今日は、これまでで一番鮮やかな晴れ空のもと迎えた目覚め。大沢温泉に滞在できるのも今日が最後。あれだけ長いと思っていた6泊の湯治も、蓋を開けてみればあと一夜を残すのみ。なんともあっけないものです。
それほど、この湯治が濃厚で充実しているという証。飲んで、食べて、浸かって、読んで、寝て。その繰り返しが堪らなく怠惰で楽しいのです。
そして今日もお昼ご飯の時間。やはぎのメニューとにらめっこし、今回は味噌ラーメンを注文。やはぎでの最後の昼食となるので、かなり悩んで決めました。
運ばれてきたラーメンは、シンプルそのもの。スープはあっさりめながら、味噌とほのかなにんにくの風味が食欲をそそる、ほっとする美味しさ。シャキシャキの野菜と豚バラ肉が、その素朴なスープにまたぴったり。
最近は世の中なんでも濃厚を求めがちですが、濃く無くてもしっかり美味しいものもあるんだ、という当たり前のことを思い出させてくれるような、懐かしい味噌ラーメン。熱々のラーメンを啜りながら、これが最後のお昼なんだと、ふと寂しさを覚えます。
ここでこうして穏やかな午後を過ごすのも、今日で最後。大沢温泉は、長くいればいる程愛着が湧く、そんな力を持っています。
滞在中、何度浸かったか分からない程の大沢の湯との逢瀬も、残すところあと僅か。そう思えば思う程切なくなってしまうので、この湯面のように己の心を落ち着けます。
もう明日は、ここでこうして秋の夕暮れを味わうことができない。このお宿は、どこで何をしていても、絵になり過ぎる、味わい深過ぎる。この感傷は、秋の持つ儚さによるものなのか、それとも、ここを離れたくないという寂しさからなのか。
渓谷に沈むように佇む宿の日暮れは早い。空はまだこんなに明るいのに、宿は忍び寄る夕暮れに包まれ始めています。
この日最後の紅葉の輝きを映す、木造の宿。やっぱり僕は大沢温泉が大好きだ。1度目も、2度目も、そして3度目も。帰る前からまた来たくなる。この一軒宿には、人を捉えて離さない、強い世界感に満ち溢れているのです。
そして迎えた、最後の晩餐。もう明日に食材を持ち越せないので、今夜は冷蔵庫整理。といっても美味しいお漬物があるので寂しくありません。
わかめ入り湯豆腐や残り物で締めくくる最後の夜に選んだのは、盛岡の菊の司酒造、秋季限定純米酒茜。純米原酒のひやおろしであるこのお酒は、原酒の力強さはありつつ角が取れ、どっしりとしていながらしつこさの無い辛口のお酒。
初の6泊湯治。最後の夕餉を穏やかに締めくくり、後片付けをして部屋へと戻ります。後はもう、読んで、飲んで、浸かって、寝るだけ。明日ここを発つというほのかな寂しさはありますが、滞在中存分に味わった、これらの幸せ。最後の夜だからもったいないなんて気持ちは、不思議なほど湧いてきませんでした。
滞在中、昼夜を問わず何度もこうして見上げた天井。畳の部屋の無い自分の家では、こんなことすらままならない。和室が好きな僕にとっては、このことだけでも十分な贅沢。それが年月を経てこれほど美しい飴色になった木の天井とくれば、言うことありません。
去りたくない、離れたくない、もっと居たい。その気持ちはもちろん変わりません。が、前回、前々回には無いほど穏やかな気持ちで、最後の夜を粛々と過ごす自分に思わず驚き。
これだけ長くいたのだから、今更何をやり残したことがあるのか。そう言われれば返す言葉もありません。それでも、流れてしまう時に抗うように、ああしたいこうしたいと、もがいてしまうのが僕の性。
でも今夜は違う。とても満たされている。それは決して、飽きや満足という感覚ではなく、満たされているという感覚そのもの。それだけ、この滞在で心身の芯から、大沢温泉を吸収したという証。そして、3度目の湯治に来られたという気持ちの余裕も手伝い、いつかまた帰ってくる予感、いや、確信が根底にあるからなのでしょう。
満たされた気持ちで見上げる、飴色の天井。この穏やかな幸せが気まぐれを起こす前に、温かい布団で夢の世界に堕ちることにします。
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