短くも濃厚な時間を過ごした岡山ともお別れのとき。お供を連れた桃太郎に別れを告げ、いつかまた来る日を願いつつ駅へと入ります。
多くの列車が行き交うターミナル、岡山駅。特に瀬戸大橋線開通後は四国への玄関口としての性格が強く、ホームには僕にとって馴染みのないJR四国の車両の姿もちらほら。
10年ぶりに目にするJR四国の車両に、大人げもなくわくわく、そわそわ。そして入線してきたJR四国の5000系快速マリンライナーに、何の疑いもなく乗車します。
先頭には、瀬戸大橋開通30周年の誇らしげなヘッドマーク。青函トンネルに瀬戸大橋、僕の子供の頃に列島は繋がった。その時の記憶は今も色褪せることなく、ブラウン管越しの熱気と感動として深く脳裏に染みついています。
そうかぁ、もう30年かぁ。そりゃ歳もとるよなぁ。なんて呑気にマリンライナーに揺られていると、停車駅の放送を聞いて違和感が。どうやら乗る予定の1本前の列車に間違えて乗ってしまったよう。ということで、急遽予定にはなかった児島駅で途中下車をします。
次の列車まではそれほど時間がないため、駅前からすでに見えている海へと向かいます。
遠くに連なる島影、じりじりと肌を焼く初夏の太陽、鼻をくすぐるほんのりとした磯の香り、離島へと向かうための小さな定期船。同じ日本とは思えない。同じ海とは思えない。そう思うほど、瀬戸内は僕の知らない輝きに満ちています。
滞在時間二十数分の児島滞在を楽しみ、再び瀬戸大橋線に乗車し四国を目指します。
今度乗るのは、観音寺行き普通列車。瀬戸大橋線は四国本島上陸後高松方面と松山方面に分岐するため、乗り継ぎ列車のタイミングにより乗車列車の方面を間違えないよう注意しなければなりません。
児島駅を出発してまもなく、列車はいよいよ瀬戸大橋へ。10年前、生まれて初めて目にした瀬戸内海。まさにこれが、その景色。見たこともない色の海に浮かぶ、数えきれないほどの小さな島々。改めてこうして見ても、その感動は増すばかり。
鉄橋特有の共鳴に包まれつつ、慎重に進む列車。骨組みだけの吊り橋らしく、下を見ればこの眺め。高所恐怖症の方にはお勧めできない、でも瀬戸内の碧さを存分に感じることができる素晴らしき光景。
瀬戸大橋はしまなみ海道と同じく、瀬戸内に連なる小島を結びつつ四国本島を目指す橋梁群。列車は途中いくつかの島を通過し、高い位置からその雰囲気をほんのりと感じるような眺めを楽しむことができます。
凝縮したかのような島の家並みに人々の営みを感じ、列車は再び海上へ。どこまでも穏やかな瀬戸内海の先には、幾重にも続く濃淡に満ちた島影。その手前には、150年近くも現役で船を導く白亜の鍋島灯台。
この凝縮感。これこそが、僕にとっての瀬戸内そのもの。10年前に見たこの景色、そして自転車で感じた穏やかな時間。これまで絶景と言える景色をいくつも目にしましたが、これほど穏やかさと相反する鮮烈さの両方を持ち合わせる光景を、僕は知りません。
日本屈指の美しき車窓を味わい、列車はいよいよ四国本島に上陸。窓の外には大きなタンカーが係留された造船所が広がり、生まれて初めて四国で造船というものを身近に感じた当時の記憶が甦ります。
目くるめく美しさを味わわせてくれた瀬戸大橋線と別れ、列車は予讃線へと入ります。高架を走る車窓には、見事に裾野を広げる讃岐富士。低いながらも強く感じさせるその存在感に、これまで見た山とは違う力を感じたのを鮮明に思い出します。
うどん屋さんの屋号としても有名な丸亀。遠くには、現存十二天守のひとつである丸亀城の姿が。小高い亀山に築かれた石垣は、この距離から見ても圧倒的。これは次の宿題ができてしまった。今度四国を訪れるときは、絶対に丸亀城を訪れなければ。
福知山から、姫路、岡山を経て四国まで連れてきてくれたこのきっぷともまもなくお別れ。列車に揺られつつ、旅の終盤に眺める乗車券に記されたいくつもの経由。この距離を移動してきたという感慨もあり、もうすぐ終わるという寂しさもあり。
播但、本四備讃、予讃に土讃。僕は鉄道が好きでなかったら、きっと地理にも興味を持たなかったかもしれない。路線名や通過する駅名に冠された旧国名に、現代の行政区分にはない土地の色や香りと言うものを感じて仕方がないのです。
残り少ない旅路を噛みしめていると、列車は多度津駅に到着。ここで土讃線の列車に乗り換え、南を目指します。
車内に響くディーゼルの音。南国を感じさせる四国の太陽と、それに照らされた緑に染まる車窓。桜咲く北海道もゴールデンウィークなら、こんなにぽかぽかとした陽気もまた、同じ日本のゴールデンウィーク。
今回の旅は長かった。日数も距離も、体感も。そんな長旅ももうすぐ終わり。最後の目的地であるこんぴらさんへと向かう車内で、旅の記憶がエンジンの振動に乗り胸の奥へと響くのを感じるでした。
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