この後食べるお米と一緒になると、お腹の中で大変なことになってしまうのです。
こちらのぐつぐつ美味しそうに煮えている鍋は、マタギの里鍋。僕がここに来たいと思ったのは、どぶろくとこのお鍋があったから。
そんな期待を持ってひと口食べると、意外にもあっさりとした味わいのお肉。あれ?熊や猪じゃないよね?と思い係の方に聞いてみると、これはうさぎ鍋なのだそう。
食用のうさぎなので野生のよりも食べやすいかもしれませんね~、ってさらっと言われていましたが、あっ、う、うさちゃんでしたかぁ。というのが僕の最初の感想。
でも、それでもですよ。飛騨で熊鍋を初めて食べたときもそうでしたが、やっぱり美味しいんです。淡白で適度な歯ごたえのあるお肉には、どちらかといえば鶏に近い雰囲気が。うさぎが一羽二羽と数えられる由来が・・・。
でも食材となって僕の前に来たからには、美味しく頂くのが当たり前というもの。クマさんにうさちゃん、なぁ。でも牛さんも豚さんも鶏さんも、なんだよ。やっぱり食べ物は残しちゃいけない。いつも気を付けていることですが、今一度自分に喝を入れます。
お鍋は味噌ベースでお肉と野菜の旨味が詰まったスープ。すし飯仕立ての山菜ご飯とともにおつゆまでしっかりと平らげ、味も内容も大満足の夕食となりました。
マタギ鍋とどぶろくに魅かれて訪れた打当温泉で過ごす夜。一杯になったお腹が落ち着いたところで、再び温泉へ。露天からはほんの数軒の家の灯りが見えるだけで、それ以外は漆黒の闇。夏といえども夜風は涼しく、それがやはりここが東北であることを教えてくれているかのよう。
そして部屋へと戻り、今宵の供を開けることに。宿の売店で売っていた、能代の喜久水酒造、純米吟醸能代喜三郎の酒。
明治時代にまだ酒蔵の名前も無かった頃のお酒を再現しようと造られたこのお酒は、奥羽本線の旧鶴形隧道で低温貯蔵されたものだそう。旨味と飲みごたえがあるお米を感じさせる味わいですが、後味はすっきり、僕好み。やっぱり東北のお酒は外れがない。
小学校以来、ずっと乗ってみたかった秋田内陸縦貫鉄道。よくここに鉄路を通したものだと思うような山深さの中で出逢う、濃いお湯とマタギの風情、そして味。
夏もいいけど雪に埋もれる冬も来てみたい。濁酒のような白さに包まれるその季節にまた訪れることを夢みて、阿仁での夜は過ぎてゆくのでした。
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