お酒も夜更かしもほどほどにし、迎えた爽やかな目覚め。障子から漏れる夏の朝日に起こされる朝は、同じ夏でも東京で迎えるむさくるしいものとは全く異なります。
早速ローマ式千人風呂で朝風呂を楽しみ、朝食の時間。食卓には焼鮭や煮物、納豆やハムエッグといった定番メニューが並びます。
普段は朝食を全くとらない僕。旅先でこのような朝ごはんを食べる度に、体も心も喜んでいるのを感じます。やっぱり朝食をとれるような生活を送らなければなぁ。ホッとする美味さの朝食に、今一度日常の不摂生を感じるのでした。
この旅最後の朝食をお腹一杯平らげ、部屋へと戻ってしばし小休止。お腹が落ち着いたところで、この旅最後の一浴へ。その道すがら、2泊を過ごしたこの建物との別れを惜しむべく、寄り道しながら浴場を目指します。
壁に見つけた、うさぎとかめ。脱衣所の金太郎や花咲爺さんとともに、忘れかけていた昔話のストーリーが十数年振りに記憶の底から浮かんでくるよう。
山形県内最古の湯屋建築である、喜至楼。当時の贅の限りを尽くし建てたであろうこの本館は、今では珍しい4階建て。最上階に位置する部屋は、残念ながら現在は立ち入り禁止で閉鎖中。
その最上階への階段には、鈍く輝く木に「菊の間」の透かし彫り。浮かび上がる木目と流れる文字が調和した美しさに、今一度この建物全体の凝りようを感じます。
曲線によって切り取られた壁に浮かぶ、能の装飾。表情や袖の揺れまで伝わるような彫り物に目を奪われます。ただの建具を良しとしない。この宿を造り上げた方たちは、そんな想いで建物を飾っていったのでしょうか。至るところに散らばる装飾に、ただただ圧巻のひと言。
それでもこの宿がのどかで穏やかな山の宿の雰囲気を持っているのは、これ見よがしにでは無く、自然に重ねた歴史を感じさせるから。廊下の物置の扉に掛けられたこの錠前も、そんな物たちのひとつ。
明治元年築という本館の玄関部分、2階に位置する和室。この宿で一番古い部分であろうこの部屋は、ふすまで仕切られた昔ながらの形式。飾られた書や掛け軸、建具としての存在感を感じさせる立派なふすまが、この部屋の重厚さを醸し出します。
そして味わう、最後のローマ式千人風呂。滞在中何度も足を運びましたが、僕が見つけた僕にとってのベストなポジションはここ。適温のお湯に浸かりながら、神殿を思わせる柱と、何とも不思議なタイル絵を眺める。この体験は、ここ喜至楼に来なければ味わうことは出来ません。
浴衣姿でいられるのもあと僅か。汗が引くまでの時間を、瀬見のお湯、千人風呂の余韻と共に過ごします。そして視線の先には、幾度となく眺め、幾度となく楽しんだ鯉の滝登り。もう間もなく、この異空間ともお別れ。
汗が引くと同時に、出発のタイムリミットがやってきてしまいました。旅立ちの名残惜しさを振り切り、着替えて部屋を出ます。
その前にもう一度目に焼き付けようと彫刻を見てみると、何やら刻印を発見。この立派な彫刻は、新庄市の杉原建具という建具屋さんが作った模様。僕はてっきり彫刻部分は専門家が作っているのかと思い込んでいたため、驚いてしまいました。
この建具屋さんが特別なのか、昔はこの手の仕事も、建具屋さんの業務の一環であったのか。どちらにしても、古の美意識には常々感動させられます。
青森から山形までの強行移動をしてまで連泊してみたかった、喜至楼。初めて見て以来思い続けたこの宿は、その期待を遥か超える濃厚な空気感で包み込んでくれました。
重厚なだけでは無い。豪華絢爛とはまた違う。様々なタイプの古き良き宿がありますが、ここ喜至楼は唯一無二の存在ではないか。そう断言してしまいます。
昔の人々が具現化した「贅」や「華」、そして「洒落」。そんなものがたっぷり詰まった器に、古き良きを手放さず自然に重ねた時がぎっしりと詰まっている。旅館という名の宝箱、僕にはそう感じられました。
好きな人には堪らない。ありきたりな言い方ですが、まさにその通りであった喜至楼。忘れえぬ宿に出会えることの幸せを噛み締め、濃密な記憶を胸に宿を後にするのでした。
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