湯治場で迎える3度目の朝。目覚ましに起こされずとも、8時台にはすっきり目が覚める。ここでの生活のリズムがすっかり出来上がったようです。
もう朝日は昇っている時間ですが、谷底の露天にその光りが届くのはもう少し後のこと。まだほんのりと夜明けの名残を残すその光景を、もうもうと立ち上る湯けむりが幻想的に包みます。
朝風呂を楽しみ、盛岡納豆で朝ごはんを楽しみ。特に何時のバスに乗るかも決めず、気が向いたら買い物へ。そんなことが出来るゆとりも、湯治ならではのもの。まるでここで暮らしているかのような錯覚に陥ります。
大沢温泉の前の坂を登ったところにあるバス停から、『岩手県交通』の湯口線、イトーヨーカドー行きのバスに乗車。日中時間帯は1時間に1本程度走っているので、それに合わせて宿を出ます。
終点のイトーヨーカドーまで乗車し、そこから徒歩で更に先へと歩いてみることに。秋晴れの青空に浮かぶ太陽に照らされ、少々汗ばむくらいの気候の良さ。カラッとした心地よい空気に、足取りも自然と軽くなります。
色づいた桜が並ぶ土手を登り、北上川を北上すると、その先にうっすらと河床が見える場所に辿り着きます。ここが、宮沢賢治がイギリス海岸と名付けた場所。今ではその特徴的な河床は渇水期の一時期にしか見られないそうですが、この日は空の碧さをそのまま映した水面のすぐ下に、その様子が見て取れます。
ここでは北上川の支流が合流しており、晴れ渡る空の下釣り人がのんびりと竿を振っています。澄んだ空と、澄んだせせらぎの音。文字通りの長閑さと心地よい気温も相俟って、ここで微睡んでしまいたい衝動に駆られます。
流れ込む支流へと目を向ければ、花巻の市街地を流れてきたにもかかわらず、この水の清らかさ。そしてその中で、黒くうごめく多数の魚影が。そう、鮭の遡上の真っ只中に遭遇したのでした。
水の流れが早く水深の浅いこの場所は、長きに渡り北上川を北上してきた鮭にとって難関なのでしょう。目の前の段差を越えようと、挑戦しては断念し、流れの穏やかな場所で体力を回復させては、また挑む。そんな鮭が、写真に写る以外にもたくさん、たくさん泳いでいます。中には、力尽きてしまったものの姿も。
これまで遡上する鮭の姿を見たことが無かったわけではありませんが、このように激しい水しぶきと音を伴う、正に命を掛けて帰郷する姿を目にするのは初めて。誰に教わったわけでもない。それなのに、敢えて命を危険に晒してまで生まれ故郷を目指す。その本能を目の当たりにし、神秘以外の言葉が思い浮かびません。
思いがけず目にした光景に、しばらくその場を離れることが出来ません。健気に己の生命を全うしようともがく鮭たちの無事を祈り、ようやく立ち去ることができました。
太陽の光を散りばめたように輝くイギリス海岸。大河北上川には幾多もの支流が流れ込む。この煌めく水面下には、先程のように故郷を目指す鮭たちがたくさん泳いでいるはず。今まで「現象」としてしか認識していなかった鮭の遡上を目の当たりにし、これまで感じたことの無い想いで川を眺めるのでした。
そんな鮭の死闘を微塵も感じさせない、ゆったりとした姿で横たわる北上川。今日は本当に穏やか。雲ひとつなく、風も無い。澄んだ空から降り注ぐ陽の暖かさが、地上の全てを包んでくれます。
時間さえものんびり流れてゆくかのような秋の日。抜けるような空色に映える桜紅葉が、この時期の日本ならではの彩りを添えます。
雄大な北上の流れを眺め、鮭の生命の営みを目にし。思いがけず濃厚な時間を過ごし、時刻はもうお昼時。前回花巻の市街地を散策した際はおそばを食べたので、今回は違うものを食べようと、マルカン百貨店(閉店)に向かいます。
ここは花巻でとても有名なデパート。というのも、最上階にある大食堂(今後再開見込)が有名なのです。何故かというと、この眺め。もそうなのですが・・・。
この空間そのものが名物のようなのです。僕もこれまでテレビやネットで見たことはありましたが、初めて訪れたこの昭和レトロそのままの大食堂の空気感に、早くも圧倒されてしまいます。
この店内やテーブル上の備品もさることながら、レジ横の巨大な食品サンプルの並ぶディスプレイもまた圧巻。エレベーターから絶えず人が溢れてくるので、残念ながら写真は撮れませんでした。
それにしても、この人、ひと、ヒト!!失礼、本当に失礼ながら、花巻の街のどこからこんなに人が集まってくるのかと思う程。街に人影はまばらなのに、ここだけは別世界。それも、見たところ観光客は皆無。驚きを通り越して、唖然。初めて訪れたマルカン大食堂に、すっかり呑まれてしまっています。
インパクトのあるディスプレイと、その姿に恥じぬメニューの多さ。どれにしようかと優柔不断振りを発揮しつつ、ようやく選んだのはその名もマルカンラーメン。店名を冠しているということはお勧めだろう、というのが決め手でした。
運ばれてきたのは、赤っぽい色をした、どろりと濃いあんかけラーメン。味のベースはしょう油で、遊園地やサービスエリアで食べたような、古い記憶を呼び覚ますもの。赤い色の素はといえば豆板醤。程よい辛さで、このラーメンの特徴を印象付けます。
具は白菜、きくらげ、かまぼこにうずらの卵といった、八宝菜や五目ラーメンに使われるようなラインナップ。麺は少々柔らかめに茹でられており、久々に出会うその感触がまた懐かしい。
初めて訪れたマルカン大食堂。初めてなのに懐かしい。そう思わせる雰囲気と味に大満足。気分はすっかり昭和に染まってゆくのでした。
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